婚約破棄されたぽちゃOL、 元スケーターの年下ジムトレーナーに翻弄されています
久しぶりに定時で帰宅すると、玲央から「今から家行ってもいい?」と連絡が来た。
いつもは唐突に家に遊びに来るのに、断りを入れるなんて珍しい。
以前部屋に悠貴がいたことを気にしているんだろうけど、今はもう気を遣ってくれなくていいのに。
家にやって来た玲央を迎え、ゆっくり過ごす前になにか食材を調達しようということになり、ふたりで家の近くのコンビニまで散歩することにした。
時刻は19時を過ぎたところだ。
駅から住宅街へと帰宅する人の並みに逆らって、ふたり並んで歩いていく。
「エコバッグだけ持って歩いてるとさ、いかにもこれから買い物に向かってます! って感じだよな」
「現にそうでしょう。恥ずかしいの? そのバッグ」
買い物かごを持っているクマのキャラクターがプリントされたそのエコバッグは、近所のスーパーでポイントを貯めたら交換してくれたものだった。
「そういうわけじゃないけどさ」
さっきから玲央の口数が多い。
どうでもいいような話を思いついたようにペラペラ口にするのは、彼がなにか話しづらい本題に入ろうとする準備だということはよくわかっていた。
他愛のなさすぎる会話をしているうちにコンビニに着き、缶ビールやちょっとした摘まめるものを購入する。
レジ横の誘惑に負けて、中華まんも買ってしまった。
玲央はピザまんを、私はあんまんを。
せっかくだからとマンションに帰るまでの途中にある小さな公園のブランコに座って、そこで食べることにした。
寒いのは嫌いだけど、寒い中で温かいものを食べるのは悪くないと思う。
一口かじると、湯気と自分の吐いた白い息が混じる。
しばらく黙って食べていた玲央が、一瞬私の顔を見てから口を開いた。
「姉ちゃん、ジムやめちゃったんだってね」
「あー、うん。やめたっていうか、休会中なんだけど」
あんまんを食べながら、なにも気にしていない風を装って話す。
「合わなかった?」
「そうじゃないけど……今繁忙期だし、ちょっと忙しいかなって。それにジムって色々あってそれぞれ特色あるじゃない? また別のところに通ってもいいかなと思ってて」
体を動かしたりトレーニングしたりすることは、最早私の中で習慣になっていた。
ジムをやめてからも家でやっていたのだけど、やっぱりジムでマシンを使った方がちゃんとした体の使い方ができる気がする。
「わざわざ違うとこ探すなら続ければいいのに」
「……でもほら、人って変化が欲しいものでしょ」
「そお?」
玲央がさっきからタイミングをうかがうように、なにかを言おうとしてはやめることを繰り返している。
彼が聞きたいことはなんとなくわかっている。
ジムの話をしているのに悠貴の話をしないのは、玲央なりに私たちの間になにかあったことを察しているんだろう。
そして多分だけど、この間家に来た時に私たちの邪魔をしてしまったと思っていて、それを後ろめたく感じているんだと思う。
玲央が言葉を探している間に、違う話題を振ることにした。
「ジムの人にはお世話になったから、今度発売するお菓子を送ろうと思って」
「ああ、完成したんだ? ダイエットのお菓子」
「うん。3月から売り出す予定」
商品そのものの味が決まった後も、パッケージデザインや売り出し時期を決めるため、会議を重ねてようやく発売まで走ることができた。
パッケージのデザインを決める時、ダイエッター向けということでムダなくスタイリッシュなものが良いのではという意見もあった。
またはプロテインのパッケージのような、商品名のロゴを全面に出したエネルギッシュなものも案に出た。
しかしターゲットを女性に絞ったのと、贈答用としても選んでほしいことを考えて、最終的にレトロで可愛らしい赤と白のストライプのデザインに決まった。
私と理世、そして後輩の女の子たちと上司に猛アピールした結果だった。
「ちょっと攻めすぎかなと思ったんだけど、やっぱりもらった時に可愛い! って思ってもらえたら嬉しいでしょ?」
「さすが、わかってるね」
感心したように深く頷く玲央がおかしくて、思わず笑ってしまう。
「なに、誰かにお菓子あげる予定があるの?」
「いや俺じゃなくて、姉ちゃんが」
「え?」
「お菓子と言えば、自分で食べるのもそうだけど人にあげる方が多かったでしょ」
「そうかな」
「小学校の頃、玲央の姉ちゃんは会うとお菓子くれるって友達の間では有名だった」
「……なんか不審者みたいじゃない?」
「セーフでしょ」
確かに、家に遊びに来た玲央の友達にお菓子をあげることはよくあった。
買ったものの時もあったし、作ったものの時もあった気がする。
5歳下の玲央の友達なんて、玲央同様みんな等しく可愛かったから構いたくて仕方なかった。
「懐かしい。もう記憶が曖昧だけど、みんな元気だといいね」
何気なく口から出た軽い言葉だったけど、急に玲央がなにか考える素振りを見せた。
「悠貴がさ」
なんの脈絡もなく出てきたその名前に、少しだけドキリとする。
彼のことを聞かれるかもとわかっていたのに、唐突過ぎて驚いてしまった。
「初めて会った日から、姉ちゃんのこと忘れられなかったって言ってた」
「そ、そうなんだ」
初めて知る悠貴の気持ちに、今さらながら動揺してしまう。
そんなことを人に話すタイプだったっけ。
確かに、記憶に残る出会いだったと思う。
悠貴からしたら、衝撃的な出来事だっただろう。ガラの悪い男にしつこく付きまとわれた挙句に、ただぶつかっただけの女が助けようと首を突っ込んできたことは。
「だから、また姉ちゃんと会えてすごく喜んでたと思う。ふたりで会った時も、姉ちゃんの話しかしないんだよあいつ」
私からしたら、悠貴は掴みどころのない人だった。
特に私へ向ける思いが一番よくわからなくて、そのせいで振り回されたり悩んだりしてばかりだった。
「……なんて言ってた? 私のこと」
前にも聞いたことがあるけど、玲央は誤魔化して教えてくれなかった。
今回も迷ったようだったけど、もういいかと思ったのか素直に話し始めた。
「これはトレーナーとしても男としても言ってはいけないことだから、言うなって言われたんだけど」
「うん」
そんな言い方をされたら、ますます気になる。
「キレイになったって言ってた」
「……ほんと?」
あの悠貴が、友達にそんなことを言うタイプだとは思えない。
嬉しいよりも、なにか会話の弾みや冗談で言ったのではないかと考えてしまう。
疑わしく思っているのが伝わったのか、玲央は言葉を続けた。
「ほんとだって。会話の途中でポロッと言っちゃった感じだったけど。それを口に出したら前の姉ちゃんを否定するみたいだから、絶対言うなって」
「……なんだ、そういうところには気を使うんだ」
確かに、悠貴は私に痩せたとか変わったとか言うことはあったけど、痩せたからキレイになったと言われたことはなかった。
「悠貴は姉ちゃんだったらなんでもいいんだよ、ちょっと太っててもだいぶ太ってても。でも姉ちゃんが変わりたいって望むなら、それを叶えてあげたかったんだろ」
「なんでもいいって……。そんな風に思うの、すごく好きな人に対してだけでしょ」
大げさな物言いに呆れて笑ってしまったけど、玲央は笑わなかった。
「そうだと思う。何年も姉ちゃんのこと忘れられなかったんだから」
真面目な顔の玲央に、こちらも作った笑顔が思わず引いていく。
そして引っかかった言葉を、復唱した。
「何年もって、なに?」