手を、つないで
高井戸の観察日記



 給湯スペースでしゃがみ込んだ松永を発見した。
 これが最初。
 あいつの口から「ありがとう」と「ごめん」が出てきた時は、驚きを通り越して不安になった。普段は無言で頭をちょっと下げるだけのやつが「ありがとう」⁈一体何が起きた⁉︎

 その後の松永はガタガタだった。
 タイピングの音が違う。さっきまでは普通だったのに、今はボテボテ。ため息まで聞こえてくる。
 さっき給湯スペースで何かが起きたのは確定だ。
 そして、松永の残業も確定だ。まあこいつはほぼ毎日残業してるけど。
 俺も残業だ。さっき仕様変更の連絡が入って、バタバタしてる。タスクを見直してると、中森さんがやってきた。
「高井戸さん、今少しいいですか?」
 さっきまで社内チャットで打ち合わせしてて、直接話した方がいいと、俺も思ってた。
「ああどうぞ〜」
 中森さんも大変だろう。緊張した顔してるから、笑ってみた。中森さんもほぐれたみたいだ。
「さっきチャットでお話した件で……」
 話し始めてすぐ、シュッとしゃがむ。別に立ったままで良かったのに。定時も過ぎてるし疲れたのか?椅子を出すくらい長い時間はいないと思うけど。
 話しているうちに、松永が席に戻ってきた。いつのまにかトイレにでも行ってたらしい。
 あれ、なんかタイピングの音が元に戻ってる。戻ってるだけじゃない、快調な方の音。
 今度はトイレでなんかあったのか?まあ快調なら問題はない。
 中森さんとの話が終わった。戻ろうとする中森さんに、さっき広瀬から聞いた打ち上げのことを伝える。ご褒美があれば頑張れるかと思ったんだけど、短い返事でささっと行ってしまった。打ち上げ嫌なのかな?
 と、思ってたら、凄い冷気を感じた。
 冷製鉄仮面発動。でもなんで?俺何もしてないぞ。気にしないようにして作業を始める。そのうち冷気は収まって、またタイピング音が聞こえてきた。今度も快調。ならいいか。

 20時過ぎ、松永が帰る気配がした。
「あれ、終わり?」
 今日はもっと遅くまでやるんだと思ってた。
 自分の仕事を確認する。その間に「お先」と松永は帰って行く。
「おつかれ〜」
 声をかけたら、松永は軽く手を上げて出て行った。
 うーん……気になる。何があったんだろう。

 松永航は、無口・無愛想・ぶっきらぼうの三拍子が揃っている。顔がいいだけに、余計にそう見える。
 でも、実は不器用なだけ。感情を表に出す訓練ができていないだけだ。
 付き合いが長くなるとそれが見えてきて、段々おもしろくなってくる。

 だから、今日、給湯スペースで何があったのか聞きたかった。
 今やってる作業は明日にして、今日は松永をつついて聞き出そう。
 素早く帰り支度をして、移動しながら電話をかける。今ならまだ下に着いたばかりくらいのはず。
 何回かのコール音の後、松永は出た。
『……はい』
 無愛想。でも気にせず話す。
「あ、松永、今まだ下でしょ?飲み行こうよ」
『え、無理』
 即答だ。気にせず、強引に誘う。この時間だ。用事があるってことはないだろう。
「えー、俺今日はもう終わらせたからさ、付き合ってよ」
『いや、だから無理だって』
「今下に着くから」
『おい、ちょっと』
 いつもより割と強めに抵抗してるな。用事はないけど気分が乗らないとかか?松永は、時にストレスを溜め込む癖がある。だから飲みに行って、給湯スペースのことと一緒に、日頃のストレスも引っ張り出してやろう。
 エレベーターを降りて、ロビーに出る。いたいた。
「もう着いちゃったーって、あれっ中森さん」
 中森さんが立っていた。その向こうに松永。
 どういう状況だ?これ。
 頭の中が回転を始める。

 中森さんは、ちょっとだけ驚いてる。いきなり現れた俺に驚いたって感じ。

 松永は。
 冷製鉄仮面発動。今までにない冷気を放ってる。取って喰われるんじゃないかってくらい眼光が鋭い。

 マズいことをしたのだと悟った。
 馬に蹴られる前に、あの冷気で凍死する。

「あっ……あー……」
 とにかくあの冷気から離れなければ。
 目をそらす。
 ごめん松永、本当にごめん。
 言い訳しながら踵を返した。何を言ったか覚えていない。

 エレベーターに乗って、大きく息を吐いた。
「あー助かった……」
 思わず声が出た。
 そして、思い返す。

 松永の雰囲気がなんとなく変わり始めたのは、半年くらい前だった。
 半年前。その頃、松永は忙しさのピーク時だった。案件がいくつも重なって、残業続き。いつか倒れるんじゃないかとヒヤヒヤしながら見てた。
 今日は強制的に帰らせよう。そう思っていた日、何故か突然元気になった。
 よくわからないけど元気になったんならいいか、と思っていた。
 それからだ。少しだけ、松永は変わった。話しかけるなオーラとか冷製鉄仮面は変わらず。ただ、ふとした時に、やわらかい表情をする。一瞬だけ。だから多分気付いているのは俺だけだと思う。

 そっか。そういえばあの時、中森さんは同じチームだったな。
 そっかそっか。

「さってと……じゃあ仕事すっかー」
 暗い部屋に電気をつけて、自席に向かった。



 次の日。
 会社は特に昨日と変わらない。
 でも違う。確実に違う。
 松永。朝からスマホとにらめっこ。仕事は進んでるみたいだけど、いつもよりオーラに隙がある。
 中森さん。廊下で見かけたけど、なんか忍者みたいにサササッと早足で歩いてる。
 2人とも、おかしい。でも落ち込んでる感じじゃない。そっかそっか。
 松永、スマホ見過ぎ。メッセージ送っていいかな、とか考えてるんだろ。今まで聞いた話を総合すると、相手から迫られて付き合うってパターンばっかりだったんだもんな。
 仕方ない。
「佐伯、飯行こうよ」
 最近彼女ができて浮かれてる佐伯にいろいろ聞いてやるから、参考にするといい。
 松永も、佐伯くらい浮かれられれば楽なんだろうけどな。
 話してたら、松永が突然「手空いてる。手伝うことあるか?」って言い出した。お前今までそんなこと言ったことないだろ。
 まあ松永はそもそも『手伝う』なんて言えないくらいの仕事を抱えてる。だから今まで聞いたことがないだけだ。それがなに?なんで?
 ちょっと頭を巡らせた。もしかして、中森さんのため?いや、作業的には直接関係ないはずだけど?
 よくわからん。とりあえずチームミーティングで報告をしたら、リーダー広瀬が一言御礼を言いに来た。
 協力の御礼と、打ち上げのお誘いをしてる。
 ……それか!
 打ち上げには中森さんも参加する。中森さんは、社内切っての癒し系。人気がある。言い寄る男がいるだろう。自分も出て、いざとなったら守ろうってことか。
 考えたんだろうなーきっと。自分ができる精一杯のことを。可愛いやつ。
「松永さん、よろしくお願いしまーす」
「……おう」
 そういうことなら協力してやろう。だからって振られた仕事をおろそかにするやつじゃないし。
 頼りにしてます松永さん。



 打ち上げ当日。
 中森さんの隣。俺が座っても良かったけど、偶然総務の平野さんが来たので案内した。平野さんは普段から中森さんとも仲が良いし、変な男も寄ってこないだろ。
 ていうか、気をつけるべきはお前の方だぞ松永。なにかとお誘いをかける女性たちがいるぞ。どうするんだお前。

「彼女いるんで、そういうのはちょっと」

 場が固まっただろ。なんで一斉にシーンとなるんだ。
「松永さんもそういうことあるのねえ」
 さすが平野さん!よくぞ言ってくれました!
「松永も人間だってことだよなあ」
 俺も続いたら、みんなが笑った。
 ……良かった、ちょっとはごまかせたか?
 いやあしかし、ちゃんと言ったな松永。
 本気なんだな。なら俺は何も言わない。
 週明けの会社、大変なんだろうな〜。



 松永が隣に来た。
 中森さんが気になって仕方ないらしい。ちらちらちらちら見てる。
「大丈夫か?いろいろ」
 いろんなことを含んで聞いてやった。
「……多分」
 またちらちら見てる。そんなに見てたらバレるだろ。
「えっもしかして人生初彼氏?」
 平野さんの声が聞こえた。
 そうなのか。人生初彼氏。へ〜。
 隣を見た。先生、松永君が真っ白に固まってます。
「大丈夫か?いろいろ」
 もう一度、いろんなことを含んで聞いてやった。
「……多分」
 笑いたいのを我慢してたのはバレてたらしい。睨まれた。
 週明けから、楽しみだな、松永!



< 31 / 31 >

ひとこと感想を投票しよう!

あなたはこの作品を・・・

と評価しました。
すべての感想数:14

この作品の感想を3つまで選択できます。

  • 処理中にエラーが発生したためひとこと感想を投票できません。
  • 投票する

この作家の他の作品

おやすみ、僕の眠り姫

総文字数/8,150

恋愛(純愛)4ページ

表紙を見る 表紙を閉じる
僕の 僕だけの、眠り姫 ========== 「トナカイとメリークリスマス」の少し前のお話です。
トナカイとメリークリスマス

総文字数/4,075

恋愛(純愛)2ページ

表紙を見る 表紙を閉じる
クリスマスの日 仕事をしてたはずの彼が トナカイになってやって来た ========== 続きのお話 「おやすみ、僕の眠り姫」
表紙を見る 表紙を閉じる
須藤隆春 小平太一 それぞれの2月14日 =============== 「病気の時は」 「ずっと一緒に 〜後輩男子の奮闘記〜」 「夕ご飯を一緒に 〜腹黒イケメン課長の策略〜」 続編です。 併せてお読みいただければ幸いです。

この作品を見ている人にオススメ

読み込み中…

この作品をシェア

pagetop