手を、つないで


 朝、エレベーターを待っていたら、彼女が来た。
 これはよくあることだ。珍しくない。
「おはようございます」
 並んで立つのも、彼女が挨拶するのも。
 俺が会釈だけで返すのも、よくあること。

 彼女と目が合う。これは、なかった。
 自然と口の端が上がる。彼女も。これも、なかった。

 ここまでだ。できるのは、ここまで。

 エレベーターが着いて、降りる。
 彼女のすぐ後ろを歩く。自然にそうなる。
「おはようございまーす」
 そう言って彼女が部屋に入っていく。横目で背中を追う。
 奥の部屋に入る。パソコンの電源を入れる。
 座る。心臓がドクドク言ってる。
 大丈夫だったよな……?今まで通りの範囲だったはずだ。
「おはよう」
 不意に声がかかって、ビクッと反応してしまった。
 高井戸。昨日からずっと間が悪い。ビクッとした俺にビクついてる。
「ごめん、そんなビックリした?」
 モニターの向こうから覗き込んでくる。じっと。
「……なんだよ」
 高井戸は何も言わない。黙って俺を見ている。
 しばらくして。
「なんでもない」
 明るく言って、自分の席に向き直った。
 ……なんなんだ。
 高井戸はその後も、ちょくちょく俺を見てる。
 観察されてるみたいで、気になる。
 そのおかげか、彼女のことを思い出すことは少なくて、通常通りの仕事ができた。
 見られて気持ち悪いけど、その点だけは感謝しよう。

 昼休み。
 スマホを前に、考える。
 彼女に、なにかメッセージを送った方がいいだろうか。それとも仕事が終わるまで待った方がいいだろうか。

 そもそも『付き合う』って、どうすればいいのか、わからない。
 過去に女性と付き合った時は、大抵向こうから連絡が来た。割と頻繁に。
 ということは、連絡してもいいってことなのか?
 ……迷惑にならないだろうか。

「松永、昼どうする?」
 高井戸に聞かれる。高井戸の向こうの席の佐伯もいる。佐伯も高井戸ほどじゃないけどコミュ力はある。
「行く」
 雑談の中で、なにかしら聞けるかもしれない。
 少し期待して、定食屋さんに向かった。

「佐伯って、彼女いるんだっけ?」
 カウンターで定食を受け取って座る。開口一番、高井戸が佐伯に聞いた。
「いきなりなんですか」
 佐伯は笑いながら答える。
「いや、どうだったかなって思っただけ」
「いますよ、一応」
「一応って」
「まだ付き合い始めたばっかなんで」
「へー、どのくらい?」
「2ヶ月くらい、かな」
 2ヶ月……。
「おお、一番楽しい時期じゃん。もしかして社内?」
「違いますよ。友達の彼女の友達です。一緒に遊びに行って、なんとなく」
 なんとなく、で付き合えるのか……。
「連絡は毎日、とかだろ?いいなあ、楽しくて」
「まあ……そうですね。今日も帰りに待ち合わせしてます」
 そうなんだ……連絡は毎日……仕事帰りに待ち合わせ……。して、いいんだろうか……。
「いいなあ、俺は今日は残業確定だ」
「昨日の仕様変更ですか?」
「そう」
 そうか、じゃあ彼女も忙しいだろう。そんな時に、連絡……できない。
「納期は延ばせないんですか?」
「延ばせない訳じゃないけど、延ばさない方向で、なんとか」
「キツいですね。頑張ってください」
「おい他人事」
「だって他人事ですもん」
 忙しい。
 そうか。
「高井戸」
 2人が俺を見る。
「手、空いてる」
「へ?」
「今、ちょっと余裕ある。手伝うことあるか?」
 2人は目を丸くした。
「余裕?ほんとに?」
「松永さん、いつも手一杯じゃないんですか?」
「やることがない訳じゃないけど、余裕はある」
 本当のことだ。
「松永が、手伝う……」
 そんな呟くほど珍しいことではないはず。
 はず……。
「いらないならいいんだけど」
「いやいる。助かる。えっと、戻ってから確認するから」
 頷いて、食事を続ける。
 2人の微妙な視線を感じる。けど無視。
 もしかして、今まで自分から『手伝う』なんて言ったことなかったかもしれない。頼まれて、できる時は躊躇なく手伝ってきたけど、自分から申し出た記憶はないことに気付いた。

 やっちゃったか……?
 まあいい。人助けには変わりない。文句は言わせない。

 会社に戻ると、高井戸が指示をよこしてきた。
「めっちゃ助かるけど、ほんとにいいのか?自分の仕事、大丈夫か?」
 頷く。
「いつまで?」
「明日中にあればいい」
「わかった」
 作業を始める。
「あのさ」
 目を向ける。高井戸は何かを言おうとして口を開いたけど、やめたらしい。
「ありがとな」
 素直な言葉に、後ろめたさを感じながら頷く。
 高井戸はモニターに向き直って、仕事を始めた。

 後ろめたいのは、私欲で手伝いを申し出たからだ。
 昨日の夕方、客先から入った仕様変更。高井戸のチームは対応に追われて忙しい。
 彼女も同じチームだ。忙しいはずだ。俺が呑気にメッセージを送ったりデートに誘ったりしたら、迷惑に思うかもしれない。だから、待つつもりだった。この忙しい波が過ぎるのを。
 そして、昼にひらめいた。高井戸を手伝えば、仕事は早く終わる。彼女に連絡できる。
 そして、来週末ある予定の打ち上げに参加する理由が確保できる。
 彼女に打ち上げには参加してほしくないけど、仕事だから仕方ない。じゃあ俺も参加して、彼女を守ればいい。
 流れとしては自然なはずだ。高井戸を手伝うのだって、それほど珍しいことじゃない。俺が手伝えば、仕事は早く終わる。みんなが助かる。

 時々、高井戸の意味ありげな視線を受けながら、ひたすらパソコンに向かい続けた。



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