海棠/カイドウ〜哀をなくした不遜な軍師と、愛しき共謀者が綴る備忘録〜

第20話 慈悲の選別《トリアージ》


混沌とした北溟の舞台。

この惨状に寄せ付けられて⋯好機を見出す悪獣達が、咆哮しながら駆逐部隊に迫ってくる。

「海棠!!頭を下げよ」

急に名を呼ばれ、反射的にパッとしゃがむと。
ブンッ!!と頭上を風圧が横切っていく。
驍大人の刀のひと振りで―⋯難を逃れたのだ。

降ってきた―⋯獣の血が、乾いた苔をまた湿らせていた。


まさに―⋯この舞台は命がけだ。


自然という抗い難き大きなものに、己の全てをかけて挑んでも―⋯敵わずに。
次第に、混乱が混乱を呼ぶ。
怪我人が続出すれば、そこが綻びとなっていく。
命を落とす者に⋯濁流へ流される者。


有昧后が去って、暫く―⋯
一気にこれほどまでに⋯追い込まれるなんて。

皆目の前で起きていることに対峙するのに―⋯必死なのだ。


統率者がいない現状において、事態の点と点を結び、効率的に現場を回す者がいない。

けれど―⋯。

私は―⋯かつてピッチを駆け回っていた時のように首を振って、あらゆるものを目に焼き付けてい
く。

福から借りた短刀を、振り回しながら―⋯。

『首を振れ!!』
小さい頃から言われ続けてきた、その台詞が―⋯主の顔すら思い出せないのに、怒号のような声色そのもので―⋯脳裏に響き渡っていた。



無論、闇雲に振ればいいのではない。
ボール、人、スペース。刻一刻と変化する状況を、常に把握するべき意の―⋯言葉である。




うん。―⋯大丈夫だ。
有昧后の意図を汲む者が、ここにはいる。

既に遠くに向かった驍大人(ぎょうたいじん)が、大きな声を張り上げ、奮闘する。

声が枯れ、咳すら出ていてもなお、方方に声を掛け続けている。泥臭くも、勇ましく―⋯激動の中で皆を鼓舞していく。絶対的君主が不在でも、目の前のことを、己が、軍ができることを諦めずに、強固に護り抜く者が。


(そうだ。今自分にできることを⋯、だ。何が⋯必要?)

圧倒的に足りないのは、人手と、状況。


「⋯⋯まずは⋯情報の統制と指示、それから⋯効率的なトリアージを」

そう。鳥瞰的に捉え、優先順位を考慮して流動的に―⋯。
「鳥瞰的に―⋯?」

そうだ。それらを成し得る適任者だって、いるではないか。
人手が足りない?いや、使えるものは何でも使う、と有昧后に宣言したはずだった。
この時代に、その世界に、この現場にあるあらゆるものを⋯使い倒して。
⋯立ち向かえ!!



私は、空を漂う大きな黒い影に向かって叫んだ。


「―⋯博益!!燭陰に同情するなら⋯今は文字を刻んでいる場合じゃない。(そこ)から情報を流す瓦版屋になって!」

そして―⋯彼のあの笛の音で。
彷徨う鳥達を―⋯呼び寄せてもらうと。

その役割を明確に伝え、一斉に―⋯放ったのだった。


それから。
ここは―⋯生と死との境界線が交差する、壮絶な世界。
救う手立ては―⋯まずは救護する医療現場の設立だろう。

「湖へは重傷者を運びましょう。天然の無菌室で、少しでももリスクを減らします」

驍大人に手短に采配の手立てを説明すると―⋯さすがは有昧后の忠臣である。瞬時に理解を示すと共に、福や軽症の有昧軍の兵士へと命じ、スチームフォグを放つ湖と―⋯、水の及ばぬ高台を医療現場に変容させていく。



「ありったけの青銅の釜で湯を沸かしてください!裂いた布を熱湯に入れて、煮沸したものだけを怪我人に使って」

「ヨモギを入れて。殺菌成分のある貴重な蒸気は喉を焼かれた者にも有効です」

「酒を集めてください。それを各部隊に分け与え、傷口の応急処置として使用するように」


それから⋯。
ここにあるものを再利用して。命を繋ぐ―⋯手立てを。夏王朝における、SDGs

「虫を焼いたその灰と、猛獣の亡骸は貴重な資源になる」

猛獣の油脂と、灰。それから⋯

「愚強様!その風で海水をせり上げて。一気に乾燥させて、その結晶を高台へ降らせてください」
それから⋯、塩。

北溟の者たちは、怪我を負ってもまた戦地に赴く準備を始めていた。
羊脂を身体に塗りたくる油洗で、己の身を守り―⋯。

それを―⋯現代的視点でハックしよう。
衛生と健康を保つには、資源を使いこなす⋯!
石鹸の精製だ。

「余った肉はそのまま食料に。部隊を交代しながら、必ず食事摂るように。腹が減っては―⋯戦はできません。」


そして―⋯。
非情に思われるかもしれない。けれどより多くの命を救うには、秩序の統制が必要だ。
その優先順位を―⋯決めて。
北溟にて、命のトリアージを。
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