夜明けが世界を染めるころ
ティアナside

「ティアナ様、少しよろしいですか?」

ナナ嬢が、控えめにこちらを見る。

「はい」

私たちは席を立ち、
静かな別室へと移動した。

扉が閉まるなり、
ナナ嬢は私の前に立ち、深々と頭を下げる。

「助けていただき、本当にありがとうございました」

「いえ……気にしないでください」

すると彼女は顔を上げ、
少し躊躇ったあとで続けた。

「……10年前のことも、です」

10年前――
ユリアともめた、あのお茶会のこと。

「あれは、もう昔のことです」

私は首を振る。

けれどナナ嬢は、静かに言葉を続けた。

「自分の常識のなさを指摘されて……
そのとき、素直になれませんでした」

「そんな私に恥をかかせないようにしてくださったこと」

「ずっと、感謝していました。
そして……謝りたかったのです」

ナナ嬢はそう言って、俯いた。

私は少し考えてから、
穏やかに口を開く。

「でしたら……今度は、ユリアと一緒に
お茶会をしましょう」

ナナ嬢が、ぱっと顔を上げる。

「……よろしいのですか?」

「ええ」

一瞬、信じられないという顔をしたあと、
彼女は小さく、けれどはっきりと頷いた。

「……はい」

少し空気が和らいだところで、
私はふと思った疑問を口にする。

「それにしても……
ナナ嬢は、マルクと付き合いが長いのですか?」

「ナナ、で構いません」

彼女は微笑んだ。

「ええ。
なんだかんだで、長く一緒におりますね」

「では、ナナ」

私は苦笑する。

「こんなに長く一緒にいてくれるのは、
ナナくらいでしょうね」

「そうかもしれませんね」

ナナは少し照れたように笑ってから、
ぽつりと言った。

「マルクは、だらしないし、
不真面目で、遊んでばかりのポンコツです」

少しだけ間を置いて、

「でも」

彼女は続けた。

「とても、優しい人です」

湖での光景が、脳裏によみがえる。

ナナが落ちた瞬間、
迷いなく飛び込んだ兄の姿。

(……私は知らなかった)

マルクに、
あんなふうに誰かを想って、
即座に行動できる強さがあるなんて。

「私は……」

気づけば、言葉がこぼれていた。

「長く一緒にいたはずなのに、
兄のことを、何も知りませんでした」

ちがう、私は首をふる。

「知ろうともしなかった」

私とマルクはあまり似ておらず、私は愛人の子だと言われたこともある。母 マリアンヌの扱いもあからさまだった。
幼いころは、確かに一緒にいた。
前を歩いて、手を引いてくれた。

けれど、私が剣術や馬術に打ち込むようになってから、
何かが変わった。

突き放された、と感じた。

マルクは努力をやめ、
何事にも真面目に向き合わなくなった。
いつも周囲を困らせている。

それから私は、
兄に期待しなくなったのだ。

「……嫌われているんです」

ぽつりと、そう言った。

ナナは、静かに首を振った。

「そんなこと、ありませんよ」

その一言だけで、
胸の奥が、少しだけ温かくなった。
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