夫のいない間に
 「今から独り旅に出る」

 ある初夏の朝、突然、夫の貴士(たかし)が家を出ていった。

 今まで隠し保有していた、家の (夫名義 の通帳と印鑑、家の権利書まで置いて――

 「……え?」

  Tシャツにジーンズという服装、スーツケースではなく、大きなリュックサックを背負っていたから明らかに出張ではない。

 「ど、どこに?」
 
 戸惑う私の問いには答えず、玄関からスッと消えたその背中を、私は追いかける事はしなかった。

 独り旅って、会社はどうするのよ?

 私は、微かに震える手でテーブルに置かれた預金通帳を手に取った。


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