さよならの代わりに授かった宝物

第八章:氷の微笑と、暴かれた空白

勇気が見せ始めた「父親」としての柔らかな表情に、
萌香の心がようやくほどけ始めた――その矢先だった。

公務で勇気が不在の午後。
静かなマンションに、インターホンの音が響く。

モニターに映っていたのは、
凛としたスーツを着こなす、美しい女性。

「……どちら様でしょうか」

「高畑警視の同僚よ。
いえ……“元・相棒”と言った方がいいかしら。佐倉と申します」

少し迷った末、萌香は彼女をリビングに通した。

佐倉美月は室内を一瞥すると、薄く微笑む。

「……随分、穏やかな部屋ね。
彼がこんな場所を選ぶなんて、少し意外だわ」

その視線には、公安特有の鋭さが宿っている。

「彼が必死に隠しているから、どんな女性かと思っていたけれど……
二年前の“ターゲット”を、今も大切にしていたなんて」

「……私は」

萌香は、静かに言葉を選んだ。

「彼の妻になる予定だった人間です」

佐倉は小さく肩をすくめる。

「ええ、知ってるわ。
彼の任務を完璧にするための、最高に優秀な“協力者”」

その言い方に、胸がちくりと痛む。

「でもね」

佐倉は声を落とす。

「あなたが消えた後、彼はおかしくなった。
上層部から注意を受けるほど、あなたを探したのよ」

「……探した、理由は?」

「執着と、後悔。
そして……守れなかった自分への怒り」

萌香の指先が、無意識に震える。

その時――

「おばちゃん、だれ?」

奥の部屋から、蓮がひょこっと顔を出した。

佐倉の視線が、蓮を捉えた瞬間、ぴたりと止まる。

「……あ」

驚きに、言葉を失う。

「……なるほど。
勇気、ここまで来ていたのね」

「蓮に近づかないでください」

萌香が一歩前に出ると、佐倉はふっと表情を和らげた。

「安心して。
私は敵じゃない……少なくとも、あなたとその子に対しては」

そして、少しだけ真剣な声で囁く。

「彼が“家族”に固執する理由、知りたくなったら……
いつでも聞きに来なさい」

その瞬間。

玄関のドアが、静かに、しかし確かな音を立てて開いた。

「……佐倉」

低く、落ち着いた声。

振り返った佐倉の前に立っていたのは、
萌香と蓮を背に庇うように立つ勇気だった。

「勝手に来るな。
俺の家族に、余計なことを吹き込むな」

「相変わらずね」

佐倉は苦笑する。

「でも、変わったわ。
前なら“家族”なんて言葉、使わなかった」

勇気は一瞬も目を逸らさず、言い切った。

「今は違う」

その声は、静かで、揺るぎない。

「彼女も、子どもも。
俺が守る」

佐倉は小さく息を吐き、踵を返した。

「……せいぜい、大事にしなさい。
あなたにとって、初めて手放せないものなんだから」

ドアが閉まり、室内に静寂が戻る。

勇気はしばらくその場に立ち尽くし、
やがて、ゆっくりと振り返った。

「……怖い思いをさせたな」

萌香の前に歩み寄り、そっと肩に手を置く。

「だが、約束する。
過去が何であれ、もう二人を不安にさせることはしない」

蓮が勇気の脚にしがみつく。

「ぱぱ、だいじょうぶ?」

「ああ」

勇気は迷いなく、蓮を抱き上げた。

「全部、俺が引き受ける」

その背中を見つめながら、萌香の胸に、
不安と同時に――確かな温もりが広がっていく。

彼が守ろうとしているのは、
罪の隠蔽ではない。

“家族”という、たった一つの居場所なのだと。
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