あなたの知らない、それからのこと

25.突然の別れ

「ベッキー!」
 ガゼボの屋根の下で、ずっと探していた赤い髪が見えた。いつしか呼び慣れた愛称を叫べば、振り向いた表情が驚きから一瞬にして崩れる。
「クライヴ!」
 レベッカの周囲に控えていた護衛たちの数は確かに多くはない。が、それでも彼女を護るように、一斉にクライヴへと剣を向けた。しかし大きなお腹に構うことなく走り出したレベッカに、たじろいで剣を下ろす。胸に飛び込んできた妻を抱きしめると、涙がこみ上げてきた。直接この目で見るまでは、万が一の事態が頭を離れなかったから。頬に手を添えて顔を上げ、ようやく会うことができた妻を穴が開くほど見つめた。少し痩せてしまったようだが、変わらない様子に安堵の息を零して唇を重ねた。
 唇はレベッカの感触に変わりがないのに、鼻腔を掠めるのはクライヴの知らない、いつもと違う香りだ。さらに鮮やかな緑色のドレスは手の届かなかった、公爵令嬢に戻ってしまったようで悔しさが増した。しかし今はそんなことを考えている場合ではない。
「ああ、会いたかったわ! 皆は、あの子は無事?」
「もちろん。でも大事な身体なんだから走っちゃダメだよ。酷いことはされていない?」
「毎日この国一番のお医者様が診てくれているの。身体はなんどもないわ。順調よ。……どうしてこの城に閉じ込められているのか全く分からなくて戸惑っていたけど、なんとなく状況は理解できたつもり。私は大丈夫だから、だからどうか無茶はしないで」
 抱き合っていても騎士たちに引き離される気配はなかった。戸惑いがちに遠巻きにしているのみ。彼らも命令だから従っているだけで、内心は同情されているのかもしれない。
「駄目だ! 今を逃せば一生会えなくなる。騎士たちに頼んで逃がしてもらおう。なんなら公爵家に引き入れてもいい」
「でも……っ!」
 レベッカが息をのんだ瞬間、空気がピリッと張り詰めた。同時にクライヴの背後から怒声が響く。
 
「レベッカから離れろ! しつこい奴め!!」
 振り向かなくてもエルバートだと分かる。思ったより早く見つかってしまったらしい。
 
「あぶない!!」

 しかし次の瞬間、腕を思いっきり引っ張られて、クライヴは前方に踏鞴を踏んだ。すんでの所で転ばずにすんだクライヴが振り向くと、両手を広げているレベッカの背中に銀色の先端が突き出ていた。その先端からスローモーションのように、徐々に赤い液体が伝い地面に落ちて広がっていく。ふわりと赤毛が傾いで剣先が背中から消え、地面から金属音がした。頭で理解するより先に身体が動き、抱き留めながら地面にへたり込むと、胸元の白いフリルが真っ赤に染まっていた。じわじわと広がっていくそれは緑色を深い茶色に変えていって、クライヴの歯の根が合わなくなる。
「レベッカ!! レベッカ!!」
 先ほど合わせたばかりの唇が、口紅とは違う赤で濡れている。レベッカのドレスは真っ赤に染まり、徐々に失っていく血色にクライヴは気が狂ってしまいそうだった。寧ろ気が狂えたらどんなに楽か。
「どうして!」
「ごめんなさい……身体が勝手に動いちゃったわ。貴方は私の立派な騎士だというのに」
「喋らなくていい! 早く! 医者を!」
 クライヴの声に反応した誰かが、慌てて走っていく足音が聞こえる。固まっていた騎士や侍女たちも我に返ったのか、周囲が俄かに騒がしくなっていった。
「お願いが、あるの。この子は……産んであげられないけれど、クライヴは生きて。あの子を悲しませてしまうから」
「い、嫌だ! 貴女も子供も、生きていてくれ!」
「ずっと好きだったわ。……少しの間だけでもクライヴのお嫁さんになれて良かった」
 記憶が戻ったかのような台詞だが、しかしこの状態では嫌な予感しかしない。止めてくれ。クライヴは声にならなくて、別れを拒否するように激しく首を横に振ることしかできない。
「う、生まれ変わっても、私を見つけて、ね? 今度こそ誰にも邪魔されずに一緒に……生きたい……」

「ぅああぁーーーーっ!」
 口からゴポリと大量の血が溢れ出し、腕の中の身体が脱力して、慟哭を上げたところまでは覚えている。暴れ出したエルバートを騎士たちが抑えるのを横目に、城から大勢が走ってきていたような気がする。そこから数日間の記憶がない。
 
 気が付いたときにはクライヴは公爵領で、レベッカの髪飾りを握りしめて彼女の墓標の前に跪いていた。あの城での惨劇が昨日のことなのか、それとも随分と日にちが経っているのか全く分からない。一日の感覚がないのだ。
 
 皮肉なことに王城にいたことで産み月には少しだけ早かったが、出産のために控えていた医師たちにより、奇跡的にもレベッカのお腹の子どもだけは助かった。城から公爵の屋敷までついてきた医師がつきっきりで診ているが、身体が小さいだけで健康状態に問題はなさそうだ。そう、レベッカの最期の頼みだから、残した子供たちのためにクライヴはまだ潰れるわけにはいかない。だからといって最愛の死を受け入れられたわけではないのだけれど。気付いたらレベッカの護衛騎士か、恋人か夫か、今はどの時期だっただろうかと錯覚するくらいには、頭がおかしくなっているけれど。
 あの日、同時にクライヴの時も止まってしまった。時間とともに色々なことが片付いていくし、子供たちも成長していくが、ずっと舞台の外で見ているような不思議な感覚はいつまで経っても消えてくれない。

「……申し訳ありません」
「お前は悪くない。だからどうかレベッカが守った命を大切にしなさい」
「……はい」
「それよりあんな男が治める国はもうおしまいだ。その準備をしよう」
 悲報に嘆き悲しんだが公爵夫妻は、庇われたクライヴを責めたりはしなかった。寧ろ婚約破棄で辛い思いをしただけでなく、連れ去られた挙句に命を散らされたレベッカの仇を討とうとクライヴを鼓舞した。
 
 それから間もなくバートン家は隣国の統治下に入り、大勢の兵を引き連れて王城に攻め入ってエルバートを討った。あんなに沢山いた近衛騎士たちにも見限られたのか、城には殆ど人の気配がなく、ただの抜け殻状態になっていた彼は大した抵抗もせず。王妃は自分の行動がきっかけで悲劇が起きてしまったと悔やんで、クライヴに首を差し出したが、レベッカのために残りの人生は祈りを捧げてほしいと、修道院に送ったのだった。

――そして小さな国は地図上から消えた。

 クライヴは公爵として執務を行う傍ら、血眼になって生まれ変わりについて研究した。今のクライヴの生きる希望は、彼女の遺言でもある、来世で再び出会うための確証を得ること。必死になって文献を漁り、研究者や呪術師を調べては会ってみたりした。元々護衛騎士だったクライヴにとって、体術や剣術には長けていても呪いは専門外だ。だからといって諦めるわけにはいかない。そのおかげでなんとか生きていられた。
 
 時は流れ、クライヴが執念で見つけた希望は、レベッカが飲んだ薬を作ったと言われている遠い国に伝わる呪術であった。自身の命を代償にするというが、そんなもの惜しくはなかった。レベッカの死から二十年後、家督を息子に譲り、娘の結婚を見届けると、彼らに永遠の別れを告げてクライヴは姿を消した。
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