あなたの知らない、それからのこと
6.噂
案の定、一週間もすれば周囲もそれぞれ他の話題や興味に移り、凛香の変化も馴染んでいた。家族にも心境の変化を訊ねられたものの、長かった前髪を切って表情をよく見せることは望まれていたらしく、とうとうお洒落に目覚めたのか、という感想で落ち着いた。
ただここ数日、やたら耳にするようになった噂がある。凛香が津山晴輝と付き合っているらしい、ということだ。晴輝といえば、駅で偶然会って一緒に帰った記憶が凛香の中で新しい。あの日だって、電車の中で特に何を話したわけでもなく、改札を出たところで別れたのだ。レベッカの記憶がある今でなら、王太子エルバートとの会話の全く弾まないお茶会を彷彿とさせた気まずさがあった。初めの頃に頑張って会話をしようとしていた辺りの。けれどエルバートと違い、晴輝は同じように寡黙でありながらも、居心地は悪くなかった。それだけだったのに、なぜ?
「津山くんとどうなったの?」
以前よりは気軽に話しかけてくるようになったクラスメイトから、そう聞かれても、
「どう……とは? 何もないけれど……」
と、答えるしかなかった。
だって元々何ともないのに、何が起こるというのだろう。本当に意味が分からない様子の凛香に、尋ねてきたほうが首を傾げるのだ。それはこちらの方だと思ってしまう凛香は悪くないはず。すると相手もこれは何かがおかしいと思ったのか、
「うーん、そうなんだ……?」
と、引き下がられてしまい、凛香もそれ以上の追及はできなかった。
しかしそんなふうに言われてしまえば、今までは気にも留めなかったというのに、つい彼が視界に入ると目で追ってしまうというもの。結果、晴輝とよく目が合うようになったのだ。あまりにも不躾に見過ぎてしまったのかもしれない。これではますます周囲が勘違いして、晴輝に迷惑をかけてしまうと無理矢理視線を剥がす日々。レベッカとしても凛香としても、あまり人と関わってこなかったゆえにどうしたらいいのか分からず、最近の悩みの種だった。
* * *
「はぁ……」
凛香はお弁当箱を持って溜め息をついた。
通常教室が並ぶクラス棟と専科の特別棟を結ぶ渡り廊下に並ぶベンチ。そこは中庭として木や花が植えてあり、クラスや学年の違う恋人や友達同士の昼食場所として人気であった。四限目の終わりを告げるチャイムが鳴ると、凛香はお弁当を持ってその渡り廊下から中庭を横切った。抜けた先の大きな木の下にあるピロティスペースは、一人がけの椅子が点々と置かれていて、主に一人で静かに昼食をとりたい生徒に人気の場所である。それは今までの凛香も例外ではなかった。
お気に入りの椅子に腰かけると、ようやく一息つける。凛香がレベッカとしての記憶を思い出して以降は、ここですら以前よりは視線を感じるものの、話しかけてくるような生徒は一人もいないのはありがたかった。皆それぞれ自分の時間を過ごすことに集中し、いつもと変わらない空間になっていて落ち着ける。レベッカの矜持として人前で堂々と振る舞っているものの、流石に昼休みくらいは一人の時間を過ごしたい。
「……っ!」
食べ終わった弁当箱を片付けていると、目の前に気配を感じて凛香は顔を上げて息をのんだ。まさか噂になってしまっている件の晴輝が目の前に立っているなんて。人が疎らとはいえ無人ではない。またしても好奇の目に晒されてしまうのではないだろうか? そう、エルバートが心変わりをしたことが社交界に広まったときのように。チラリチラリと視線が向けられては針のように突き刺さっている心地がする。実際はそこまで見られてないのかもしれないが、レベッカの記憶のせいでいつも以上に不安に駆り立てられていた。
無言で去ることも考えたが逆に意識をしていると取られては敵わないし、付き合っていると囁かれている以上、喧嘩でもしたのかとまた噂になるのは御免だ。だからといって無視もできないと意を決する。
「あの、津山……くん?」
「…………」
凛香が声をかけるも晴輝は黙ったまま、ジッと見つめてくる。周囲の視線も合わさって受け居たたまれなくなった凛香は、ランチバックに弁当箱を押し込んで立ち上がった。
「ここ、使いたかったかな? 私、もう教室に戻るから。良かったら、どうぞ」
「あ……」
晴輝のほうは見ないまま、この場を去ろうとした凛香の背後から小さな声が聞こえた気がした。距離からして晴輝しかありえないが、しかし振り向く勇気は出なかった。それでも凛香の今までの性分に引っ張られて俯きそうになる自分自身を叱責し、前を向いて歩き出す。何も後ろめたいことはしていないのだから。あの時も今も。
「待っ……」
晴輝の切羽詰まったような声が聞こえた気がしたが、振り返らずに足を進める。
駅でのやり取りを思い出し、もしかしてという疑念が頭を過る。しかしこんな身近に自分を含め二人も、前世(かどうか定かではないけれど)の記憶があるはずがない。それでも嫌な予感がして、晴輝とはあまり関わらないでおこうと心に決め、少し早歩きで中庭を後にした。
* * *
凛香の通う高校は、よくある一般的な規模の校舎だ。生活を送る中で、偶然すれ違ったりすることはある。それでもここ最近、晴輝との遭遇率は異常だった。すぐに視界に入ってしまうのは彼の背が高いからだけではない。自意識過剰なのかもしれないが、それを差し引いたとしても多過ぎる。
視線を感じれば敢えて見ないようにして、遠くにでも晴輝を見つけたらこっそりと方向転換をしていた。これ以上噂にはなりたくないので、あからさまに避けることはせず努めて自然になるように。しかしその不自然さに疲れてくる。移動教室や学校行事などもあり、領地の片隅で静かに生活していたようにはできないのだ。
「……にしても多い!」
もう気のせいでもなんでもない。どういう思惑があるのかは分からないが、確実に晴輝は凛香のほうをよく見ている。いちいち気にし過ぎるのも馬鹿らしくなるほど、あからさまだ。それでも(微妙なラインだが)何かされたり付き纏われているわけではないので、注意もできず。
高校を卒業するまでだ、と心で唱えながら凛香はなんとか日々を過ごし、レベッカとしての人生を思い出して半年が経った頃。イメチェン騒ぎからの晴輝との噂に、一時は時の人となっていた凛香だったが、付き合っている気配がないどころか一緒にすらいない二人に周りも疑問を抱き始めた。あまりにも変わらない凛香の態度に、三年生に進級するころには『晴輝が片思いしているだけ』というのが周囲の共通認識になっていたのを凛香は知らない。その頃には噂も随分と落ち着き、凛香の生活も晴輝と目が合うこと以外は元通りだったからだ。
ただここ数日、やたら耳にするようになった噂がある。凛香が津山晴輝と付き合っているらしい、ということだ。晴輝といえば、駅で偶然会って一緒に帰った記憶が凛香の中で新しい。あの日だって、電車の中で特に何を話したわけでもなく、改札を出たところで別れたのだ。レベッカの記憶がある今でなら、王太子エルバートとの会話の全く弾まないお茶会を彷彿とさせた気まずさがあった。初めの頃に頑張って会話をしようとしていた辺りの。けれどエルバートと違い、晴輝は同じように寡黙でありながらも、居心地は悪くなかった。それだけだったのに、なぜ?
「津山くんとどうなったの?」
以前よりは気軽に話しかけてくるようになったクラスメイトから、そう聞かれても、
「どう……とは? 何もないけれど……」
と、答えるしかなかった。
だって元々何ともないのに、何が起こるというのだろう。本当に意味が分からない様子の凛香に、尋ねてきたほうが首を傾げるのだ。それはこちらの方だと思ってしまう凛香は悪くないはず。すると相手もこれは何かがおかしいと思ったのか、
「うーん、そうなんだ……?」
と、引き下がられてしまい、凛香もそれ以上の追及はできなかった。
しかしそんなふうに言われてしまえば、今までは気にも留めなかったというのに、つい彼が視界に入ると目で追ってしまうというもの。結果、晴輝とよく目が合うようになったのだ。あまりにも不躾に見過ぎてしまったのかもしれない。これではますます周囲が勘違いして、晴輝に迷惑をかけてしまうと無理矢理視線を剥がす日々。レベッカとしても凛香としても、あまり人と関わってこなかったゆえにどうしたらいいのか分からず、最近の悩みの種だった。
* * *
「はぁ……」
凛香はお弁当箱を持って溜め息をついた。
通常教室が並ぶクラス棟と専科の特別棟を結ぶ渡り廊下に並ぶベンチ。そこは中庭として木や花が植えてあり、クラスや学年の違う恋人や友達同士の昼食場所として人気であった。四限目の終わりを告げるチャイムが鳴ると、凛香はお弁当を持ってその渡り廊下から中庭を横切った。抜けた先の大きな木の下にあるピロティスペースは、一人がけの椅子が点々と置かれていて、主に一人で静かに昼食をとりたい生徒に人気の場所である。それは今までの凛香も例外ではなかった。
お気に入りの椅子に腰かけると、ようやく一息つける。凛香がレベッカとしての記憶を思い出して以降は、ここですら以前よりは視線を感じるものの、話しかけてくるような生徒は一人もいないのはありがたかった。皆それぞれ自分の時間を過ごすことに集中し、いつもと変わらない空間になっていて落ち着ける。レベッカの矜持として人前で堂々と振る舞っているものの、流石に昼休みくらいは一人の時間を過ごしたい。
「……っ!」
食べ終わった弁当箱を片付けていると、目の前に気配を感じて凛香は顔を上げて息をのんだ。まさか噂になってしまっている件の晴輝が目の前に立っているなんて。人が疎らとはいえ無人ではない。またしても好奇の目に晒されてしまうのではないだろうか? そう、エルバートが心変わりをしたことが社交界に広まったときのように。チラリチラリと視線が向けられては針のように突き刺さっている心地がする。実際はそこまで見られてないのかもしれないが、レベッカの記憶のせいでいつも以上に不安に駆り立てられていた。
無言で去ることも考えたが逆に意識をしていると取られては敵わないし、付き合っていると囁かれている以上、喧嘩でもしたのかとまた噂になるのは御免だ。だからといって無視もできないと意を決する。
「あの、津山……くん?」
「…………」
凛香が声をかけるも晴輝は黙ったまま、ジッと見つめてくる。周囲の視線も合わさって受け居たたまれなくなった凛香は、ランチバックに弁当箱を押し込んで立ち上がった。
「ここ、使いたかったかな? 私、もう教室に戻るから。良かったら、どうぞ」
「あ……」
晴輝のほうは見ないまま、この場を去ろうとした凛香の背後から小さな声が聞こえた気がした。距離からして晴輝しかありえないが、しかし振り向く勇気は出なかった。それでも凛香の今までの性分に引っ張られて俯きそうになる自分自身を叱責し、前を向いて歩き出す。何も後ろめたいことはしていないのだから。あの時も今も。
「待っ……」
晴輝の切羽詰まったような声が聞こえた気がしたが、振り返らずに足を進める。
駅でのやり取りを思い出し、もしかしてという疑念が頭を過る。しかしこんな身近に自分を含め二人も、前世(かどうか定かではないけれど)の記憶があるはずがない。それでも嫌な予感がして、晴輝とはあまり関わらないでおこうと心に決め、少し早歩きで中庭を後にした。
* * *
凛香の通う高校は、よくある一般的な規模の校舎だ。生活を送る中で、偶然すれ違ったりすることはある。それでもここ最近、晴輝との遭遇率は異常だった。すぐに視界に入ってしまうのは彼の背が高いからだけではない。自意識過剰なのかもしれないが、それを差し引いたとしても多過ぎる。
視線を感じれば敢えて見ないようにして、遠くにでも晴輝を見つけたらこっそりと方向転換をしていた。これ以上噂にはなりたくないので、あからさまに避けることはせず努めて自然になるように。しかしその不自然さに疲れてくる。移動教室や学校行事などもあり、領地の片隅で静かに生活していたようにはできないのだ。
「……にしても多い!」
もう気のせいでもなんでもない。どういう思惑があるのかは分からないが、確実に晴輝は凛香のほうをよく見ている。いちいち気にし過ぎるのも馬鹿らしくなるほど、あからさまだ。それでも(微妙なラインだが)何かされたり付き纏われているわけではないので、注意もできず。
高校を卒業するまでだ、と心で唱えながら凛香はなんとか日々を過ごし、レベッカとしての人生を思い出して半年が経った頃。イメチェン騒ぎからの晴輝との噂に、一時は時の人となっていた凛香だったが、付き合っている気配がないどころか一緒にすらいない二人に周りも疑問を抱き始めた。あまりにも変わらない凛香の態度に、三年生に進級するころには『晴輝が片思いしているだけ』というのが周囲の共通認識になっていたのを凛香は知らない。その頃には噂も随分と落ち着き、凛香の生活も晴輝と目が合うこと以外は元通りだったからだ。