この恋の終わらせ方を、私はまだ知らない。
第一話 恋のはじまり
いつも通り、残業をして疲れ切った体で、ホームの六人掛け席のうちの端っこの一つに腰掛ける。

あと二分くらいで最終電車がやってくる頃だろう。


ふと、ジャケットのポケットに入れていたスマホが震えメッセージの受信を知らせてきた。

そこには、残業をする羽目になった、会社でミスをした後輩からの謝罪文がつらつらと書き綴られていた。

ふぅと小さくため息をつきながら、“大丈夫だよ、誰にだってミスをすることはあるんだから”とできた先輩としての回答を送り、再びスマホをポケットにしまう。

私だって新人の頃も今も、ミスをすることはたくさんあった。

だから責める権利もないし、怒りが湧いてくることもないけど、それでも疲れるものは疲れる。

焦りまくっている後輩と一緒に焦っていては余計不安を煽るだけだから、私は冷静なフリをしていないといけない。

無事、うまく対処することができたからよかったものの、もし取り返しのつかないことになっていたらと思うとゾッとする。

三年も働いているから、そこそこ重役を任せてもらえることも増えてきて、後輩の面倒を見ることも多くなってきた。

その度に私は、私じゃない誰かになっていくような気がしていた。


「…あ」


やってきた終電に乗ると、端っこの席にいつもの男の人が座っていた。

いつも同じ時間、同じ場所にいる彼。


今日は終電に乗っているけど、いつもは私が帰る夕方の五時頃に今と同じ端っこの席に彼は座っている。

この三年間毎日見ている顔だから、自然と覚えてしまったのだ。

そんな彼の正面ではなく、私の定位置であるななめ前の端っこの席に、終電だからスカスカであったがいつもの癖で腰掛ける。

乗客の姿は私たちしかなく、車内では電車の走る音がやけに大きく聞こえた。


この際だからと、持っている小説に視線を落とし続けている彼の横顔をちらりと盗み見る。

いつもビシッとしたスーツを着ていて、セットも何もしていないサラサラの髪の毛は落ち着いた黒色をしている。

童顔な顔立ちをしているからか歳は私と同い年かそれ以下にも見える。

スマホが命であるこの現代で、彼だけはいつも文庫本を読んでいた。

仕事は営業職かな。落ち着いた見た目からして、きっと性格も落ち着いている人なんだろうな…。

盗み見をしながら、そんなことをボーとする頭で考える。


–––キキィィィィィ!


突然、金属のブレーキ音が鳴り響いたかと思うと、車体がガタンと揺れて体が横に投げ出された。


「い…った…」


投げ出された体を起こしながら、何が起きたのだと顔を上げる。


「ただいま、機械トラブルのため安全確認を行っております。お客様には大変ご迷惑をおかけいたしますが、今しばらくお待ちくださいますようお願いいたします。繰り返します…」


聞こえてきた車内アナウンスに、「まじか」と思わず顔をしかめる。

よりによって終電のこの日に…なんてついていないのだろう。

…ふと、こちらを見ていたあの男性と目が合った。

いつも小説に向けられている瞳が、初めて私をうつしている。


「困りましたね」

「へ?」


まさか話しかけられるなんて思ってもいなかったから、突然のことに思わず間抜けな返事をしてしまう。


「電車、止まっちゃいましたね」

「あ、電車…。はい、困りましたね。もうこんな時間なのに」


ドッドッドとうるさい自分の鼓動を感じながら、へらっと営業スマイルを作る。


「終電の時間にこんなトラブルが起きるなんて、あんまり聞かないですよね。なんかラッキーですね」

「え?」

「珍しいような普段起きないようなことを今、体験できてるから。なんか少しだけワクワクするっていうか」


ふっと優しく微笑む彼に、不覚にもどきりとしてしまう。


「た、たしかに!ワクワクしますね!」


さっきまでは勘弁してくれと思っていたくせに、どの口が。

自分に自分でツッコみながら、ははっと乾いた笑いを漏らす。


「…あの、間違ってたらすみません。いつも夕方の同じ時間に、そこの席に座ってますか?見知った顔だったから、つい今も話しかけてしまったんですよね」

「え、あ、はい…!私も前から同じ人がいるなって思ってて…」


まさか向こうも私に気づいてくれていたなんて。

一方的に私だけが知っていると思っていたから、少しだけ嬉しい。


「やっぱり。もう何年もずっと見かける顔だから、自然と覚えちゃって。今日は終電に乗ってるなんて珍しいですね」

「はは、お恥ずかしながら、残業で…。後輩の子がミスをしてしまったので、その対応を一緒にやっていたら初終電というわけで…」

「へぇ。優しい先輩ですね。俺は実は徹夜明けで、眠さの限界に達して会社の休憩スペースで寝ていたらこんな時間まで経っていたんですよね」

「えっ、それはなんというか…」

「自業自得やろ?」


ふっと吹き出した彼は、思っていたよりもずっと無邪気に笑う人で思わずその笑顔に見惚れてしまう。


「え、あれ、今…」

「あ、すみません。俺、就職と同時に関西から越してきたから、最近はやっと慣れてきたけどつい関西弁が出てまう…出てしまうんですよね」


笑顔のまま気まずそうに頭の後ろに手を当てる彼に、ぶんぶんと首を横に振る。


「いや、全然、関西弁いいと思います」

「本当ですか?俺的には、標準語を自然と話せるようになりたいですけどね」


見ているだけじゃ気づけなかった彼の一面が、この数分でたくさん知れた気持ちだった。

もっとこの人と話してみたいと、自然とそう思っていた。


「あの、名前。聞いてもいいですか?」


だからかな。

いつもだったら飲み込んでしまう素直な気持ちが久しぶりにするりと出てきたのは。


「あ、そうでしたね。名乗ってなかった。冴島京(さえじまきょう)と申します」


少しふざけながらにこっと笑ってこちらまで歩いて名刺を渡してきた冴島さんに、慌てて私も立ち上がり持っていた名刺を差し出す。


結城奈々(ゆうきなな)です」

「結城さん…。やっと名前が知れたわ」


想像とはかけ離れた笑顔、口調で笑う彼だけど、そんな彼にときめいてしまっていることに私はまだ気づいていなかった…。
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