夜明けが世界を染めるころ
「申し訳ありません。体調が優れないそうで」

そう家庭教師に伝えると、彼は肩をすくめた。

「わかりました。まあ、報酬はいただいていますから。
今日はこれで失礼します」

それだけ言い残し、家庭教師は部屋を出ていってしまった。

――どうしたものか。

その翌日も、さらにその次の日も、状況は変わらなかった。
勉強にも剣術にも真面目に取り組む様子はなく、
「腕が痛い」「調子が悪い」と理由をつけては、サボりが続く。

気づけば、あっという間に日数だけが過ぎていった。

次期当主として、学ぶべきこと、背負うべき責任があるはずだ。
それなのに、その自覚は微塵も感じられない。
あるのは立場に胡坐をかいた態度と、他者を見下すような驕りだけだった。

――正直に言おう。

私には、この方の執事を務めることはできない。

執事であれば、次期当主に仕える方が出世につながる。
それは、祖父からも繰り返し聞かされてきた現実だ。

それでも。
どう考えても、どう自分に言い聞かせても、
このマルク様に誠実に仕えたいという気持ちは、
一欠片も湧いてこなかった。

執事にとっての誠実さとは、
命令を盲目的に受け入れることではない。
主人の未来を思い、支えることだ。

――その覚悟がない主人に、
私は仕えることはできない。

そう、心の中で静かに結論を下した。



休日を挟み、次は長女――ティアナ様につくこととなった。

正直、気が重い。
もしマルク様と同じように、我がままで気分屋だったらどうしよう。
そんな考えが頭を離れない。

「……はあ」

思わず、大きなため息がこぼれた。

挨拶をするため、ティアナ様の自室へ向かったものの、そこに姿はない。
まだ朝食前だというのに、どこへ行かれたのだろうか。

邸内を探していると、馬小屋の方から人の声が聞こえてきた。
気になってそっと覗いてみる。

「ほらー、今お部屋きれいにするからね!」

そこにいたのは――
泥だらけで、馬糞の匂いをまといながら、一人で懸命に掃除をしている少女だった。

使用人か、それとも下働きの子だろうか。
そう思いながら、私は声をかける。

「あ、あの……失礼いたします。
ティアナお嬢様を探しているのですが、ご存じありませんか?」

すると、その少女はぱちりと目を瞬かせ、こちらを振り向いた。

「……ティアナは、私だけど?」

予想外の返答に、言葉を失う。

泥で汚れた服、乱れた髪。
けれど、こちらを見上げるその表情は、驚くほど澄んでいて――
屈託のない瞳が、真っ直ぐに私を映していた。

――この方が、ティアナ様?

胸の奥で、何かが小さく音を立てた。
それは戸惑いであり、同時に、これまで感じたことのない予感だった。

この出会いが、
自分の進む道を大きく変えることになるなど、
まだ、この時の私は知る由もなかった。
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