残響
あの夜から、一ヶ月が経っていた。

メールはしていた。

仕事が忙しくなったみたいで、なかなか会えなかった。

本当に仕事が忙しかったのかは、今となってはわからない。

でも、あの頃の私は、それ以上深く考えなかった。

メールが来れば嬉しかったし、

「仕事が落ち着いたら、また会えるよね」

そう思っていた。

だから、一ヶ月ぶりに晃哉を見つけたとき。

胸の奥から込み上げてきたものは、寂しさよりも先に――

嬉しさだった。

その場所は、sugarだった。

店内に入った瞬間、身体の奥まで響くような重低音が耳に飛び込んできた。

薄暗いフロアには、人が溢れていた。

色の変わる照明が、踊る人たちの顔を一瞬ずつ照らしては、また暗闇へ消していく。

笑い声。

グラスの触れ合う音。

誰かの香水と、少し煙草の混じった空気。

熱気で、少し息苦しいくらいだった。

そんな人の波の向こうに――

見覚えのある姿があった。

「……え?」

一瞬、目を疑った。

DJブースに立っていたのは、晃哉だった。

「こうちゃん……?」

来れないかもって言っていたのに。

一ヶ月ぶりに見る晃哉は、いつもより少し遠くにいるように見えた。

ヘッドホンを片耳にかけ、機材を操作する横顔。

時々、フロアを見渡すように顔を上げる。

その姿を見ているだけで、胸がいっぱいになった。

会いたかった。

そう思った。

本当は、ずっと会いたかったんだ。

しばらくすると、私は何人かの男の人たちに声をかけられた。

久しぶりに会った友達もいて、自然とその輪の中で話をしていた。

笑ったり、相槌を打ったり。

ふいに一人の男が、私の肩に抱きついてきた。

そのとき――

曲が変わった。

聞き覚えのあるイントロが、フロアに流れた。

私は、ふっと顔を上げた。

「……この曲」

思わず、DJブースを見る。

その曲は、私が好きだった曲。

私たちにとって、思い出のある曲だった。

そして、その次の曲も。

ラスト二曲。

どちらも、私には意味があった。

隣にいた澄香が、私の顔を見た。

「唯……」

「ん?」

「この曲って……」

澄香は少し驚いたような顔をして、DJブースを見る。

「もしかして、晃哉さん……わざと?」

「……わかんない」

そう言いながらも、私は晃哉から目を離せなかった。

そして――

目が合った。

遠くのDJブースから、晃哉がこっちを見ていた。

一ヶ月ぶりに見るその顔は、笑っていなかった。

むしろ――

ムスッとしていた。

眉間に少し皺を寄せて。

まるで、面白くないものでも見ているみたいに。

晃哉はすぐに視線を外して、また機材へと目を戻した。

その横顔が、なぜか少しだけ寂しそうに見えた。

その夜。

久しぶりに会えた嬉しさのまま、私たちは晃哉の家へ向かった。

一ヶ月ぶりに入る部屋は、何も変わっていなかった。

見慣れた家具。

いつもの匂い。

さっきまでクラブの大きな音に包まれていたせいか、部屋の静けさが妙に心地よかった。

二人でお酒を用意して、向かい合って座った。

「久しぶりだね」

私が言うと、晃哉はグラスを持ちながら笑った。

「そうだね、でも、そんなに経ってないっしょ。」

その笑顔を見た瞬間、また嬉しくなった。

一ヶ月。

私にはとても長かった。

でも、今こうして隣にいる。

それだけで、全部どうでもよくなった。

お酒を飲みながら、いろんな話をした。

仕事のこと。

最近あったこと。

そして、もうすぐ来る晃哉の誕生日。

「そういえば、こうちゃん誕生日もうすぐだよね?」

「ああ」

「何歳なるんだっけー?」

わざとふざけた声で聞くと、晃哉が眉を上げた。

「教えない」

「えー! なんで?」

「もうめでたい歳でもないっしょ。」

「そんなことないよ! こうちゃんが産まれた日だよ」

私が笑うと、晃哉も笑った。

その表情が、すごく柔らかかった。

「じゃあさ、誕生日プレゼント何欲しい?」

「なんもいらないよ」

「またそれ言う」

晃哉は少し照れたように目を逸らした。

そんな他愛もない会話が、嬉しかった。

そのまま、お正月の話になった。

「こうちゃん、お正月は実家帰るの?」

「……うん。帰る」

「そっかぁ。楽しんできてね。メールするね。」

「うん、電話でれなかったらごめんな、メールしたいときにしてな。」

グラスを傾けながら、そんな話をしていた。

一ヶ月ぶりだからこそ。

その一つ一つが愛おしかった。

私は、ずっと言いたかったことを、とうとう口にした。

「こうちゃん」

「ん?」

「……会いたかったぁ」

晃哉が私を見る。

一瞬だけ目を丸くして。

それから、口元を少し緩めた。

「……本当に?」

「本当だよ」

「ほんとかぁ?」

「ほんと!」

私が笑うと、晃哉も笑った。

「一ヶ月だよ? 長かったんだから」

「そう?」

「そうだよ」

「俺はそんなでもなかったけど」

「嘘!」

「ほんと」

「絶対嘘~! でも、私こうちゃんに会えてすっごく嬉しい!」

「はいはい。」

子供をあやすように、晃哉は笑った。

一ヶ月会えなかった理由なんて、そのときの私にはもうどうでもよかった。

メールはしていた。

だから、また会えると思っていた。

そして今、こうして会えている。

それだけで幸せだった。

晃哉がグラスを口に運ぶ。

その横顔を見ながら、私は思った。

やっぱり、好きだな。

一ヶ月離れていても。

会った瞬間、何も変わらなかった。

むしろ――

会えなかった時間があったからこそ、今この瞬間が、たまらなく愛おしかった。

あの頃の私は、知らなかった。

この一ヶ月、晃哉が何を考えていたのか。

なぜ、突然sugarに現れたのか。

なぜ、ラスト二曲にあの曲を選んだのか。

そして――

あのとき私を見ていた、あの少し不機嫌そうな顔が。

どんな気持ちから生まれたものだったのか。

私は、何も知らないまま。

ただ、久しぶりに会えたことが嬉しくて。

「会いたかったぁ」と、子供みたいに笑っていた。

ねぇ、こうちゃん。

相変わらず、大人な対応しかしないこうちゃんだけど。

私は、5分でも、少しの時間でも、会えただけでこんなにも幸せだったんだよ。

いつも、こうちゃんは「会いたい」なんて口にすることはなかったよね。

素直に「会いたかった」と笑う私に、こうちゃんはいつも笑っていた。

「本当に?」なんて、からかうように聞いて。

「ほんとだよ」って答える私を見て、また笑って。

あの頃の私は、それだけで幸せだった。

こうちゃんが同じように思ってくれていたのかなんて、聞かなかった。

聞かなくても、会えたことが嬉しかったから。

……今思えば。

私は、こうちゃんの「会いたい」を、言葉ではなく、別の何かで受け取っていたのかもしれないね。

あの夜、ラストに流れた二曲も。

私を見ていた、あの少し不機嫌そうな顔も。

あの頃の私は、まだ何も知らなかったけれど。

それでも私は――

こうちゃんに会えて、本当に嬉しかったんだよ。
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