手を、つないで
店から駅まではすぐ。話す間もなく電車に乗った。電車は凄く混んでいて、話すどころじゃない。
結局、何も話せないまま、電車を降りて改札を出た。
そして、彼が立ち止まる。
どうかしたのかな。今日はもう遅いから、帰りたいのかな?彼も結構な量のお酒を飲んでたはず。
彼は、私をじっと見て、やがて手を出した。いつもの、手をつなぐ合図。
私もいつも通り、手を重ねる。そうすると、彼が私の手を包み込んでくれる。
そうして歩き出した。でも、何故か今日は凄くゆっくり。
彼はいつも私に速度を合わせてゆっくり歩いてくれている。それよりも、ゆっくり。
「さっき……」
彼の指先に、少しだけ力が入った。
「勝手に、みんなの前で、彼女いるとか言って、すいませんでした」
えっ……それを気にしてたの?
「ああいう時どうするか、とか、ちゃんと話してなかったなって」
「そう、ですね。でもあれは、特に誰って言ってないし……断るため、だったん、ですよね?」
彼は頷く。
「そうですけど……他の理由でも、断ることはできたはずだから……」
でも『彼女いるから』にしたんだ。
「びっくりしましたけど、嬉しかったです」
そう言うと、彼の手にまた力が入った。
『離れないで』。そう言ってる気がした。
彼の横顔は不安そうで、少し幼く見えた。なんだか可愛い。
私も応えるように、指先に少し力を込める。
彼は、少し笑った。良かった、さっきの不安そうなのは消えてる。
その代わり、段々緊張してるみたいな顔になってきた。
何かを言いたそうに、私を見る。
一度口を開いたけど、また閉じて。
久しぶりに見る。最近は、2人で話すことに慣れてきていたのか、こういう仕草とかごにょごにょは出てなかった。
こんな時は、待つ。これも、結構好きな時間。
そのうち、彼は話し出す。
「……手を、つなぐの、初めて、でしたか?」
ぽつ、ぽつ、と歩く速度みたいに、ゆっくり言う。
手をつなぐの……あ、もしかして気にしてるのは『人生初彼氏』?
「はい……初めて、でした」
正直に言った。重たいだろうなって思いながら。でも、嘘はつきたくない。
彼の足が止まった。
見上げたら、空いている手で口を押さえてる。
「あの……」
言葉を選んでる。私は待った。
彼は、口の押さえを少し緩めて言った。
「正直に、言います」
頷いて、待つ。
「……めちゃくちゃ嬉しいです」
彼は、口を押さえている手を外す。
その手を、つないでいる手に重ねる。私の手を、両手で包み込んでくれる。
「でも、初めてが自分でいいのかなって。中森さんのそんな大切なところ、俺でいいのかなって、思います」
彼の本音だ。
「それでも、離したくない」
手から。彼が包み込んでくれている手から、あったかさが広がる。
「さっき、誤魔化せなかったら言ってもいいって言ったけど、あれは、本当は」
本当は。多分、私も、同じ気持ち。
「本当は、言いたい。中森さんが俺の彼女ですって、世界中に言いたい。この人が、俺の大切な人ですって、言いたい……です」
彼から目が離せない。優しくて、まっすぐで、あったかい瞳。
「……重たいかも、しれないけど……」
私は首を振った。
「私も同じ、です」
声が震えてしまいそうになる。でも構わない。
「私も、松永さんは私の彼氏ですって、言いたいです。あと、さっき、初めてが嬉しいって言ってくれて、私も嬉しいです。松永さんだから、初めての、いろんなことも……怖くないです……」
彼は少し目を見開いて、私を見ていた。その目に押されるように、声が小さくなってしまった。同時にうつむいてしまう。
「初めて、で、重たくないですか……?」
思い切って聞く。さっきは嬉しいって言ってくれたけど、やっぱり重いって思われないかな。
頭に、ぽん、と何かの感触。
顔を上げたら、彼の片方の手が、私の方に伸びていた。
頭をなでられてる。
「これは、親が先だろうけど」
優しく笑ってる。
「……彼氏としては、初めて、ですよね」
あの手が、私をなでて……気が遠くなりそう。
「初めて、です」
かあっと、顔が熱くなる。
彼は、また優しく笑った。
「重たくないです。ほんと……めちゃくちゃ嬉しいです」
優しい笑顔。いつもの『おやすみなさい』の時に見るのと同じ。包まれてるみたいで、安心する。
「私も、嬉しいです……」
恥ずかしいけど、うつむかない。多分顔は真っ赤だろうけど。
彼の手が、頭の上から降りてくる。
指先がほっぺたに微かに触れて、すぐにパッと離れた。
彼は目を見開いてる。何か驚くことがあったかな。
「すいません」
顔が赤くなった。この顔は、初めて見る。焦ってる。
「あの、手が勝手に、って、言い訳にしかならないですけど」
……手が勝手に、動いて。
ほっぺたに触った。そのこと……?
「すいません……」
彼がしゅんとしてる。
「あの、謝らなくても平気です。ちょっと触ったくらいですし」
そう言ってみたら、なんとも言えない表情になった。
「ちょっと、じゃ、済まなくなるから……」
『彼氏、多分結構我慢してると思うよ』
平野さんの声が聞こえた。
『大事に、したいから……』
付き合うことになった日に、彼は言ってくれた。
彼の手を取った。
「さっき、少し触ってもらって、嬉しかったです」
そして、ほっぺたまで持っていく。
「だから、触ってください」
彼の手の平をほっぺたにあてた。私の手を添えたまま、挟む形になる。
一瞬だけピクッとした手は、徐々に力が抜けて、私のほっぺたを包んでくれた。
優しい手。少しひやっとしてて、気持ちいい。
「そう、いうことすると……」
熱を持った瞳が私を見つめる。
「困ります……」
空いている方の手を、私の背中に回した。
彼が一歩近付く。
「本当に、いいですか……?」
なんのことを聞かれてるのかわからない、と頭の片隅で思った。でも、なんのことでも、構わないとも思った。
彼なら、どうなっても、怖くない。
「はい」
頷くと、彼はそっと背中の手に力を入れる。
ぽふっと、私は彼の胸に抱き寄せられた。
胸がうるさい。鳴りまくってる。
でも同時に安らぎも感じる。きっとそれは、彼の手が優しいから。
どのくらいの時間そうしていたのかわからない。
長かったかもしれないし、一瞬だったかもしれない。
「本当に、いい、ですか……?」
また聞かれた。頭の上から聞こえた。
なんのことだかわからないけど、彼は私を大事にしたいと思ってくれている。
だから、頷く。
ほっぺたにあてていた彼の手が、少し動いて、顔が上向きになる。
目が合った。彼の目は熱っぽく潤んでいた。
ゆっくり近付いてくる。
私は目を閉じた。恥ずかしくて、これ以上見られない。
唇に、触れた。やわらかい、彼の唇。
ゆっくり触れて、ゆっくり離れた。
目を開けたら、彼の目は熱っぽく潤んで、そして優しかった。
「好きです……」
口が勝手に動いた。
彼の顔が一瞬で真っ赤になった。
「ほんと……ちょっとじゃ済まなくなるから……」
ぎゅっと、抱きしめられた。
力は入ってるけど、優しい。そして、あったかい。
パッと離される。
「今日は、ここまで」
離れても、彼のあったかさは残ってる。
でもちょっと淋しい。
「……本当は……このまま、一緒にいたいけど」
彼は優しく笑った。
「私も、です」
私も、自然に笑えた。
彼が、いつもみたいに手を出した。
そして、私が手を重ねる。
彼の手が、私の手を包み込む。
大きくて優しい、私の大好きな手。
「行きましょう」
「はい」
ゆっくり。ゆっくり。
手を、つないで。