あなたの知らない、それからのこと
18.いつまでも一緒に
「それまでの人生はつらい思い出しかなかったのか、身についていた生活の動作以外ほとんど何も覚えていなかった。でも新しい人生はとても楽しそうでいつも笑顔だった。だから令嬢であったことを思い出さなくてすむよう、その後は敬語をやめて愛称や『レベッカ』と呼ぶようになったんだ。何者でもないレベッカと従者ではないクライヴとして」
物心ついてからの記憶をなくしてしまったレベッカと、なくしてしまった記憶以外を思い出せない凛香。どちらも不完全ではあるが、クライヴであった晴輝がいうのなら間違いないだろう。それはレベッカとしても凛香としても、彼なら信用できると思っているから。
「そうなんだ……でも良かった。記憶の中でレベッカはいつも言い知れぬ辛さを抱えていたもの。それで……クライヴは……貴方はそれからの生活はどうしたの? 解放されて幸せになった?」
レベッカの唯一の心残りだ。幼馴染でかつ兄のような存在であり、初恋の人。それからレベッカが足かせとなって縛り付けてしまっていた人。その後のレベッカを知っているということは交流はあったのだろう。
「解放、というと少し違う気もするが、自らの意志で選んだ人生は色々あったけれど……まぁ、うん。とても幸せでだったよ」
微笑む姿は晴輝としては違和感があるが、クライヴの面影が重なって胸が締め付けられる。少し寂し気なその笑顔は、エルバートの婚約者になってから何度も見てきたものだ。何かを抑えているような表情は少し気になるが、彼本人から幸せだったと聞けて安心した。
「良かった。それだけが心配だったの」
何も分からない状態なら、クライヴが新しい人生を送って離れ離れになったとしても傷つかずに済んだはず。詳しく聞きたいけれど、それも全て過去であり、今、二人はこの世界で出会って恋人同士になったのだから十分だ。
「クライヴのその後は気にならない?」
だから晴輝の言葉に目を瞬かせた。気にならないといえば嘘になるが、知ったところでどうしようもないことだ。
「それは気になるけど……でもそれからのことは覚えていないし、今を生きているんだからもういいの」
「そうだった。レベッカはそういう前向きな性格だったのに、それをあの男が台無しに……」
沸々と何かを思い出したかのような晴輝の背中を撫でて宥める。寄り添ってくれていたクライヴが、そうやって怒ってくれていたことはとても嬉しい。
「まぁまぁ、それよりも私は長いことクライヴを縛り付けてしまっていたことのほうが気になってたから」
「そんなこと気にしなくていい。寧ろ縛り付けているのは……」
「え? ごめんなさい。聞こえなかったわ」
近くにいるというのにあまりにも小さな声で聞き取れなかった。晴輝のほうを見つめると、前髪をくしゃりと掻き混ぜながら頭を振った。
「いや、なんでもありません……ああ、凛香にお嬢様の面影が出るとつい敬語になってしまう」
「ふふふ、どっちでもいいよ。どちらでも私の好きな人だもの」
「ああもう、そんなに煽るなよ。今だって直ぐにでも押し倒したいのを、理性でギリギリ抑えているんだから」
「あ、え、っとごめんなさい……?」
頬を撫でられて、軽くキスを落とされる。ホテルの一室というシチュエーションも相まって、身体の奥の官能に火が灯りそうな感覚だ。しかしそれを正直に伝えるには恥ずかしすぎて、凛香は小さく頭を振った。まだ気になっていることがある。
「もうひとつだけ聞いてもいい? 私たちみたいな人って周囲にいるのかな?」
「んー、いないはずだけど……もし見つけたとしても、今世は誰かに人生を強制されることはそうない。心配しなくてもこれからも俺がずっと側にいるから」
安心させるように抱きしめて背中を撫でられる。温かくて大きな手の平と彼の匂いに、目の奥がじんわりと熱くなる。ああ、晴輝のシャツを汚してしまう。でも長年のしがらみから解放された安堵感と、恋人が前世も好きだった人だと分かった喜び。色んなものがごちゃ混ぜになって、溢れてしまう涙は止められそうにない。そんな様子に気付いたのだろう、背中を撫でる手はそのままに反対の手で優しく頭を撫でられる。
涙を拭われながら、どちらともなく重なり合った唇は次第に深いものになっていく。お陰で涙は引っ込んだ。
「……クライヴはレベッカも愛していたけれど、俺は凛香も、レベッカだった凛香も愛してるから。俺は、その……気を抜くと口調が変わってしまうから気になるかもしれないけど、多分日常生活を送る分にはクライヴに引っ張られることはないはずだ」
「うん。分かってるよ。あまり人前で命令口調にならないようにする」
口づけの合間に思い出したかのように話始めた晴輝の声が心配そうに聞こえ、凛香は小さく笑みを零した。できることなら、もっと早くに晴輝とこの話をしておきたかった気持ちはあるものの、いつもどこかで一歩引いていた凛香には無理だっただろう。前世と今世を分けているようでいて、その実、一緒くたにしていたのだから。エルバートの影に怯えて。
「だからどうか、俺の元から離れていかないでくれ。自分でも重いって分かってるけど……」
少しだけドキリとした。晴輝ときちんと向き合わずに、勝手に怯えて距離をとろうと考えていたことは、心の奥底にしまっておくことに決めた。記憶にある最後のほうのレベッカも不安定だったが、晴輝は一連のことを知っているからか、今でも随分と凛香を失うことに不安を感じているように思えた。
「大丈夫。ずっと一緒にいるよ」
クライヴの記憶がある晴輝が、再びレベッカの面影を凛香に見つけてくれたのはただただ嬉しい。本来の晴輝の性格は、寡黙で人付き合いが苦手なのだろう。それなのにさらに人見知りの凛香に近付いてきてくれたのだ。そのことを素直に喜びたい。長い時を経てようやく肩の荷が下りたのか気分は晴れやかで、これから先も晴輝のことを心置きなく愛せるのが嬉しくて仕方がなかった。
「見つけてくれてありがとう。晴輝くん」
グッと言葉に詰まった晴輝は、少しだけ泣きそうな顔をして、慌てて凛香の肩に顔を埋めた。
物心ついてからの記憶をなくしてしまったレベッカと、なくしてしまった記憶以外を思い出せない凛香。どちらも不完全ではあるが、クライヴであった晴輝がいうのなら間違いないだろう。それはレベッカとしても凛香としても、彼なら信用できると思っているから。
「そうなんだ……でも良かった。記憶の中でレベッカはいつも言い知れぬ辛さを抱えていたもの。それで……クライヴは……貴方はそれからの生活はどうしたの? 解放されて幸せになった?」
レベッカの唯一の心残りだ。幼馴染でかつ兄のような存在であり、初恋の人。それからレベッカが足かせとなって縛り付けてしまっていた人。その後のレベッカを知っているということは交流はあったのだろう。
「解放、というと少し違う気もするが、自らの意志で選んだ人生は色々あったけれど……まぁ、うん。とても幸せでだったよ」
微笑む姿は晴輝としては違和感があるが、クライヴの面影が重なって胸が締め付けられる。少し寂し気なその笑顔は、エルバートの婚約者になってから何度も見てきたものだ。何かを抑えているような表情は少し気になるが、彼本人から幸せだったと聞けて安心した。
「良かった。それだけが心配だったの」
何も分からない状態なら、クライヴが新しい人生を送って離れ離れになったとしても傷つかずに済んだはず。詳しく聞きたいけれど、それも全て過去であり、今、二人はこの世界で出会って恋人同士になったのだから十分だ。
「クライヴのその後は気にならない?」
だから晴輝の言葉に目を瞬かせた。気にならないといえば嘘になるが、知ったところでどうしようもないことだ。
「それは気になるけど……でもそれからのことは覚えていないし、今を生きているんだからもういいの」
「そうだった。レベッカはそういう前向きな性格だったのに、それをあの男が台無しに……」
沸々と何かを思い出したかのような晴輝の背中を撫でて宥める。寄り添ってくれていたクライヴが、そうやって怒ってくれていたことはとても嬉しい。
「まぁまぁ、それよりも私は長いことクライヴを縛り付けてしまっていたことのほうが気になってたから」
「そんなこと気にしなくていい。寧ろ縛り付けているのは……」
「え? ごめんなさい。聞こえなかったわ」
近くにいるというのにあまりにも小さな声で聞き取れなかった。晴輝のほうを見つめると、前髪をくしゃりと掻き混ぜながら頭を振った。
「いや、なんでもありません……ああ、凛香にお嬢様の面影が出るとつい敬語になってしまう」
「ふふふ、どっちでもいいよ。どちらでも私の好きな人だもの」
「ああもう、そんなに煽るなよ。今だって直ぐにでも押し倒したいのを、理性でギリギリ抑えているんだから」
「あ、え、っとごめんなさい……?」
頬を撫でられて、軽くキスを落とされる。ホテルの一室というシチュエーションも相まって、身体の奥の官能に火が灯りそうな感覚だ。しかしそれを正直に伝えるには恥ずかしすぎて、凛香は小さく頭を振った。まだ気になっていることがある。
「もうひとつだけ聞いてもいい? 私たちみたいな人って周囲にいるのかな?」
「んー、いないはずだけど……もし見つけたとしても、今世は誰かに人生を強制されることはそうない。心配しなくてもこれからも俺がずっと側にいるから」
安心させるように抱きしめて背中を撫でられる。温かくて大きな手の平と彼の匂いに、目の奥がじんわりと熱くなる。ああ、晴輝のシャツを汚してしまう。でも長年のしがらみから解放された安堵感と、恋人が前世も好きだった人だと分かった喜び。色んなものがごちゃ混ぜになって、溢れてしまう涙は止められそうにない。そんな様子に気付いたのだろう、背中を撫でる手はそのままに反対の手で優しく頭を撫でられる。
涙を拭われながら、どちらともなく重なり合った唇は次第に深いものになっていく。お陰で涙は引っ込んだ。
「……クライヴはレベッカも愛していたけれど、俺は凛香も、レベッカだった凛香も愛してるから。俺は、その……気を抜くと口調が変わってしまうから気になるかもしれないけど、多分日常生活を送る分にはクライヴに引っ張られることはないはずだ」
「うん。分かってるよ。あまり人前で命令口調にならないようにする」
口づけの合間に思い出したかのように話始めた晴輝の声が心配そうに聞こえ、凛香は小さく笑みを零した。できることなら、もっと早くに晴輝とこの話をしておきたかった気持ちはあるものの、いつもどこかで一歩引いていた凛香には無理だっただろう。前世と今世を分けているようでいて、その実、一緒くたにしていたのだから。エルバートの影に怯えて。
「だからどうか、俺の元から離れていかないでくれ。自分でも重いって分かってるけど……」
少しだけドキリとした。晴輝ときちんと向き合わずに、勝手に怯えて距離をとろうと考えていたことは、心の奥底にしまっておくことに決めた。記憶にある最後のほうのレベッカも不安定だったが、晴輝は一連のことを知っているからか、今でも随分と凛香を失うことに不安を感じているように思えた。
「大丈夫。ずっと一緒にいるよ」
クライヴの記憶がある晴輝が、再びレベッカの面影を凛香に見つけてくれたのはただただ嬉しい。本来の晴輝の性格は、寡黙で人付き合いが苦手なのだろう。それなのにさらに人見知りの凛香に近付いてきてくれたのだ。そのことを素直に喜びたい。長い時を経てようやく肩の荷が下りたのか気分は晴れやかで、これから先も晴輝のことを心置きなく愛せるのが嬉しくて仕方がなかった。
「見つけてくれてありがとう。晴輝くん」
グッと言葉に詰まった晴輝は、少しだけ泣きそうな顔をして、慌てて凛香の肩に顔を埋めた。