手を、つないで
3.茉歩
夕方、給湯スペースに、箱ティッシュを取りに行った。
でも、いつも置いてあるシンクの下にない。
何日か前に日用品は宅配便で届いていたので、絶対にあるはず。誰かが置き場所を間違えたんだと思う。
各棚を開けて探したら、あった。
シンクの上の棚、しかも1番上。
何故そんなところに。ティッシュなんて、みんなが取りにくる物で、ウチは女性社員も半分はいる。手が届くところに置いてほしい。
背の高い人が適当に放り込んだに違いない。仕方ないなあ。
私の背丈は160cm。小さくはないけど、あの高さなら踏み台は必要。
ここには小さめの踏み台が置いてある。
台に乗っても届くかな……届いた。
3つ重なっている箱を一列取る。
落っことしそうになったけど、なんとか耐えた。とりあえずシンクの端に置いて、もう一列取ろうと手を伸ばす。
箱に触ったと思ったら、バランスが崩れた。
グラッと体が揺れる。
何故か冷静に、ああこれは落ちたな、と思った。
床にぶつかる痛みを覚悟したーーーあれ?痛くない。
やわらかいものに包まれている。
「……あっぶね……」
頭の上で声がした。ぼそっと。
見上げたら、彼の顔があった。
「ま、つながさん……」
「大丈夫、ですか?」
なんで?なにこれ、なにが起こった?
とりあえず頷く。
彼はほうっと息をついた。
「なら、良かったです」
いつもの無表情の端に、安堵が見える。
はっと気付いた。
踏み台から落ちそうになった私を、彼が抱き止めてくれたのだ。
やわらかいものは、彼の服だった。厚手のパーカー。
彼の手が、私の体を支えてくれている。
「す、すみません」
体勢を立て直して、彼から離れる。
「……これですか?」
彼が棚の上に手を伸ばす。
背が高い彼は、少し背伸びをすると、届くらしい。
「はい……すみません、全部降ろしていただけますか?」
彼は少し目を見開いて私を見る。驚いているらしい。
「あの、場所がいつもと違ってるので」
『ああ』という表情をして、残っていた2列のティッシュを降ろしてくれた。
「ありがとうございます」
受け取ろうとしたけど、彼は渡してくれない。
「……下でしたよね」
「あっ、はい、そうです」
いつものところを手で示すと、そのまましまってくれた。
「それも?」
かがんだまま、先に私が下ろしていたのを指差す。
「すみません、お願いします……」
ティッシュを渡す。
少しだけ、手が触れた。
胸が高鳴った。体が固まってしまう。
一気に顔が熱くなった。
さっきから、ずっと彼の手を間近に見ていたから、もう飽和状態で、今触れたことで、堰を切ったように感情があふれ出た。
嬉しい。嬉しい。嬉しい。
どうしようもなくて、そのまま俯いていると、彼の小さな声が聞こえた。
「あの、すみません。俺、怖がらせる気はなくて……」
「えっ?」
顔を上げると、彼の申し訳なさそうな顔があった。
「すみません」
そう言って、彼は立ち上がった。
すっと出て行こうとする。
私は思わず彼のパーカーの裾をつかんだ。
「違います」
声が震える。でも言わないと。
「私、怖くないです。嬉しかったです。助けてもらって、手伝ってもらって、凄く嬉しくて、どうしたらいいかわからなくて、顔は熱くなってるし、恥ずかしくて」
「え……」
その声に、顔を上げた。
彼と目が合った。
ますます顔が熱くなる。
「す、すみません」
それを言うのが精一杯だった。
走って、一階下の女子トイレに逃げ込んだ。
どうしよう。もう彼と顔を合わせられない。
さっき、目が合った時、凄く驚いた顔をしてた。
きっと、変な人だって思われた。
どうしよう。どうしよう。
頭の中は真っ白で。
でも、思い出していた。
頭の上で聞こえた声。
パーカー越しのあったかさ。
私を支えてくれた手。
棚に伸ばされた手。
少しだけ触れた手。
申し訳なさそうな顔。
ドキドキが止まらない。むしろどんどん高まっていく。
どうしよう。どうしたらいいんだろう。
待って。とにかく仕事に戻らないと。
一旦忘れよう。じゃないと仕事できない。
幸い彼とは別の部屋だ。自分のデスクから離れなければ、会うこともない。実際普段は会わないんだから。
そうして、今日は定時で帰ろう。彼はいつも残業してるから、きっと会わずに帰れる。
自分にそう言い聞かせて、デスクに戻った。