これはもはや事故です!
 モニターの向こうで、磯崎は静かに佇んでいた。
 急かす様子も、苛立ちもない。ただ、待っている。

(……磯崎さん)

 来てくれたことを嬉しく思いながら、それでも美羽はドアの鍵を開けることが出来なかった。

(勘違いしたら、ダメなんだから……)

 代わりに、インターホン越しに小さく声を出す。

「……どう、しましたか……?」

 一瞬の沈黙のあと、低い声が返ってきた。

『忘れ物を、返しに来た』

「……忘れ物?」

『君の靴だ。玄関に、残ってた』

(……ヒール)

 あの日。
 ケガをした夜、履いていた靴。

 誕生日に、「今年は少し大人になりたい」なんて思いながら、
 自分で選んで、自分で買った、大事な一足。

 ヒールの高さに、少し背伸びした気分になれて。
 鏡の前で何度も履いては、照れくさく笑った靴。

「……それ」

 声が、思ったより掠れた。
 インターホンの向こうが、少しだけ静かになる。

『……直接、渡したい』

 短い一言。
 でも、拒めない強さがあった。

(会ったら……だめなのに)
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