三度目の人生は、キミのために。

05:心で感じる魔法

 ロアは図書館から抱えてきた五冊の本を、居間のテーブルに置いた。
 それから、暖炉前のロッキングチェアに揺られるリディアに声をかけた。

「〝マーテル地方の歴史〟って本を読んでみたの」
「そうか」

 リディアの返事は、その一言。
 話の続きが気になるのか、それとも全く興味がないのか。やはりロアにはわからない。

 しかし、耳を傾けてくれるようではあった。

「死者の国を調べてみたんだけど、なにもなかった。シェルもよく知らないんだって」
「そうか」

 リディアはそう言うと、閉じていた目をひらく。
 それからロアを見てほほ笑んだ。

「シェルと話ができて、よかったな」

 傾いた太陽の光が、部屋の中にさしている。
 それは、いつもより優しい色をして見えた。

「うん。私も、そう思った」

 ロアは本を抱え直し、自室に入る。
 そしてベッドに横になると、本を開いた。

 本は、ロアの生活を大きく変えた。
 興味と関心のまま、歴史、文化、哲学、さまざまな本を手に取った。

 ただの草にしか見えなかった薬草の、名前と意味を知った。
 毎日見ている薬草畑が、効果を最大限に引き出せるように植えられていることを知った。
 そして、マーテルが、どのようにして歴史を築いてきたかを知った。

 崇高な行いのような気さえした。
 時間をただの娯楽でつぶすのではなく、知識で欲を満たす。
 それは、人生を三度繰り返して、初めての経験だった。

 自分のことを、誇らしく思えた。

 少しの暇があれば本を開き、駆り立てられるように読み続けた。
 食事も睡眠も、生活のすべてを削って。

 あっという間に、一週間、二週間と過ぎた。
 図書館の中で一日中過ごすことが増えてきた。

 ――あれ、今どこを読んでたっけ。

 家の外壁に背中を預けていたロアは、本の文字を巻き戻すようになぞった。
 ページを二ページ戻してやっと、見覚えのある文字にたどり着く。

 最近、本を読み進めていても、ページを戻ることが増えた。
 本を抑える指先が冷えている気がした。

 しかし、なにが問題なのか、わからない。

 ロアは息を吐くと、目の前の薬草畑を見た。
 リディアが薬草を選別している。
 ポカポカした日差しが眠気を誘って、ロアは目頭を押さえた。

 眠っている暇なんてない。
 私はなにも持っていないんだから、時間をかけるしかない。
 追いつかないと。少しでも、シェルとルイスに。

「ロア」

 すぐそばで誰かから名前を呼ばれて、ページをめくろうとしていた手を止めた。

「ルイス、どうしたの?」
「今ロアに必要なのは、休むことだと思うよ」

 見上げたルイスは、厳しい表情をしている。

「怒ってる」
「怒ってるよ。ロアのことを心配してるから」

 ルイスはそう言うと、厳しい表情を少し緩めた。
 太陽が、ルイスの後ろから射している。

「僕でよかったら、話聞くよ」

 ルイスは優しい。
 二度目の人生の時から、ずっとそうだ。

 よく人を見ていて、何も言わなくても、心地いい距離感を作ってくれる。
 だから、甘えて吐き出したらきっと、全部受け止めてくれる。

「今はなにも話したくない。ごめん。でも、ありがとう、ルイス」

 ロアは立ち上がると、ルイスに背を向けた。
 ルイスはこんなとき、深く問いかけたりしないことを、ロアはよく知っていた。

 図書館に入ったロアは、いつものソファにどかっと腰を下ろした。

 止まることが怖くて堪らなかった。
 走り続けていないと、元の自分に戻ってしまう気がした。
 その不幸に抗う方法は、もう、本を読み続けるしかない。

 ページをめくり続けた。
 日が暮れたことにも気づかずに。

 しかし、もう本という景色を眺めているだけ。
 ページをめくる手さえ止まっていた。

「たのもー」

 シェルの声にはっとして、読みかけの文字をさがした。

「……ルイスに頼まれてきたんでしょ?」
「そういうことー」

 シェルはあっさりと白状して、ロアのすぐ隣に腰を下ろした。
 ロアは文字を目でなぞる。意味なんて、ひとつも頭に入ってこない。

「もー」

 ロアはどうしようもなくなってうなり声をあげた。それから天井を仰ぎ、本で顔を覆った。

「邪魔しないでよ」
「わかるよロアの気持ち。俺も寝てないとき、歴代国王の七、八代目あたりからなにしたか本当に思い出せないもん。寝てないときって頭回らないよね」

 確かに、最近ずいぶん寝不足だ。

「国王の名前は語呂合わせで覚えてるから、出るっちゃ出るんだけど……」
「……ご先祖さまの名前、語呂合わせで覚えてるの?」
「うん、そう。でも内緒ね。絶対怒られるから」

 歴代の王の名前を語呂合わせで覚えているのがシェルらし過ぎて、それを怒られるから内緒にしてほしいと頼むところも可愛くて、ロアは思わず笑った。
 二度目の人生で闇落ちしたシェルにも、こんな時期があったはずなのに。

「ロアに問題です」
「なによ、急に」
「マーテルには国中から集まった優秀な研究者たちがたくさんいます。みんな同じものを一番大事にしています。さて、それはなんでしょーか?」
「……勉強する時間?」
「ぶっぶー。正解は……寝る時間」
「寝る時間……?」

 想定外の言葉に、ロアはシェルの言葉を繰り返すしかなかった。

「ちゃんと寝るのは、優秀な人間たちのあたりまえなんだよ」
「それは……短い時間で結果を出せる天才が集まってるからでしょ」
「どんな天才でも、短い時間じゃ結果は出ないんだよ。だからみんな毎日、自分の頭が一番起きているときに仕事をするんだって。ちゃんと寝ないと、ぜーったいに頭は起きない」

 そう言うとシェルは、ロアの目を見た。

「今のロア、頭、ちゃんと起きてる?」
「……起きてない、かも」
「すっごい頑張ってるなーって思ってた。でも、誰かが〝寝ない研究者は役立たず〟って言ってたのを思い出して」

 シェルの言葉はド直球すぎて、心を打ちぬいたあと、傷つく間もなく通り過ぎていく。

 ロアは大きなため息を吐いた。一気に体の力が抜けて、少し残っていた気力までなくなった。

 残った感情は、一つだけ。

「……すごい疲れた」
「お疲れさま」

 国で一番優秀な人たちは、共通してみんなよく眠っている。
 寝ない人間は役立たず。

 そんな当たり前は、今までのロアになかった。

「もう少し気楽にいこうよ、ロア。人生は長いって、本に書いてあったよ」

 人生は長い。確かにそうだ。
 でも、短くもある。

 一度目の人生なんてあれほど長く感じて苦しかったのに、振り返ってみればあっという間だった気がする。それが、時間というものだ。

 二度目の人生のシェルは、どう思っていたんだろう。

「シェル」
「うん」
「なんでも話してね。嫌なこととか、嬉しいこととか、なんでも」
「うん。わかった」

 本当にわかっているのだろうか。
 〝ちょっとそれ取って〟〝うんいいよ〟みたいな軽い話じゃないと思うんだけど。

 沈黙が、とても神聖な安らぎに感じた。

「ロア、本物の魔法、見たことある?」

 先に沈黙を裂いたのは、シェルだった。

「本物の魔法って? おばあちゃんが使うのは魔法じゃないの?」
「あれも魔法だよ。でも生活に必要なものばっかりでしょ。もっと、普通の魔法。火を出したり、水を出したり」
「そういうのは、見たことないかも」
「ルイスも見せてくれたことない?」
「うん。ない」

 二度目の人生。
 ルイスが魔法を使えると知って、見たいとごねた事があるが、結局見せてもらえたことはない。

「そっか」

 シェルはあっさりした様子でそう言うと、左手を上げた。
 ロアはシェルの左手のブレスレットごと、彼の手首を掴んだ。

「魔法は使っちゃダメだって言われてるでしょ」
「俺、魔法を使っちゃダメだって、ロアに話したっけ?」

 このブレスレットが魔力を封じるために身に着けていると知ったのは、もっと後の話だったかもしれない。
 シェルはロアの手を振り払って立ち上がる。
 ロアはシェルを追いかけ、やっとのことでシェルの右手を掴んだ。

「ダメだってば! マーテルに連れ戻されちゃうよ!?」
「その時は、ロアも来てよ」

 心臓が、音を立てた。
 二度目の人生で、一度だって聞いたことがない言葉だったから。

 そうだ。
 シェルは一度だって、〝マーテルに来てほしい〟なんて言わなかった。
 何度も振り返って、トアルの村を去るときも。

「今、ロアに話したいことは別にない。でも、今、見せたいものはある」

 ロアに向き直ったシェルは、少し暗い顔をしていた。
 しかし、すぐにいつも通りの顔で笑う。

「俺はロアに見せたいよ。俺が見てるもの、全部」

 シェルの左手首についた細見のブレスレットは、回路のような複雑な模様を出して光った。
 そして、高速回転するような高い音を立て始める。

 あっけない音を立て、ブレスレットは床に落ちた。

 一瞬のうちに、空気が色付いたと感じた。
 淡くも、鮮明にも取れる感覚だった。

 石の箱みたいな図書館に吹いた、一陣の風。
 盤面を一手でひっくり返すような、爽やかな風だった。

 シェルの髪が、ふわりと風に流れている。

「魔法はね、心で感じるんだ」

 そう言うとシェルは、ロアの両手を正面から握った。

 ロアの視界の隅で、炎がゆらりと踊った。
 炎は龍のように、ロアとシェルの周りを駆け巡っている。
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