王太子殿下、終了のお知らせです。
番外編:アンジェリカの憂鬱
アルテーヌの相続人として名乗りを挙げたアンジェリカは、それまで父のグラーシュ公爵が担っていた執務の引継ぎを行っており、多忙な毎日を送っていた。
新しく設えられた執務室で、アンジェリカは、何度断っても性懲りなく送られて来る、王家からの婚約打診の手紙に心底うんざりしていた。
机の隅に積まれた手紙は、国王の玉璽があるため処分が出来ず、日々嵩を増していくお手紙たち。
目にする度に溜息が出てしまう。
◇
朝食後の朝会議の席で、また送られて来た手紙を皆の前に広げた。
「読むまでもない内容だな」
手紙を手に取り、憮然とそう言ったメルヴィルに、アンジェリカはため息交じりに答えた。
「ええ、いい加減、貴族的な長ったらしい返事を書くのが億劫になって来たわ」
「親書として届きますからね。代筆で返信することもできませんし」
秘書官として執務を手伝ってくれているマルコムもため息を吐いている。
バランデーヌ王妃であるお祖母様の後継者として、次期アルテーヌの相続人に指名されているアンジェリカは、トーラント王の王命を拒否する権限を持っている。
しかし、トーラントの貴族と婚姻するにはトーラント王の承認が必要なのだ。
こうして王家からの婚約の申し入れがされている以上、ずっと以前から両家の間で決まっているメルヴィルとの婚約は承認されない。
王家が諦めるまで、この不毛な手紙のやり取りを続けなければならないと思うと気が滅入る。
一体、あと何年かかるのだろう。
それから数日後、またしても届いた王家からの手紙を、アンジェリカが片眉を吊り上げて眺めていた時。
執務室の窓の外から、使用人の子どもたちの楽しそうな歌声が聞こえてきたのだ。
しろヤギさんから届いた手紙を、くろヤギさんは読まずに食べてしまった。仕方なく出したお手紙を、しろヤギさんも読まずに食べてしまう。そして、しろヤギさんが仕方なく出したお手紙を、くろヤギさんがまた読まずに食べてしまって……。
無限ループのその歌は、女神様の啓示の様にアンジェリカの脳裏に響いた。
ヤギに食べてもらえば良いのでは……!
「……ヤギを飼いたい!」
部屋に居た全員が振り返った。
「くろとしろ、どっちにする?」
カールの問いに、カトリーヌが答えた。
「一人ぼっちはだめ。両方にしましょう!」
そう、アルテーヌでは男女二人のペアが基本だ。
「近隣の牧場に問い合わせてみますね」
パトリシアがそう言うと、二人の侍女が音もなく部屋を出た。
見事な連携、みんな本当に頼りになるわ。
そして数時間後、くろとしろの仲の良い番のヤギたちが見つかったと知らせを受けた。
執務室のテラス窓に面した庭にやって来たヤギたちは、木陰でクローバーを食べていた。
試しに手紙を差し出してみたが、二匹とも手紙には見向きもせずにクローバーをもぐもぐ食べている。
「食べてくれない……」
私の呟きに、ヤギを連れて来てくれた牧場の主人が、気の毒そうな顔を向けた。
「手入れされたお庭の新鮮なクローバーの方が、ヤギたちにとっては魅力的なんですよ」
「ご馳走を目の前に、携行食の固いパンを食べろと言われているようなもんだな……」
メルヴィルの分かりやすいたとえに皆が深く頷いた。
まあ、何はともあれ、手紙は食べなくてもヤギたちはとても可愛いくて、そのまま庭で飼うことにしたのだ。
生垣を利用して区切ったヤギたちの庭に家も作り、毎日元気に跳ね回っている姿は、
執務で疲れた私たちをとても癒してくれた。
ところで、必要としていたお手紙を食べてくれる存在について。
ヤギがやって来た次の日、マルコムが執務室に入って来ると、手に持っていた張り紙を暖炉に貼った。
大きく『ヤギ』と書かれたその貼り紙の前に立ち、次々と不要な手紙や書類を放り込んでいる。
「今日から私がヤギの世話係です。不要なものはどんどん渡してください。何せ、ヤギのする事ですからね、誰にも止められません」
そう言ってサムズアップしている。
頼りになる秘書官と側近たちに支えられる私は果報者だ。
その後、番のヤギには次々と子ヤギたちが生まれた。
あっという間に大所帯となってしまい、手狭になった庭では可哀想ということで、元いた牧場に帰る事になった。
涙ながらに別れを告げる私たちを、迎えに来た牧場主は目を丸くして眺めていた。
それ以来、牧場主から子ヤギの誕生の知らせと共に、ヤギ乳のチーズが沢山送られてくるのが楽しみの一つになっている。
緊張を強いられ続けたアルテーヌでの、ほのぼのと温かい大切な思い出の一幕だった。
新しく設えられた執務室で、アンジェリカは、何度断っても性懲りなく送られて来る、王家からの婚約打診の手紙に心底うんざりしていた。
机の隅に積まれた手紙は、国王の玉璽があるため処分が出来ず、日々嵩を増していくお手紙たち。
目にする度に溜息が出てしまう。
◇
朝食後の朝会議の席で、また送られて来た手紙を皆の前に広げた。
「読むまでもない内容だな」
手紙を手に取り、憮然とそう言ったメルヴィルに、アンジェリカはため息交じりに答えた。
「ええ、いい加減、貴族的な長ったらしい返事を書くのが億劫になって来たわ」
「親書として届きますからね。代筆で返信することもできませんし」
秘書官として執務を手伝ってくれているマルコムもため息を吐いている。
バランデーヌ王妃であるお祖母様の後継者として、次期アルテーヌの相続人に指名されているアンジェリカは、トーラント王の王命を拒否する権限を持っている。
しかし、トーラントの貴族と婚姻するにはトーラント王の承認が必要なのだ。
こうして王家からの婚約の申し入れがされている以上、ずっと以前から両家の間で決まっているメルヴィルとの婚約は承認されない。
王家が諦めるまで、この不毛な手紙のやり取りを続けなければならないと思うと気が滅入る。
一体、あと何年かかるのだろう。
それから数日後、またしても届いた王家からの手紙を、アンジェリカが片眉を吊り上げて眺めていた時。
執務室の窓の外から、使用人の子どもたちの楽しそうな歌声が聞こえてきたのだ。
しろヤギさんから届いた手紙を、くろヤギさんは読まずに食べてしまった。仕方なく出したお手紙を、しろヤギさんも読まずに食べてしまう。そして、しろヤギさんが仕方なく出したお手紙を、くろヤギさんがまた読まずに食べてしまって……。
無限ループのその歌は、女神様の啓示の様にアンジェリカの脳裏に響いた。
ヤギに食べてもらえば良いのでは……!
「……ヤギを飼いたい!」
部屋に居た全員が振り返った。
「くろとしろ、どっちにする?」
カールの問いに、カトリーヌが答えた。
「一人ぼっちはだめ。両方にしましょう!」
そう、アルテーヌでは男女二人のペアが基本だ。
「近隣の牧場に問い合わせてみますね」
パトリシアがそう言うと、二人の侍女が音もなく部屋を出た。
見事な連携、みんな本当に頼りになるわ。
そして数時間後、くろとしろの仲の良い番のヤギたちが見つかったと知らせを受けた。
執務室のテラス窓に面した庭にやって来たヤギたちは、木陰でクローバーを食べていた。
試しに手紙を差し出してみたが、二匹とも手紙には見向きもせずにクローバーをもぐもぐ食べている。
「食べてくれない……」
私の呟きに、ヤギを連れて来てくれた牧場の主人が、気の毒そうな顔を向けた。
「手入れされたお庭の新鮮なクローバーの方が、ヤギたちにとっては魅力的なんですよ」
「ご馳走を目の前に、携行食の固いパンを食べろと言われているようなもんだな……」
メルヴィルの分かりやすいたとえに皆が深く頷いた。
まあ、何はともあれ、手紙は食べなくてもヤギたちはとても可愛いくて、そのまま庭で飼うことにしたのだ。
生垣を利用して区切ったヤギたちの庭に家も作り、毎日元気に跳ね回っている姿は、
執務で疲れた私たちをとても癒してくれた。
ところで、必要としていたお手紙を食べてくれる存在について。
ヤギがやって来た次の日、マルコムが執務室に入って来ると、手に持っていた張り紙を暖炉に貼った。
大きく『ヤギ』と書かれたその貼り紙の前に立ち、次々と不要な手紙や書類を放り込んでいる。
「今日から私がヤギの世話係です。不要なものはどんどん渡してください。何せ、ヤギのする事ですからね、誰にも止められません」
そう言ってサムズアップしている。
頼りになる秘書官と側近たちに支えられる私は果報者だ。
その後、番のヤギには次々と子ヤギたちが生まれた。
あっという間に大所帯となってしまい、手狭になった庭では可哀想ということで、元いた牧場に帰る事になった。
涙ながらに別れを告げる私たちを、迎えに来た牧場主は目を丸くして眺めていた。
それ以来、牧場主から子ヤギの誕生の知らせと共に、ヤギ乳のチーズが沢山送られてくるのが楽しみの一つになっている。
緊張を強いられ続けたアルテーヌでの、ほのぼのと温かい大切な思い出の一幕だった。


