ミニマリスト女とマキシマリスト男の恋は平行線
思考はシンプルに
京本 鈴、27歳、飲料メーカーに勤める会社員。趣味 ポイ活、特技 断捨離。独身、彼氏なし。
好きな言葉は「天国には何も持って行けない」
一人暮らしをするアパートは、ウォークインクローゼット付きのワンルーム。リビングには、ローテーブルとベッド、あとは観葉植物。シンクの横に87Lの2ドア小型冷蔵庫。電子レンジは少し前に手放した。
ワードローブは、飽きのこないモノトーン、着回しのしやすいシンプルなデザインで揃えている。そのおかげで、着る服を決めるまでおよそ5秒。
私は世間一般でいう“ミニマリスト”だ。
休日に出掛けるカバンの中身も必要最低限。ハンカチ、ティッシュ、リップクリーム、そしてスマホと家の鍵。スマホさえあれば、財布も、定期券も、本も、通帳も持ち歩かなくていい。なんて便利な時代なんだろう。
月曜日のオフィス、昼休憩終了まで約5分。総務部にある自分のデスクに座る私は、戻ってきた隣のデスクの男性社員に文句を言う。
「ねぇ、いい加減その机の上どうにかなんないの?」
「なんないっスねー。別にきょん先輩の机には侵入してないし、どこに何があるか把握してるんで問題なしです」
「…。」
「逆にきょん先輩の机は何も無さすぎて、人が使ってるかどうか分かんないレベルなんスけど」
「人が綺麗にしてる机をそう捉えるなんて…もっかい大学生やってこい!」
「パワハラはんたーい。そんなのだから彼氏出来ないんですよー」
「…あんたこそセクハラで訴えるわよ?」
この生意気な新入社員、丸山 基樹の教育係になって早3週間。この男に何を言っても無駄なことは分かっている。職場を家と間違えてんのかって思うほど、机の上も引き出しの中も物で溢れかえっているし、出社は始業時間ギリギリ。おまけに服装髪型自由をいいことに派手な色や柄の服を着て、髪色も明るい。これだけ聞くとだめな新卒に思うが、実はこの男仕事が出来る。こちらの言ったことは確実にこなすし、プラスαの行動をさらっとやってみせる。正直、私の新卒時代よりすごく優秀だと思う。
「あはは!きょんまるコンビは、今日も仲良しだなぁ」
外出から戻って来た課長は呑気に笑いながら席に着いた。
「仲良しなんかじゃありません!課長からも言ってやってくださいよ」
「まるの教育係は、きょんだろー」
「そうですけど…」
「きょんなら出来るって」
「…。」
ニコッと笑った課長はパソコンを開き、作業を始めた。
宇和川課長は、5年前に私の教育係をしていた人。私に〈きょん〉というあだ名を付けた人物でもある。いわゆるスピード出世をし、32歳の若さで課長を任されており、部長になる日も近いと言われている。
「お疲れ様です」
「あ、今井さん。お疲れ様です」
別のフロアからやって来た今井 拓実は、私と同期入社で営業部のエース。
「きょん、俺これから取引先行くんだけど、この案件共有しておいてほしい」
書類を渡され、軽く目を通した。
「うん、了解。じゃ、行ってらっしゃい」
「ありがとう。行ってきます」
ジャケットを片手に去って行く後ろ姿を何となく目で追っていた。
「相変わらず夫婦みたいな安定したやりとりー。早く付き合っちゃえばいいのにー」
向かいのデスクから2年後輩である岡 明日香が茶々を入れる。
「岡ちゃんー?」
「はぁーい、ごめんなさーい。でも、同期仲良いの羨ましいなぁ。私、同期組あんまり絡まないんで」
「まぁ、仲は良いかな。4人それぞれ別の部署だけど定期的に集まってるし」
「仲良すぎて恋愛にならないのかな…」
「もう、岡ちゃんはすぐ恋愛に結びつけようとしないの。職場恋愛なんてごく一部の話だからね。さ、仕事仕事。私、備品倉庫行ってくるね」
「あ、備品チェックですか?私、手伝いますよ!」
「え、ほんと?助かるわー」
「岡ちゃん先輩、俺が行くんで大丈夫ですっ」
丸山は私の手にある倉庫の鍵を奪い、ドアに向かい歩き出す。
備品倉庫で、今度の社内イベントで必要な物が揃っているかの確認を始めた。
えーっと…確かあの段ボールだったよね。…うっ、ギリギリ届かないかも。
棚の上段にある段ボールに手を伸ばし、背伸びをしたが指数本が当たるだけだった。
「これですよね」
え…ー
私を後ろから包むような形で、丸山が段ボール箱を取った。
「背伸びするくらいなら、ちゃんと脚立使ってくださいよ」
「…ごめん。ありがとう」
…どうしよう、不覚にもドキッとしてしまった。
「向こうに置いておきますねー」
「…あ、うん」
丸山にというより、男らしさを感じるシチュエーションにドキッとしただけだけど。
丸山が総務部に配属されて約1ヶ月。土曜日の昼間、他部署との合同歓迎会兼親睦会が川沿いのキャンプ場で開催された。今日参加しているのは、営業部、総務部、経理部の社員たち。
バーベキューの準備が整い、営業部の部長が乾杯の挨拶を始めた。
「えー新入社員の皆さん、職場には慣れてきましたでしょうか?自分の部署だけでなく、他部署との仲も深めてもらえたらと思います。…素敵な出会いに乾杯!!」
「かんぱーい!」
全員での乾杯の後、宇和川課長は総務部のテーブルで丸山に対し改めて言った。
「もうすっかりうちの部に馴染んでるけど…まる!総務部へようこそ!これからよろしくな。かんぱーいっ!」
「皆さん、引き続き俺のことよろしくお願いしまーすっ!」
営業部の人たちが飲み物片手に挨拶をしに来る。
「お疲れ様でーす!うちの新人の小池です。どうぞ可愛がってやって下さい」
岡ちゃんの同期である男の子が、新入社員の女の子を紹介してくれた。
「小池です。ご迷惑をおかけすることもあるかと思いますが、どうぞよろしくお願いします」
「あはは、そんな畏まんなくていいよ。小池さん、新人研修で会ったよな?」
「あ、はい」
「すごく明るくて話しやすそうだったから、絶対営業だろうなって思ってたんだよ」
「え、ほんとですか?嬉しいです!」
「ちょっと、宇和川課長。うちの新人を口説かないで下さいよー!」
「口説いてねーよ。純粋に褒めてるだけ」
「お疲れ」
今井が缶ビールを私のプラスチックコップにコツンとしてきた。
「お疲れ。今日は飲んでるんだね」
「関根が車で送ってくれるから」
関根とは、私たちの同期で経理部所属の男。
「私も送ってほしいー」
「方向違うし、定員オーバー」
「残念。…小池さん、良い子そうだね」
「うん、素直で良い子」
「あの子の教育係って、今井?」
「ううん、先輩がしてる」
「そうなんだ。ま、営業部のエースは忙しくて、指導する暇もないか」
「そんなんじゃないから。俺らの中で教育係してるのきょんだけだよ。関根は明らかに教え下手だし、しまむーのとこは今年は中途いないみたい」
「そういえばこの前しまむーが、今日の新歓乱入しようかなとか言ってたわ」
しまむーこと島村 夏帆は、マーケティング企画部に所属する同期組のうちの1人。経験と即戦力が問われる部署のため、ある程度経験を積まなければ配属されることはなく、新卒が選ばれることはほぼない。
しばらく経ち、丸山が同期であろう男性社員たちと川に足をつけ戯れているのを課長の隣で肉を頬張りながら見ていた。
「なぁ、きょん」
「はい」
「7月の繁忙期までにきょんの教育係終わるのが理想なんだけど、まる大丈夫そ?」
「大丈夫だと思います。業務の8割教えたので、残り2割を覚えてもらいつつ、フォローに回るつもりで考えてます」
「おっけ、助かる。…つうか、まるって誰とでもコミュニケーション取れるじゃん?」
「そうですね。歳上とか関係なくずけずけ絡みますからね」
「仕事出来そうだし、うちにいてくれるのはありがたいけど、営業とか他の部署の方が合いそうだよな」
「…たしかに。まぁ、新卒の配属は上が勝手に決めますからね。3年目からですっけ?他部署への異動希望出せるのって」
「うん、そうだよ。…新卒の部署決めは上が決めるけど、ある程度本人の意思や雰囲気で決めてんだよ。で、何故かまるは書類選考の時点で総務部希望だったらしい」
「えっ!?そうなんですか!?…知らなかった」
「理由がさ…」
「いっってぇぇーーーっ!!」
「…!?!?」
突然、丸山の大きな叫び声が響き渡った。
「どうした!?」
課長や岡ちゃんと駆け寄ると、丸山は川から出て足の裏を確認していた。
「ガラスの破片で切っちゃいましたぁー。痛いよぉー」
「結構血出てんじゃん。救急箱とかあったっけな」
「消毒しておかないとバイ菌入るよね!?」
「私、施設の人に救急箱あるか聞いてくる!」
無事に応急処置をした丸山は、片足を包帯でぐるぐる巻いた状態になっていた。
会がお開きになり、バーベキューの後始末をしている最中。
「きょん!この怪我人家まで送ってやって」
「えぇー、何で私なんですか!」
「路線同じだし、教育係だろ?」
「今は関係ないと思うんですけど」
「きょん先輩、お願いしまーす」
怪我人とは思えない笑顔で、私の肩に手を置いた丸山。
「…。」
丸山に肩を貸し電車に揺られ、駅から歩き着いた家は、玄関ドアが全て1階部分に並ぶメゾネットタイプのアパートだった。
丸山の部屋は2階らしい。つまり、玄関で任務完了ではなく、階段を上り切るまで肩を貸さなければならない。
「お邪魔します」
「どうぞどうぞ」
幅の狭い階段を大人2人で上るのは、無駄に身体が密着して動きづらい。
やっと着いたリビングのドアを開け驚いた。
「……なにこれ」
リビングの壁には、天井まであるオープンシェルフ型の棚があり、沢山の本や雑貨、写真が飾られている。
「あれ、言ってなかったですっけ?…俺、マキシマリストなんですよ」
……マキシマリストって…あのマキシマリスト?
「あ、汚部屋と一緒にしないでくださいね?俺はちゃんと整理整頓してお洒落に飾ってますから」
職場では見たことのないドヤ顔で言ってくる丸山は、頼んでもいないのに寝室であろうもう一部屋のドアを開け、大量の服や帽子が収納されたスペースを見せてきた。
「それぞれのスペースでテーマを決めてるんです」
「へぇ」
確かにモノは多いけど、統一感はある気がする。
「会社から遠いけど、安くて広い1LDK借りるためにここにしたんですよ」
「そうなんだ」
自分がミニマリストだからといって、他人の生活空間を否定するつもりは全くない。
「じゃあ、私帰るね。お大事に」
「あの、この足でシャワー浴びて大丈夫スかね!?」
「んー、包帯は濡れるし、染みるかもね。タオル濡らして体だけ拭けば?あ、汗拭きシートでもいいんじゃない?」
「えー、汗かいたし髪洗いたいんですけど!」
「こんだけ物があるんだから、ドライシャンプーとか持ってないわけ?」
「ないっスよそんなもん。自分の好きな物を沢山置いてるだけで、何でもあるわけじゃないですから!」
「…え、なに。私に買ってこいってこと?」
「違いますよー。…洗ってくれたら嬉しいなぁって」
「…はい?」
わざとらしく、きゅるるんみたいな目で見てきたが私には無意味だ。
「…帰る。ていうか鍵貸して」
「鍵?」
「家の鍵!私が閉めてポストに入れておくから。そしたら今日は階段上り下りしなくて済むでしょ」
「あーなるほど!さっすがきょん先輩!」
「…どうも。じゃあ、お邪魔しました」
…ガチャ、リビングのドアを開けてくれた丸山は、少し顔を傾け覗き込むように言ってくる。
「次はゆっくり遊びに来てくださいね?」
「…いつかね」
人の家の鍵を閉めたのは、いつ振りだろう…。
週明けの月曜日。いつも通り始業時間ギリギリに出社した丸山は、靴下にサンダル姿で現れた。
「おはようございまーす」
「まる、おはよう。足、大丈夫?」
「まだ痛いっす。課長に許可もらったんで、痛み引くまでサンダルで通勤します」
「そうなんだね。なんか不便なことあったら言いなよ?」
「岡ちゃん先輩優しー。その優しいお気持ちだけで充分です。…治るまでこの肩に頼るんで」
そう言って私の肩にポンと手を置いた丸山。
…こいつ。
「家から会社まで1人で来れたんだから、貸さないわよ」
手を払った私に対し、丸山は口を尖らせた。
昼休憩中、自動販売機コーナーへ行くと丸山がいた。
「あ、きょん先輩。ちょうどよかった。土曜のお礼に奢らせてください」
普通はここで遠慮するのが大人の女なのかもしれないが、飲み物1本分くらいの労働はしたはずだ。
「じゃあ、キャラメルラテかピーチソーダでお願い」
「なんスかその2択」
自動販売機前に設置されているソファに座った。
ぴとっ
「…!」
両頬にペットボトルを当てられ、ビクッとなった。
「どーぞ!」
丸山の手にはキャラメルラテとピーチソーダがあり、キャラメルラテを受け取った。
「ありがとう」
「いやいや、どっちも受け取ってくださいよ」
「え、1本でいいよ。そっちは丸山が飲みな」
「だーめっ、2本受け取ってください!俺の愛をいっぱい込めたんでっ!」
ピーチソーダをふりふり横振りしながら、無邪気な笑顔を見せた丸山。
簡単に愛とか言えるなんて…若さって恐ろしい。
アパート近くのカフェで、1人ランチを楽しんだ日曜日の午後。
家に帰る途中、見覚えのある男が道沿いに立っていた。眉間に皺を寄せ、スマホと睨めっこしているのは丸山だ。
「…何してんの?」
「…え!きょん先輩!?」
「家この辺だったんスねー」
「で、目的のお店は見つかったの?」
「それが何回マップ見ても辿り着かなくて。もしかして潰れたのかな」
「なんて店?」
丸山のスマホ画面を覗き込んだ時だ。
…ぽつっ…ぽつっ…
「…えっ、雨!?」
ポツリときた雨は一瞬にして土砂降りになった。
「わぁ!ゲリラ豪雨じゃん!きょん先輩、これ被って」
丸山は迷うことなく自分のシャツを私の頭に被せた。
「どっかコンビニに…」
「だめよ。こんなびしょ濡れで入店しても迷惑だし、冷房で風邪引くから」
「えーじゃあ、どうすんスか」
…一旦ウチに行くしかない。
「こっち来て」
ずぶ濡れの丸山とアパートの玄関の中へ入って行く。
「お邪魔しまーす」
「床濡れてもいいから、そのままシャワー浴びておいで」
「いやいや、さすがに風呂借りるのは申し訳ないです。それにきょん先輩だって濡れてるし」
「私はシャツのおかげで足元以外そんな濡れてないから、タオルで拭いて着替えれば十分。ここにタオルあるから使って。後で着替え置いておくね」
「何から何までありがとうございます。…じゃ、お言葉に甘えてシャワーお借りします」
ウォークインクローゼットにある収納ケースを開け、考え込む。
…私のだとさすがに小さいよねぇ。うーん…仕方ないか…。
隅に置いている小さな段ボール箱から男物の部屋着を取り出した。
「シャワーありがとうございました」
半袖Tシャツにジャージのズボンを着た丸山が、浴室からリビングに来た。
「いえいえ。あ、コーヒー飲む?」
冷蔵庫から取り出した冷たいボトルコーヒーをコップに注ぐ私の近くで、丸山は部屋を見渡し立ち尽くしている。
「え…ここで生活してんスか?」
「そうだけど、なに?」
「んーと、俺の目がおかしいのかな。視力2.0あるはずなんだけど。…ベッドとローテーブルしか見えない」
「そこに観葉植物もあるでしょ?」
「いや、ありますけど。生活感がゼロというか…引っ越ししたてみたいな?」
「それはどうもありがとう」
「いや、褒めてないです」
「クローゼットの中に服もあるし、防災セットも置いてるし、何も無いわけじゃないから。必要最低限のもので生活して、心と時間を豊かにしてるの。…はい、どうぞ」
ローテブルの上にコーヒーの入ったガラスコップを置いた。
「…ほんとに豊かになってるんですか?」
「え?」
「つうか、この部屋に男連れ込む気あります?」
「…は?私に彼氏いないの知ってるでしょ?それにそもそも連れ込みたいとも思わ…っ」
突然、話を遮るようにローテーブル前で膝をついたままの私の真横に丸山がしゃがみ込んできた。
「…俺も一応男なんですけど」
じっと見てくる丸山の表情は、私の知らない男の顔をしている。
ここまで至近距離で丸山の顔を見るのは初めてで、こいつこんなに顔整ってたんだ…と思った。
「……。」
「…ミニマリストとマキシマリストって、一緒に暮らせると思います?」
「何いきなり……そんなの試してみないと分からないじゃない…」
「…なら試してみません?俺と」
口角を上げた丸山。
「……え」
教育係終了まで残りわずか。この男のことは、ある程度理解したつもりでいた。しかし、ここにきて初めての難題が訪れたかもしれない。
…この微笑み、冗談?本気?……どっち?


