いつか、かぐや姫のお母さんだった話をしましょうか
 いま、彼はなんと言った。

「覚えて……るの?」

 いぶきが消えた後、彼は確かにいぶきのことを忘れたはずだ。実際、まわりの記憶がいろいろ入れ替わっていることを目の当たりにした。今のは無意識に出た言葉なのだろうか。
 驚く忍に、浅倉は困ったように微笑んだ。

「よかった。いぶきちゃんは、俺の夢じゃないよね」

「え、ええ。でもどうして?」

 彼は忍から秘密の話を聞いた後、思い出せる限りの思い出を一冊のノートに認《したた》めたのだという。何かにとりつかれたように細かく細かく記録した。忘れてしまう恐怖と、それを忍に気取らせてはいけないという義務感。何より最愛の人と出会わせてくれた天使を忘れてはいけないと無我夢中だった。

 今年の成人式の様子を、忍と見に行ったことは覚えていた。
 自分が参加できなかったからと笑った妻の言葉を、あの時は素直に信じた。
 でもある時、一冊のノートを見つけた。自分あてに書かれた自分への手紙のような、あるいは小説のような内容。明らかに自分の字なのに書いた覚えのないそれに驚いた。
 妻に内緒で何度も読み返しているうちに、ぼんやりと光景が浮かぶようになり、

「風夏を抱いた瞬間、いぶきちゃんの笑顔がはっきり見えたんだ」

 晴れやかに笑う浅倉の笑顔に、のどが締め付けられる。

 忍が残した日記は残っていたが、誰が見ても妄想の産物にしか見えない代物だ。それ以外のいぶきに関するものはすべて消えた。あの日いぶきが着ていた振袖は、実家にたたんでしまわれたまま、着た気配さえなかった。

「わざと小説っぽく書いたから、それがよかったのかな。俺、高校生の時漫画家になりたくて、でも絵が下手だから作家になろうって思ったことがあったんだよ。半年くらいで飽きたんだけど」

 だからノートを見つけても、昔書いた小説か何かの名残だと思う可能性が高いと考えていたのだという。それでも残った、そして記憶も戻った。

「もう、君ひとりの思い出じゃないんだよ。俺も、覚えてる。写真ひとつなくても、あの子は確かにいたんだ。もうぜったい忘れない」

「ありが……とう」

 洟《はな》をすすり上げ、忍は精一杯微笑んだ。
 この人と出会えた幸運に、胸がいっぱいになった。
 いぶきが出逢わせてくれた、最愛の人。そして新しく増えた、もう一人の最愛の娘。


 ――ねえ、風夏ちゃん。私達のところに生まれてきてくれてありがとう。本当にありがとう。お父さんもお母さんも、そしてお姉ちゃんもあなたに逢えるのを楽しみにしていました。
 元気に大きくなってね。
 一緒にいろんなことをしましょう。

 そしていつか、かぐや姫のお母さんだった話をしましょうか。

Fin
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