夜明けが世界を染めるころ
「もう遅い、部屋まで送ろう」

「はい」

2人でゆっくりと歩く。
あっという間に部屋の前まで来た。

扉の前。

夜の回廊は静かで、遠くの灯りだけが淡く揺れていた。

「……ここだな」

「うん。送ってくれてありがとう」

そう言ってドアノブに手をかけた、そのとき。

「……ティアナ」

呼び止められて、振り返る。

ディランは、ほんの一瞬だけ言葉を探すように黙った。

伸ばしかけた手が、宙で止まる。

指先が、私の髪に触れそうで――触れない。

その距離は、息がかかるほど近いのに、
彼はそれ以上踏み込まなかった。

「少し……触れたいと思った」

正直すぎる言葉に、心臓が跳ねる。

「だが」

その手は、ゆっくりと引かれる。

「今は、まだ……君が迷っている」

「その間に、俺の気持ちで縛るようなことはしたくない」

静かに、まっすぐな声。

「だから、ここまでだ
……おやすみ、ティアナ」

深くもなく、軽くもない。

けれど、とても大切にした挨拶だった。

「……おやすみなさい、ディラン」

扉を閉める直前。

彼はまだそこにいて、
背を向けず、目を逸らさず、

まるで“触れなかったこと”を、
何度も自分に言い聞かせるように立っていた。

扉が閉まる。

その向こうで、彼の足音が遠ざかるまで、
私はしばらく動けなかった。

触れなかった指先の距離が、
なぜか一番、熱を残していた。
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