心が閉まる前に、甘く抱き寄せて。
一 冬とオオカミ少年?
「なあ、そういえば美加さ」
「え?」
振り返った瞬間、電車のドアが閉まった。
圭吾は手を振って帰って行く。
や。
やられたあ。
また。
またあいつは毎回毎回、ドアが閉まる前に同じ事ばっかしてくる。
わざと何か言いかけて、言わないでそのまま。
本当に何か途中で言いかけたのか心配して電話したら、電話越しに爆笑していて、これがあいつの冗談なんだと思った。
最初の頃は、今回こそ本当に何か言いたかったのかなって心配してたんだけど、十回以上繰り返した頃からは慣れた。
二ヶ月を過ぎた頃には、もう挨拶の一種だと諦めた。
ただ今回は油断していて反応してしまったから悔しい。いつもは無視するのに、反応してしまった。
心なしか嬉しそうな、勝ち誇った圭吾の顔が見えて悔しかった。
電車の窓からは真っ暗な町並みとネオンライトが灯るオフィス街が交互に見えていく。
もう世間はクリスマスを控えた十二月初め。
イルミネーションで彩られた駅前広場を通過していくのを眺める。
仕事先からマンションまでたった四駅。
このたった数駅なのに、終電というだけで怖くてスマホを強く握りしめる。
大丈夫。来月には今のアパートの更新が切れる。それに合わせてもっと会社から近くのアパートに引っ越す予定だから。
もうアパートも決まっていて契約も終わっている。
あと一ヶ月の我慢なんだ。
ついでにこの終電までの過酷な繁忙期もはやく終わって欲しい。真っ暗な中、一人で帰るのは怖いんだから。
『大丈夫か』
握りしめていたスマホが震えて、確認してみると圭吾からのメッセージだった。
メッセージを待っていたから携帯を握りしめていたんだよ、なんて死んでも言えない。
『怖かったら電話していいよ』
電話。
電話したいよ。
電話しながら帰りたい。
でも、震える手で嘘を打った。
『大丈夫。子どもじゃないし』
我ながら可愛くない返信に、自己嫌悪で吐きそう。
『子どもじゃないから心配してる』
う。
なんで圭吾はいちいち、なんか格好良いんだろうね。
『心配させるなら家まで送るし』
嘘を吐く私が悪いみたいな狡い言い方。
私はもう二十六歳だ。大学の飲み会で怖がっていた十八の私ではない。
酔っ払いにストーカー宣言されて慌てて引っ越し先を探した私も見られているし圭吾は放っておけないんだろうけど。
君には……可愛い彼女がいるんでしょ?
『私にまで優しいと彼女が傷つくよ』
そうメッセージを打ちこんでから、送信できなくて一文字一文字消していく。
代わりに電話をかけた。
『なんだよ、やっぱ怖かったのかよ』
ワンコールで出てくれる電話。
液晶越しに爆笑してる圭吾の声は、くちゃっとなった笑顔まで思い出される。
「今までありがとう。明日からは兄にお願いするよ」
『なんで? あ、巧くん出張から帰ってきたの?』
「違うよ。あのさ、圭吾、私ね」
『ん』
短い言葉なのに、あまりに優しく甘く聞こえて涙がこみ上げてきた。
「私、ずうっと」
そう言ってそのまま通話ボタンを切った。
いつもの仕返し。
意味なんてない。
意味なんて、ないんだ。
自分の降りる駅に着いたので下りた。
暖かかった空間から、白い息を吐く冷たい現実へ引き戻される。
回りを確認し、まばらながら人が歩いているのでその流れに自然に入って一緒に流れていく。
スマホが二度ほど震えたけれど、家に入るまで確認するのはやめた。
言葉にしたら認めてしまいそうで、一度も口に出したことはない。
でもここまで毎日私のことをこんなにも気にしてくれたら、期待してしまいそう。
その言葉が溢れてしまいそうで、唇を噛みしめた。
もっと沢山恋をしてくれば良かった。誰かと付き合ったり別れたり喧嘩したり沢山経験すれば良かった。
何も知らないからこんな時どうしたら良いのか分からない。
一歩踏み出してはいけないのに、諦め方がわからない。
***
このお節介で面倒見の良くて、人なつこくてそしてお調子者で、そして世界で一番優しい男は野崎圭吾。
同じ大学で同じ高級百貨店で就職し、なんなら一度も同じクラスにはなってないが高校も一緒だった同級生。
彼は高級ハイブランドの時計サロン、私は化粧品の販売員。階は違うがセールやイベントなど共通の話題は絶えないし、同期と言うこともあり帰りが一緒になればよく話していた。
彼の働くハイブランドはスーツのブランドから持ち物まで支給されるほど徹底ぶりで、私がボーナスで買えるか怪しいぐらい高価な物を勤務中は身につけている。普段の慣れ親しんだふにゃっとした彼と違い、勤務中の彼はちょっと格好良い。
まあ高身長だし顔は整ってると思う。彼目当てで女性のお客様が来るときもあるとか。
はっきりした顔立ちに高い鼻梁、ちょっと切れ長で真面目なときは怖い印象だけど、仕事さえ終わればいつも笑顔で話しかけやすかった。
「え、飲み会が怖いの?」
帰りが一緒になったときに、忘年会の話題になりどうしても断れない飲み会があると愚痴ってしまったときだ。
「もしかしてまだ引きずってる?」
彼があまりにも驚くので、呆れられたのかと恥ずかしくなって俯いた。
彼が呆れるのも無理はない。
私がトラウマだと言っているのは大学での初めての歓迎会でのこと。
私は友達と『映画大好きサークル』というふざけた名前のサークルに入ることになっていた。
週に一回映画を見に行くか、お薦めの映画を皆で見るサークル。本当に気軽に入れて簡単な内容だったし、他のサークルと掛け持ちしていいらしく、緩いと聞いていた。
確かに緩いし毎回皆揃うわけじゃないし、懐かしい映画を見るのも楽しかった。
でも困ったのは、私がまだ十八なのにお酒を勧めてくること。誰かの家で飲むときはほぼ強要のようで少し怖かった。
お酒さえ飲ませてこなければ居心地が良くて楽しいサークルだったんだけどね。
私は兄がお酒弱くてすぐ真っ赤になって吐いちゃうのを見てきたし、飲むのを試すにしても家でちょこっと飲んでからスタートしたかった。
大学に入って二ヶ月が経ち、映画、テニス、ラーメン食べ歩きとか人数の少ないサークルが集まって居酒屋を貸し切って飲み会をしたことがあった。
その時、私と同じくお茶ばかり飲んでいる圭吾を見つけて話しかけた。
「もしかして、同じ高校じゃなかったですか?」
「え、えーっと、ああ、美加ちゃん」
同じクラスになったことも話しかけたこともないのにいきなり下の名前で呼ばれて一瞬怯んだけど、今は彼しか話せる人が居なくて隣に座った。
「圭吾くんだよね? どこのサークル?」
「駄菓子研究部。月一で駄菓子屋で駄菓子を買って食べる」
「何ソレ」
クスクス笑うと「いや、映画大好きサークルって名前も同じレベルだから」と屈託なく笑っていた。
色んな人が隣の席に来て沢山色んな話をした。
人見知りの私は、友人がバイトで来れなくなったので圭吾の横からずっと離れることができなかったが、彼はいいよって言ってくれたのでお言葉に全力で甘えた。
同じクラスにはなってないけど、高身長だし笑顔が爽やかだから知ってたんだよね。
今日は話せて良かった。
「終電まえバタバタしたくないから帰るなら今じゃね?」
「そうだね。幹事にお金渡さなきゃ」
二人で幹事を探していたら、居酒屋の外で数人で煙草を吸っていた中に幹事がいたので近づいた。うちのサークルの三年の先輩で、いつもお酒を強要してくる人だったから圭吾が一緒に来てくれて助かった。
「で、今日こそはお酒飲ませそうなの、そっちの一年は」
幹事の人の下品な笑い声に固まった。
映画サークルの先輩は灰皿に灰を落としながら、にやりと気持ち悪く笑う。本当に粘ったとした笑い方だった。
「今時、お酒飲めないんですうとかお高くとまってうぜえんだよな。だったら飲み会参加すんなよ」
「お前、言い過ぎ」
「まあ、飲んだことねえなら何杯か飲ませればお持ち帰りできるだろ。お酒数杯で遊べるなら安くすむな」
「高校から付き合ってる彼女いるのにひでえ奴」
「だから割り切れるし何でもできるんだろ」
お酒で気が大きくなっているにしろ、彼らの会話は私には恐怖でしかなかった。
もし断れずに誰かの家で映画を見ているときにお酒を飲んでしまっていたら。
もし今日、圭吾に会えなくて先輩達にお酒を強要されていたら。
怖くて持っていたお財布を落とした。
けれど震えて足下に落ちた財布を持ち上げることができなかった。
「くだらねえ。帰るぞ、美加」
彼は私が持っていた御代と自分の分を、下品な会話で盛り上がっている先輩方の中に入っていき渡してくれた。
聞かれていたのを知って青ざめる先輩らに目もくれず、私の手をしっかり握って一緒に駅に向かってくれた。
あのあと、先輩たちからメッセージで謝罪が来たけど、名前を見るのさえ怖くなった。
映画も大好きだったけどサークルを辞め、友達と圭吾のいる駄菓子研究部に逃げ込んだ。
確かにあれがトラウマなんだけど、今は違う。
引きずっていたからこそ怖いのかもだけど、原因は数日前の終電での出来事。
「じゃああれか。偶々、俺も終電で助けたとき?」
圭吾に言われて頷く。
偶々、改札口で同じ改札口を通ろうとした男性に先を譲ったときだ。
酔っ払いでふらふらしていてちょっと怖かった。距離を取って歩いていると、「なんでそんなに離れるんだ!」「俺はきたねえって言うのか」「お前、最近終電でよく見るなあ、顔覚えたぞ」って言われて絡まれた。
顔覚えたぞ。
その言葉に恐怖で一歩も動けなくなっていたら、駅員さんと一緒に圭吾が走ってきて助けてくれた。
「まあそうなら俺が見える範囲では一緒に居るよ。忘年会も上司にちゃんと説明すれば強制参加はしないと思うよ」
「うん。お酒で酔っ払ってる人が怖いだけって気付いたから、その……上手に逃げられるようになりたくてさ」
「うーん。うちの会社は綺麗に飲めない人いないからなあ。終電間近は変な奴多いからそれは俺も心配だよ」
それからずっと圭吾がこうやって遅くなったときは一緒に帰ってくれる。
本当は今すぐ引っ越せ、なにかあるか分からないって言われたけど、家の更新日が近かったことと、一人暮らしで簡単に引っ越し先を探したり引っ越し代を捻出するのが難しかった。
実家の私の部屋は、ずっと部屋が無かった母が推し活グッズを収納収集する部屋に改造してたし、兄の部屋は物置状態。それに酔っ払いが怖いなんて言えば兄が忙しいのに送り迎えしてきそうで相談できなかった。
だから圭吾に引っ越せとか心配して貰っても、でもでもだってと言い訳ばかり。
呆れた優しい圭吾がこうやって終電は変な人に絡まれないよう周囲を警戒してくれるようになった。
ずっと甘えていたんだ。
偶々二人で帰っているときに、兄に会って圭吾が居なくなってから経緯を説明したときだ。
『えー……でもそれ、圭吾の彼女に悪くないか』
『へ? 彼女いるの?』
『別れたって話きかないから続いてるんじゃないのか。俺だったら彼女いるのに毎日終電で女性を送ったりしないけどなあ』
意外とずるい男じゃないの。
兄はそう言ってにやにや笑っていた。
でも違う。
ずるいのは圭吾ではない。
兄に言われても本人に確かめず終わらせることもできずにここまで甘えてきた私だ。
この関係を壊したくなくて、聞かない、知らないふりをしていた。
***
ふう。
昨日の圭吾からのメッセージは『何かあった?』と着信が一件。
いつも自分がしているくせに、私がしたら慌てて電話してくるんだね。
まあ私が心配かけるようなことばかりしているからか。
「先輩、今日って早く帰れたり……」
「あ? 猫が病気にでもならない限り絶対に無理よ」
今日発売の冬限定カラーのアイシャドウのポスターをノックしながら先輩の目は死んだように座っていた。
クリスマス前って女性客だけではなく男性客がプレゼントのために増える。
彼らは彼女のリクエストを購入してくれる場合は簡単なのだが、彼女に似合う色を悩まれたり分からないから全色購入したり買い占めたりと色々とアドバイスが必要だったり暴走を止めないといけない場合がある。
だってやっぱり購入したあとに後悔されたら悲しいからね。喜んで帰ってほしい。
「このリップの色、いいですよね」
クリスマスコフレの予約時期は本当に地獄のように忙しかったけれど、終わってみれば私も予約すれば良かったと後悔する。
でも今年は引っ越ししちゃうし節約のために諦めた。
「私はこのドールハウスみたいな箱に入ったこれ、中身確認する前に予約しちゃった」
「可愛い!」
でも値段をちらりと確認すると全く可愛くなかった。おそろしい。
「そういえばクリスマスとクリスマスイブは一万円以上購入の方にノベルティグッズ渡さすでしょ。納品遅れてるんだって」
「ひいいい。当日梱包とか何もなければいいけど」
私が務めている化粧品は、圭吾の働いているバイブランドと比べれば、若いお客様も頑張って背伸びしない程度で購入できるブランド。
シリーズによっては若いお客様とお姉様方もずっと愛用してくださっている。
だからクリスマスに自分のご褒美に購入していく方も少なくはない。
去年は五分でお弁当を食べ終わった記憶しか残っていない。
「それにしてもあんた就職してからずっとクリスマス、仕事じゃない?」
「う。先輩こそ!」
「私は正月に韓国で美容旅行よ」
「えっ」
新年は新年でとてつもなく忙しいのに、休めたんだ。
兄が一年の三分の一は海外出張だから知ってるけど、年末年始の海外旅行の移動費もホテルも何倍になる。私なら躊躇しちゃうけど、茉莉先輩は自分のケアのためならお金は惜しまない。判断力も思い切りも、そして自分の機嫌も自分でとれちゃう茉莉先輩は私の憧れだ。
だからこそ先輩がいない新年スタートは不安だな。
「なあんかずるいよね、美加って」
「えっ?」
ずるい?
綺麗で何もかも持っていそうな先輩からそんなことを言われて戸惑う。
「甘え上手というか、顔に感情が全部出てさ、ああこの子ってば私がいないの寂しいんだ、とか今緊張してるんだって分かってついつい面倒見てしまうの」
「そうなんですか……」
全く自覚なかった。
でも嘘はつけない顔してるとは友達にも言われていたし、兄も私に何もかも世話をやくので母も父も過保護すぎるって怒っていた。
ってことは、圭吾も私のこの分かりやすい表情を見て、面倒を見てしまったんだ。
「なんで落ち込んでるのよ。いいじゃん、私なんて恋人に『今、甘えたいんだけど』って言わなきゃ全然伝わんないんだよ。恥ずかしいっての」
「それは鈍感な恋人さんが悪いです!」
こんな綺麗な先輩を恋人にしている時点で常に先輩のことを考えていなきゃダメ。
なんて思ってしまう私は未だに恋愛経験は高校生で止まっている。
「こんちあーっす」
先輩と楽しくじゃれ合っていたのに、その声に固まってしまう。
「あら野崎くん、おはよう。珍しいわね」
それまで私に会わせて話してくれていた先輩が、ふっと仕事モードに切り替わる。
どの角度から見ても綺麗で見とれそう。
「ノベルティグッズがうちの荷物に紛れてて。重いから俺が奥に運びますよ」
荷台に段ボール四箱乗せてもってきてくれたらしい。
こちらも仕事モードのちょっと格好いい圭吾だ。
二人を眺めていると、うちの百貨店が高級だったことを思い出す。
「ありがとう。重たいのに助かるわ」
「あ、ありがとうございます」
って圭吾なのに、なんで緊張して敬語になっちゃってんだ。
でも圭吾も悪い。仕事の時はとても格好いい。
「あら、電話。美加さん、伝票と中身確認しといて」
電話対応をしてくれている茉莉さんを横目に、今受け取った段ボールを一個開けてみる。なるほど、伝票の階数が間違えている。中身は問題さ無そうだけど、問題は圭吾からの視線だ。
ずっとこっちを見て帰る気配がない。
「仕事に戻らなくて平気なの?」
荷台に体重を乗せ腰かけてから、私の方をまだ見てくる。仕事中だってば。
「お前、昨日のあれはなんだよ」
「あれって?」
「あれって」
説明しようとして、少し悩んでから圭吾が唇を尖らせる。
茉莉先輩に見せてやりたい。
うちの社員からも爽やかなイケメンだって鵜沢されている圭吾だけど、こんな風に分かりやすい表情をしてくる。私より圭吾の方が分かりやすい。
「いつも圭吾が私にしてることでしょ」
意趣返しだよって軽く伝えた。
昨日の私は、深夜テンションだったということで。
普段だったら絶対にこんな風にならないはずだし。
「なんだよ、期待させるなよ」
期待?
思わず伝票から顔を上げると、なんだか少しだけ困った様子でこちらを見てくる圭吾の姿が立った。
「今日は定時?」
「……わかんない。どれだけお客様がくるか分からないし」
新作が出たり毎週のようにクリスマスコフレが出るので、お客様の人数を把握するのは至難の業だ。
圭吾のところみたいに大体が予約のお客様だったり、閉店間際に駆け込む雰囲気ではない店ではないので、分からないとしか言えない。
「まあ待っとくか。そういえば忘年会は?」
私が飲み会は怖いて言ってたから心配してくれるのか。
忘れてなかったあたりは本当に圭吾らしい。
「ビクビクしたけど不参加って幹事に伝えた。申し訳ないけどここで言わなきゃ、圭吾にも迷惑かけちゃうし」
参加するっていえば絶対に反対するか迎えに行くからってお世話してくれそう。
年末年始なんて実家に帰ったり友達と会ったり、茉莉先輩みたいに旅行に行くとか多忙だろうから、負担をかけたくない。
「んー。ずっと上手くすれ違ってるんだよな。いや、うまくないからすれ違うのか」
ぶつぶつ言いながら首をひねる圭吾を見て、私も首を傾げるぐらいしかできなかった。
「俺より早く終わっても駅には行かず待っとけよ」
「うん。ありがとー」
適当な返事になってしまったけど、そのまま圭吾は荷台を押しながら帰って行った。
何かさっきの会話、変だった気がする。
「はっ」
駄目じゃん。ちゃんと断らなきゃ。
彼女がいる人に、クリスマスで忙しい時期をずっと送らせて電話して独占してって、一番最低じゃん。
ちゃんと兄に送って貰うからって断ろうと決めたのに。
慣れてしまってお礼まで言ってて、私って馬鹿以外の何者でもない。
「野崎圭吾くんねえ」
「うわ、茉莉先輩」
「全く女の匂いも影も形もしない男って怖いよね」
「え、怖いですか」
圭吾は仕事中は女性の視線を集めてしまうほどイケメンではあるが、一緒に居るときは結構ふにゃふにゃだけど。
「怖いでしょ。いざ付き合うとか好きになって距離近づいてから彼女いますって言われてもさ」
う。
何か心当たりがありすぎて胸が痛くなる。
まだ私は認めてないし口には出してないからセーフだ。
「ブレーキかけれる? ここまで好きにさせてって飛び込みそうじゃん?」
「でもそれって」
「そう。野崎圭吾が不誠実な男だった場合、二番目になっちゃうの。でも止まれないでしょ? 私生活が謎な男は注意ね」
私生活が謎ではない、よね。
一緒に帰るうちに好きな音楽、好きなお店、テレビ、シャンプーまで把握してるし。
「まあ女性不振や世話好きすきて恋人作れないイイ人止まりの場合もある」
まさにそれです。
私の面倒に巻き込まれて、彼女が作れないか彼女との時間を削っているか。
せめて逃げていたことから向き合わなきゃいけない。
ここまでお世話になって迷惑を散々かけているんだから。
***
仕事が終わったのが二十三時。
本当に終電ぎりぎりって何故?
他の会社も繁忙期はこんなに残業ばかりなのかな。
でも青い顔してずっと作業している上司と予約していたネイルサロンにキャンセルの電話している茉莉先輩を見ていたら帰れるわけない。
上司が地下で好きなお弁当を買ってきて良いと言われ一番の下っ端の私が好きな物を買えたので、お腹だけは満たされていた。
「お疲れ様っ。タクシー相乗りする人! 駅まで」
茉莉先輩が何人か呼びかけている。
「先輩、私ーー」
私もと名乗り上げる前に、裏口近くのベンチでスマホを横にしてゲームしている圭吾の姿が目に飛び込んできた。
息が白くて鼻が赤くなっている。
いつもなら……カフェやら近くのお店で時間を潰しているのに。
「お、美加。終わった?」
イヤホンを外して適当にコートのポケットに入れながら近づいてくる。
「ひゅー」
「お疲れ様ー」
「え、いや、違」
残業のハイテンションな先輩方はからかいながらタクシーに乗り込んでしまった。
「なんだ、あれ」
「忙しすぎてテンションおかしくなってたの」
美人な先輩しかいないから圭吾も驚いている。
「てか私らも急ごう。終電」
「ああ」
真っ赤になった鼻を見て、白く吐く息を見て、なんで私は素直にありがとうって伝えられないんだろう。
「あの圭吾、ありが」
「そういえばお前、クリスマスの予定は?」
クリスマスの予定。
「お兄ちゃんがこっちに帰ってこれるならばお兄ちゃんとクリスマスプレゼント交換するけど、仕事だよ。私が仕事だからって両親は温泉旅行だって」
「そうじゃなくて、……暇?」
仕事って言ったじゃんと言おうとして固まった。
え?
「け、圭吾の予定は?」
なぜか此方を向かず早足で歩いていた圭吾がピタリと止まる。
終電まで残り十分。
「お前と過ごしたいから聞いてるんだよ」
「うわ」
わ、私と?
「えっとお兄ちゃんと予定が」
「帰ってこれるか分からねえって今、言ってたよな」
逃げられない。
どう返事をしようか悩んでいたら一分経っていた。
ここから歩いて五分。
ホームまで走って一分。
もう時間はない。
「返事、考えといて」
腕を掴まれて、急ぎ足で駆けていく。
彼の耳が赤いのは、この突き刺さるような冬の寒さからなのだろうか。
ひらひらと私を惑わすように、圭吾のコートが風に靡いている。
ずっとぐるぐるしてる。ずっと悩んで、そして見ないふりしてきた。
なのに心の準備もまだなのにいきなりはずるい。
「でも! でも圭吾は彼女いるんでしょ!」
改札口に着いたとき、お互い少し息を整えていたが大きく息を吸い込んでから叫んでしまった。
震える声が情けない。
「……彼女がいる男のムーブか、これ」
これ、と言って私の手を握る力を込める。
「だってお兄ちゃんが言ってたから」
「いつの話だよ。大学もいねえよ。高校?」
首を傾げていたら、アナウンスが流れた。
急いで改札口を通過して、一番ホームへ走った
「昨日の美加の様子がおかしかったから、不安になったんだよ」
ホームに入ってきた最終電車には、ちらほらと人が乗っている。
圭吾はその電車の中を見渡して、酔っ払いがいない号車に誘導してくれる。
だめ。
そんな風に私をトラウマから守ってくれようとするのはずるい。
好きって零れてしまう。
好きって溢れてしまう。
「す、き」
口からこぼれ落ちた本音が、自覚するより早く相手に届いた。
「は?」
「や、えあ、ま、またね」
最終電車に乗り込む。
ドアが閉まるまであと一分。
目を見開いて呆然としている圭吾を残して、急いでドアに隠れた。
「美加」
「いっつも言いかけて期待させて、途中で終わらせてきたじゃん! ちょっと時間ちょうだい!」
こんな終電間際で言わないで。
「私、私はね」
笛の音が鳴り響いた。
今日は私が途中で止める。
明日まで胸を締め付けてきりきりさせるか、どう断ろうか悩めばいい。
だってずっと優しい圭吾の姿しかみせてくれなかったんだから。
「それは、ずるいだろ」
腕を掴まれる。
吸い寄せられるように彼が私の腕を掴むと、引き寄せて抱き締められた。
私の背中で、無慈悲にも最終電車の扉は閉まった。
「俺にちゃんと言わせろよ。そして返事も聞かせろ」
鼻も耳も真っ赤な圭吾。でもずるい男だ。
チカチカするほど心臓が痛い私は、一体どれぐらい真っ赤になっているのだろうか。


