茜くん、ちょっと落ち着こう!?
第一章、転校生くん
それは、遡ること九年前。
家族で京都へ旅行に訪れた時のことだった。
お目当ての賑やかな露店に目を奪われた私は、つい親の手を離してその傍らへと引き寄せられてしまう。夢中で出店を眺めていた、その時だった。
近くのベンチから、小さな、泣き声が聞こえてきた。
視線を向けると、そこには自分と同じくらいの年齢の男の子が、膝を抱えてぽろぽろと涙を流している。
「だいじょうぶ?こけたのです?」
「……うっ……ひっく」
どうやら家族とはぐれてしまったらしい。心細さに震える男の子の背中を、私は小さな手でそっとさすった。そして、ついさっき団子屋で親に買ってもらったばかりの、甘い匂いが漂うみたらし団子を一本、差し出してみる。
お団子を一口食べ、ようやく落ち着いた男の子が、袖でごしごしと涙を拭って私を見つめてきた。
「ね、ねぇ……おなまえ、おしえて」
「つばめ!」
「つばめ……?」
「うん!」
男の子は、ふくふくとした柔らかそうな頬をぽっと赤く染めたかと思うと、勢いよく身を乗り出してきた。
「ぼくがおおきくなっらたら、ぼくとけっこんして!」
その大胆な言葉に、いつの間にか後ろに戻ってきていた私のお父さんとお母さんが、吹き出すように笑った。
「きゃぁぁぁ!これって、プロポーズ!?」
「坊や、おませさんだな〜!」
両親は口元に手を当てて、我が事のように大はしゃぎしている。
「つばめちゃん、ぼくのおなまえはね……」
男の子はコソッと顔を近づけて耳打ちしてきた。
「す……」
男の子の名前を呼ぼうとしたら、口元に手を当てられた。
「ほかのひとにはいっちゃダメだよ!ぼくとつばめちゃんだけの、ね!」
それから私達は、指切りを交わしてその場で別れた。
指を絡めた瞬間、小指の先から身体中にバチリと静電気が流れたような、奇妙な感覚が走ったのを覚えている。けれど、それはほんの一瞬のことだったので子供の私は特に気に留めもしなかった。
何より昔の出来事だし、それ以来彼とは一度も会っていない。今となっては顔も名前も霧がかかったようで、よく覚えていないのだ。
ただ、耳元で囁かれた名前が『なんだかやたらと長かったな〜』という、うっすらとした印象だけが残っていた。
✳✳✳
それから月日が流れて、私は中学二年生になった。
思い返せば、一年生のころは本当に色々なことがあった。
シスコン全開の兄貴と両親は、入学式の看板の前でこれでもかと大量の写真を撮りまくって私を悶絶させたし、クラスでは良い友達にも恵まれて、毎日が本当に楽しかった。
そして、二年生に進級してすぐの始業式の翌日。
私のクラスに急な転校生がやってくるという噂で、朝から教室は持ち切りだった。
転校生の子を見た女子が言うには「めっちゃイケメン」とのこと。廊下で盛り上がっていた。
ガタリ、と前方の引き戸が開いた。
教室に入ってきたのは、目を引くような綺麗な金髪の男の子。なるほど、確かに女子達が騒ぐのも無理はない整った顔立ちだ。
私は教室の隅の席で、頬杖をつきながら「へえ、少女漫画みたいな子が来るもんだなぁ」と他人事のように眺めていた。
──しかし、彼は教壇の前で足を止めることなく、まっすぐ私の方へと歩いてくる。
「やっと…………っ!!」
「え、え……!?」
「ずっと会いたかった…………!!」
「え……あ……ちょ……と……」
彼は大粒の涙を流しながら、折れんばかりの力で私を抱きしめる。
あまりの腕力に、みしり、と骨が軋む音が聞こえた気がした。新しい酸素が満足に吸い込めず、徐々に視界の端から暗くなっていく。
苦しくて彼を引き離そうと抵抗するが、それがどうやら逆効果だったらしい。私が抱きしめ返してくれたと都合よく勘違いした彼は、愛おしそうに一層強く力を込めた。
……あ、これ無理。そう思った瞬間、私の意識はぷつりと途絶えた。
✳✳✳
誰かが必死に自分の名前を呼ぶ声がして、私はゆっくりと意識を取り戻した。
視界に飛び込んできたのは、見慣れない天井と、白い蛍光灯。
あ、保健室だ。
頭がまだぼんやりとしていて、一瞬自分がなぜここにいるのか思い出せなかったが、肺に残るあの息苦しさを思い出してハッとする。
体調が戻ったのを確認し、恐る恐る保健室を出て教室に戻ると、案の定、転校生くんの周りには黒山の人だかりができていた。当の本人は、群がるクラスメイトに困惑する風でもなく、質問を返している。
私は巻き込まれないよう静かに自分の席へ戻り、近くの席の友達に「ごめん、さっきの板書のノート見せて欲しいんだけど……」とお願いした。
すると、その声を鋭く聞きつけた転校生くんが、人だかりを割ってこちらへ歩いてくる。
「えーっと……君の名前は?」
「今は恵美茜って名乗ってる」
転校生くんは、恵美茜というらしい。
名乗ってる、という言い方に少し引っかかりを覚えたが、そんなことを考える余裕はすぐに消し飛んだ。
彼は私の前に立つと、またしても当然のように、今度は壊れ物を扱うかのような優しい手つきで抱きついてきたのだ。
「恵美くん……」
「名前で呼んで欲しい」
「まぁ、それはさておき……とりあえず離れようか」
周囲の女子達の、嫉妬と困惑が入り混じった視線が痛すぎて突き刺さりそうだ。
「やだ」
「やだかぁ......」
私の首元にすっぽりと顔を埋め、ぴたりと密着したまま微動だにしない茜くん。
私は限界を迎え、助けを求めるように親しい友達へ懇願の目線を送った。
しかし、悲しいかな。返ってきたのは、
「椿芽ちゃん、男の子にそんなに好かれるなんてすごい! 頑張れ!」
という、状況を理解していない的外れな応援の言葉と、満面の笑みを伴った力強いグッドサインだけだった。
家族で京都へ旅行に訪れた時のことだった。
お目当ての賑やかな露店に目を奪われた私は、つい親の手を離してその傍らへと引き寄せられてしまう。夢中で出店を眺めていた、その時だった。
近くのベンチから、小さな、泣き声が聞こえてきた。
視線を向けると、そこには自分と同じくらいの年齢の男の子が、膝を抱えてぽろぽろと涙を流している。
「だいじょうぶ?こけたのです?」
「……うっ……ひっく」
どうやら家族とはぐれてしまったらしい。心細さに震える男の子の背中を、私は小さな手でそっとさすった。そして、ついさっき団子屋で親に買ってもらったばかりの、甘い匂いが漂うみたらし団子を一本、差し出してみる。
お団子を一口食べ、ようやく落ち着いた男の子が、袖でごしごしと涙を拭って私を見つめてきた。
「ね、ねぇ……おなまえ、おしえて」
「つばめ!」
「つばめ……?」
「うん!」
男の子は、ふくふくとした柔らかそうな頬をぽっと赤く染めたかと思うと、勢いよく身を乗り出してきた。
「ぼくがおおきくなっらたら、ぼくとけっこんして!」
その大胆な言葉に、いつの間にか後ろに戻ってきていた私のお父さんとお母さんが、吹き出すように笑った。
「きゃぁぁぁ!これって、プロポーズ!?」
「坊や、おませさんだな〜!」
両親は口元に手を当てて、我が事のように大はしゃぎしている。
「つばめちゃん、ぼくのおなまえはね……」
男の子はコソッと顔を近づけて耳打ちしてきた。
「す……」
男の子の名前を呼ぼうとしたら、口元に手を当てられた。
「ほかのひとにはいっちゃダメだよ!ぼくとつばめちゃんだけの、ね!」
それから私達は、指切りを交わしてその場で別れた。
指を絡めた瞬間、小指の先から身体中にバチリと静電気が流れたような、奇妙な感覚が走ったのを覚えている。けれど、それはほんの一瞬のことだったので子供の私は特に気に留めもしなかった。
何より昔の出来事だし、それ以来彼とは一度も会っていない。今となっては顔も名前も霧がかかったようで、よく覚えていないのだ。
ただ、耳元で囁かれた名前が『なんだかやたらと長かったな〜』という、うっすらとした印象だけが残っていた。
✳✳✳
それから月日が流れて、私は中学二年生になった。
思い返せば、一年生のころは本当に色々なことがあった。
シスコン全開の兄貴と両親は、入学式の看板の前でこれでもかと大量の写真を撮りまくって私を悶絶させたし、クラスでは良い友達にも恵まれて、毎日が本当に楽しかった。
そして、二年生に進級してすぐの始業式の翌日。
私のクラスに急な転校生がやってくるという噂で、朝から教室は持ち切りだった。
転校生の子を見た女子が言うには「めっちゃイケメン」とのこと。廊下で盛り上がっていた。
ガタリ、と前方の引き戸が開いた。
教室に入ってきたのは、目を引くような綺麗な金髪の男の子。なるほど、確かに女子達が騒ぐのも無理はない整った顔立ちだ。
私は教室の隅の席で、頬杖をつきながら「へえ、少女漫画みたいな子が来るもんだなぁ」と他人事のように眺めていた。
──しかし、彼は教壇の前で足を止めることなく、まっすぐ私の方へと歩いてくる。
「やっと…………っ!!」
「え、え……!?」
「ずっと会いたかった…………!!」
「え……あ……ちょ……と……」
彼は大粒の涙を流しながら、折れんばかりの力で私を抱きしめる。
あまりの腕力に、みしり、と骨が軋む音が聞こえた気がした。新しい酸素が満足に吸い込めず、徐々に視界の端から暗くなっていく。
苦しくて彼を引き離そうと抵抗するが、それがどうやら逆効果だったらしい。私が抱きしめ返してくれたと都合よく勘違いした彼は、愛おしそうに一層強く力を込めた。
……あ、これ無理。そう思った瞬間、私の意識はぷつりと途絶えた。
✳✳✳
誰かが必死に自分の名前を呼ぶ声がして、私はゆっくりと意識を取り戻した。
視界に飛び込んできたのは、見慣れない天井と、白い蛍光灯。
あ、保健室だ。
頭がまだぼんやりとしていて、一瞬自分がなぜここにいるのか思い出せなかったが、肺に残るあの息苦しさを思い出してハッとする。
体調が戻ったのを確認し、恐る恐る保健室を出て教室に戻ると、案の定、転校生くんの周りには黒山の人だかりができていた。当の本人は、群がるクラスメイトに困惑する風でもなく、質問を返している。
私は巻き込まれないよう静かに自分の席へ戻り、近くの席の友達に「ごめん、さっきの板書のノート見せて欲しいんだけど……」とお願いした。
すると、その声を鋭く聞きつけた転校生くんが、人だかりを割ってこちらへ歩いてくる。
「えーっと……君の名前は?」
「今は恵美茜って名乗ってる」
転校生くんは、恵美茜というらしい。
名乗ってる、という言い方に少し引っかかりを覚えたが、そんなことを考える余裕はすぐに消し飛んだ。
彼は私の前に立つと、またしても当然のように、今度は壊れ物を扱うかのような優しい手つきで抱きついてきたのだ。
「恵美くん……」
「名前で呼んで欲しい」
「まぁ、それはさておき……とりあえず離れようか」
周囲の女子達の、嫉妬と困惑が入り混じった視線が痛すぎて突き刺さりそうだ。
「やだ」
「やだかぁ......」
私の首元にすっぽりと顔を埋め、ぴたりと密着したまま微動だにしない茜くん。
私は限界を迎え、助けを求めるように親しい友達へ懇願の目線を送った。
しかし、悲しいかな。返ってきたのは、
「椿芽ちゃん、男の子にそんなに好かれるなんてすごい! 頑張れ!」
という、状況を理解していない的外れな応援の言葉と、満面の笑みを伴った力強いグッドサインだけだった。
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