夜明けが世界を染めるころ
お嬢様が回復してきた日の夜。
「セナ、少し話さないか?」
声をかけてきたのは、ディランだった。
「……はい」
応じはしたが、正直に言えば――
俺はこの人が嫌いだ。
蝶の会。
宝石事件。
結果的にとはいえ、お嬢様を危険に晒した存在。
だが同時に、この人には――
逃げない覚悟がある。
それだけは、認めている。
静かな部屋。
ランプの灯りが、2人の影を床に落とす。
「セナ。きみに、聞きたいことがあったんだ」
ディランが切り出した。
「……俺も、貴方と話したいと思っていました」
少し意外そうに目を細め、殿下は頷く。
「君は、孤児院のボランティアの一件で
彼女を危険から遠ざけようとしていたね」
「……はい」
本当は、そうしたかった。
だが彼女は――
蝶の会へと、自ら足を踏み入れた。
「私ともそういう話をしたはずだ」
「はい」
責めるでもないディランは穏やかな声で続ける。
「君は、どうやって折れたんだい?
彼女に説得されたのか?」
……言いたくない。
孤児院の件では、確かに世話になった。
だが――それだけじゃない。
「それとも……あの書類に関係があるのかな」
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俺は、静かに息を吸った。
「お嬢様と、決闘しました」
「……へぇ」
ディランが目を丸くする。
まるで面白い話を聞いた子どものような顔だった。
「それで?」
「……負けました」
「君が?」
「はい」
一瞬の沈黙。
そしてディランは、ぽんと膝を叩いた。
「ちょっとレイ。お酒を持ってきて。
これは腰を据えて聞かないといけない」
「だから言いたくなかったんですよ」
観念して、俺は話した。
お嬢様が俺を遠征に行かせ、
その裏で綿密に準備を整えていたこと。
6人がかりで――
さらに予想外の人物まで使い、
完璧に逃げ場を塞いでいたことを。
すべて聞き終えた瞬間、
「……く、くく……」
ディランの肩が震えた。
「ははははは!」
腹を抱えて笑う。
この人が、こんなふうに笑う姿を見るのは初めてだった。
「それは……さぞ見ものだったろうな」
「笑い事ではありません」
「いや、最高だ」
悪びれもせず言うディランに、思わずため息が漏れる。
「ああ……こんなに笑ったのは、いつぶりだろう」
涙まで浮かべるとは、本当に失礼な人だ。
だが――
笑いが収まったあと、ディランの声は静かだった。
「君は、悔しかったかい?」
「……はい」
「なぜだと思う」
俺は少し考え、口を開いた。
「俺は……守る覚悟があると思っていました。
でも本当は――」
言葉が、自然と零れる。
「“変わらない関係”を守りたかっただけだったんです」
その瞬間、胸の奥で何かがほどけた。
「……彼女は、前に進もうとしていたのに」
ディランは、しばらく黙っていた。
やがて、静かに言う。
「だから君は、今もここにいる」
その視線が、真っ直ぐ俺を射抜いた。
「逃げなかった。
“並ぶ”という選択をしたんだ」
俺は、深く頭を下げた。
「……はい」
「なら、十分だ」
そう言って、少しだけ柔らかく笑う。
「セナ。
君が彼女を守ろうとしたことを、私は否定しない」
一拍。
「だが、これからは――」
「一緒に守ろう」
胸の奥が、静かに熱を帯びた。
「……承知しました、殿下」
その言葉に、嘘はなかった。
ふと、指輪のことを思い出す。
あの宝石はきっと、
“奪う”ためのものじゃない。
変わり続ける中で、
それでも選び続ける覚悟の証だ。
(お嬢様――)
もう、後ろから守るだけじゃない。
あなたの隣で、同じ景色を見る。
それが、俺の選んだ答えだ。