ナースマン先生の恋は暑苦しい
4 ナースマン先生はいろいろ全力
真帆は、自分はわりと健康に気を遣っている方だと思っている。
お酒は飲まず、お昼はお弁当で、食べすぎるということはあんまりない。ちゃんとした運動はしていないが、車に頼らず自転車や徒歩を心がけている。
でも真帆はそれを軽く超えた健康というのを、目にすることになった。
(なんでこの人、全然太らないんだろう)
ある日休憩室で他の先生たちとお昼を食べている朝倉を見て、気づいてしまった。
他の先生たちは女性、その中で唯一男性ということを差し引いても、彼のお昼の量は周りに比べて三倍くらいある。
「あ、どうも! いただきます!」
先生たちに混じって、ちゃっかりおやつも食べている。
それなのに体型はスポーツ選手のように引き締まったまま、白衣の半袖から伸びる腕には無駄な肉が一切ない。
(全部燃焼している? いや、どうやって)
首を傾げた真帆だったが、実はその答えは簡単だった。
「朝倉先生、放課後のシーツ交換練習付き合ってあげてくれる?」
「いいですよ! ついでに明日の実習の設営してきますね!」
朝倉は、男性ということで力仕事を頼まれることが多いが、それを全然嫌がらない。かといって頼まれっぱなしでもなく、要領よく自分の仕事も織り込んでいく。
席に座っているということがほとんどない。実習先の病院と学校を一日に何度も往復し、学生に声をかけ、時に走る。
さらに真帆がちょっと仕事で遅くなった日、駅前でタオルを首にひっかけた朝倉と出会ったことがある。
「お疲れさまです!」
「先生、今出てきたところ……」
真帆が思わず聞いてしまったら、朝倉はさっぱりした顔で笑う。
「仕事終わりのジムは最高ですね!」
「……お仕事の後ですよ?」
「泳ぐとスッキリしますから!」
そんなことを晴れやかに言う彼は、真帆のアフターファイブと全然違う。
(……体力おばけだ)
真帆はというと、夕方三時を越えた辺りで仕事効率は各段に停滞する。
終業時間が近づくにつれ、キーボードを打つ指が重くなり、思考が鈍くなっていた。
(なんで自分、一日体力もたないんだろう……)
確かに今日は照会期限が午前までの事務と格闘していたし、学生対応も重なった。
でも一日仕事を全うするくらいには体力があってほしいと思うのに、どうにも自分は貧弱だ。
――……くんはバリバリ残業できるからすごいよね。
育児や介護があるわけでもないのに、自分は体力がなくてほとんど残業ができない。そういう引け目がある。
「高瀬さん」
不意に声をかけられて顔を上げると、朝倉が覗き込んでいた。
「……何でしょう」
(近い)
うろんな目をして返すと、朝倉はそのままの距離で言う。
「今、頭回ってないですよね」
「……否定できません」
すると朝倉は、にっと笑って白衣のポケットを探る。
「そういうときにいいものがあります」
そう言って取り出した手には、派手な小袋があった。
「はい、差し入れです」
袋のパッケージを見て、真帆は目を瞬かせる。
「雷神チョコです!」
「……名前、強いですね」
銀色のパッケージに、いかにも高カロリーそうなキャッチフレーズが浮き出ている。
「俺、病院時代からこれ好きなんですよ。疲れたとき、効きます」
真帆は少し迷ってから、ぼそりと返す。
「おやつは食べないんです……太るので」
その瞬間、朝倉の表情が真剣になった。
「数値的に病態を観察しましょう」
「何の話ですか」
「ある程度の体重は、日々の健康に必須です」
妙に落ち着いた声に気圧されて、真帆はのけぞる。
「つまり高瀬さんは、やせすぎだということです」
その目は女性を見るいやらしさなど欠片もなく、血圧や体重計を淡々と観察するようなプロフェッショナルの顔があった。
「……そうでしょうか」
「はい。俺、高瀬さんの体重と体脂肪大体当てられますよ。言いませんけど」
真帆は反論が思い浮かばず、遠い目をした。
(勝てる気がしない)
「一個だけですよ」
チョコレートの小袋の封を開けて一口かじった瞬間、真帆は思わず目を見開いた。
「……甘っ」
雷神チョコ、たぶん夜明けという意味も掛けているのだろう。
濃厚で、がつんと血糖値が上がりそうな甘さだった。
「目が覚めるでしょう?」
朝倉は普段反応が薄い真帆が動揺しているのを見て満足そうだった。
「脳に直接来る感じです」
「もう一ついきますか?」
「遠慮します」
「わかりました。お守りに一個置いていきます」
その後、病院に書類を届けた帰りに、朝倉の姿を見かけた。
「いきますよー……はーい、右足から乗せて」
病院の車寄せで、車いすの高齢者を迎えの車に乗せていた。
以前聞いたことがあるけど、これは当然朝倉の仕事ではない。たまたま病院から学校に戻る途中で、困っていた人がいたから助けているだけだ。
「はいオーケイ、運転手さん閉めていいですよー。おばあさん、じゃあねー!」
高齢者とはいえ抱えるように支えれば重い。でもそんな苦痛は微塵も見せず、朝倉はさわやかに手を振って車を見送った。
「……いつもながら、よく体力がもちますね」
一緒に学校に戻る途中、真帆は感心してつぶやいた。
朝倉はぐるりと腕を回して答える。
「健康には気を遣ってます。外食せず基本自炊です」
「そうでしたか。意外」
「プロテインを飲んだり」
「でも甘いものは食べる」
真帆が言葉を挟むと、朝倉はにかっと笑った。
「一日がんばって働きます! おいしくご飯食べたいですからね!」
その笑顔は、いつものように明るくてまっすぐだった。
(この人、いろいろ全力すぎる)
でも以前のように、鬱屈とした妬みは感じない。
(……私も、もうちょっとがんばるか)
朝倉はふいにむずかゆそうに声をかける。
「あ、でもたまに昼、外出るのは全然オーケイなんで。一緒に……」
「私も心を入れ替えて自炊します。そうですね、昼はしっかり食べないと」
真帆はにっこり笑ってうなずく。
半袖のナースマン先生も、体力不足の事務員も、日々全力で動いている。
お酒は飲まず、お昼はお弁当で、食べすぎるということはあんまりない。ちゃんとした運動はしていないが、車に頼らず自転車や徒歩を心がけている。
でも真帆はそれを軽く超えた健康というのを、目にすることになった。
(なんでこの人、全然太らないんだろう)
ある日休憩室で他の先生たちとお昼を食べている朝倉を見て、気づいてしまった。
他の先生たちは女性、その中で唯一男性ということを差し引いても、彼のお昼の量は周りに比べて三倍くらいある。
「あ、どうも! いただきます!」
先生たちに混じって、ちゃっかりおやつも食べている。
それなのに体型はスポーツ選手のように引き締まったまま、白衣の半袖から伸びる腕には無駄な肉が一切ない。
(全部燃焼している? いや、どうやって)
首を傾げた真帆だったが、実はその答えは簡単だった。
「朝倉先生、放課後のシーツ交換練習付き合ってあげてくれる?」
「いいですよ! ついでに明日の実習の設営してきますね!」
朝倉は、男性ということで力仕事を頼まれることが多いが、それを全然嫌がらない。かといって頼まれっぱなしでもなく、要領よく自分の仕事も織り込んでいく。
席に座っているということがほとんどない。実習先の病院と学校を一日に何度も往復し、学生に声をかけ、時に走る。
さらに真帆がちょっと仕事で遅くなった日、駅前でタオルを首にひっかけた朝倉と出会ったことがある。
「お疲れさまです!」
「先生、今出てきたところ……」
真帆が思わず聞いてしまったら、朝倉はさっぱりした顔で笑う。
「仕事終わりのジムは最高ですね!」
「……お仕事の後ですよ?」
「泳ぐとスッキリしますから!」
そんなことを晴れやかに言う彼は、真帆のアフターファイブと全然違う。
(……体力おばけだ)
真帆はというと、夕方三時を越えた辺りで仕事効率は各段に停滞する。
終業時間が近づくにつれ、キーボードを打つ指が重くなり、思考が鈍くなっていた。
(なんで自分、一日体力もたないんだろう……)
確かに今日は照会期限が午前までの事務と格闘していたし、学生対応も重なった。
でも一日仕事を全うするくらいには体力があってほしいと思うのに、どうにも自分は貧弱だ。
――……くんはバリバリ残業できるからすごいよね。
育児や介護があるわけでもないのに、自分は体力がなくてほとんど残業ができない。そういう引け目がある。
「高瀬さん」
不意に声をかけられて顔を上げると、朝倉が覗き込んでいた。
「……何でしょう」
(近い)
うろんな目をして返すと、朝倉はそのままの距離で言う。
「今、頭回ってないですよね」
「……否定できません」
すると朝倉は、にっと笑って白衣のポケットを探る。
「そういうときにいいものがあります」
そう言って取り出した手には、派手な小袋があった。
「はい、差し入れです」
袋のパッケージを見て、真帆は目を瞬かせる。
「雷神チョコです!」
「……名前、強いですね」
銀色のパッケージに、いかにも高カロリーそうなキャッチフレーズが浮き出ている。
「俺、病院時代からこれ好きなんですよ。疲れたとき、効きます」
真帆は少し迷ってから、ぼそりと返す。
「おやつは食べないんです……太るので」
その瞬間、朝倉の表情が真剣になった。
「数値的に病態を観察しましょう」
「何の話ですか」
「ある程度の体重は、日々の健康に必須です」
妙に落ち着いた声に気圧されて、真帆はのけぞる。
「つまり高瀬さんは、やせすぎだということです」
その目は女性を見るいやらしさなど欠片もなく、血圧や体重計を淡々と観察するようなプロフェッショナルの顔があった。
「……そうでしょうか」
「はい。俺、高瀬さんの体重と体脂肪大体当てられますよ。言いませんけど」
真帆は反論が思い浮かばず、遠い目をした。
(勝てる気がしない)
「一個だけですよ」
チョコレートの小袋の封を開けて一口かじった瞬間、真帆は思わず目を見開いた。
「……甘っ」
雷神チョコ、たぶん夜明けという意味も掛けているのだろう。
濃厚で、がつんと血糖値が上がりそうな甘さだった。
「目が覚めるでしょう?」
朝倉は普段反応が薄い真帆が動揺しているのを見て満足そうだった。
「脳に直接来る感じです」
「もう一ついきますか?」
「遠慮します」
「わかりました。お守りに一個置いていきます」
その後、病院に書類を届けた帰りに、朝倉の姿を見かけた。
「いきますよー……はーい、右足から乗せて」
病院の車寄せで、車いすの高齢者を迎えの車に乗せていた。
以前聞いたことがあるけど、これは当然朝倉の仕事ではない。たまたま病院から学校に戻る途中で、困っていた人がいたから助けているだけだ。
「はいオーケイ、運転手さん閉めていいですよー。おばあさん、じゃあねー!」
高齢者とはいえ抱えるように支えれば重い。でもそんな苦痛は微塵も見せず、朝倉はさわやかに手を振って車を見送った。
「……いつもながら、よく体力がもちますね」
一緒に学校に戻る途中、真帆は感心してつぶやいた。
朝倉はぐるりと腕を回して答える。
「健康には気を遣ってます。外食せず基本自炊です」
「そうでしたか。意外」
「プロテインを飲んだり」
「でも甘いものは食べる」
真帆が言葉を挟むと、朝倉はにかっと笑った。
「一日がんばって働きます! おいしくご飯食べたいですからね!」
その笑顔は、いつものように明るくてまっすぐだった。
(この人、いろいろ全力すぎる)
でも以前のように、鬱屈とした妬みは感じない。
(……私も、もうちょっとがんばるか)
朝倉はふいにむずかゆそうに声をかける。
「あ、でもたまに昼、外出るのは全然オーケイなんで。一緒に……」
「私も心を入れ替えて自炊します。そうですね、昼はしっかり食べないと」
真帆はにっこり笑ってうなずく。
半袖のナースマン先生も、体力不足の事務員も、日々全力で動いている。

