『嘘の浮気、真実の執着』 ――婚約破棄から始まる幼馴染たちの逆転愛

第二十三章 静かな夜に残る声

 帰りの車の窓に映る街の灯りが、ゆるやかに流れていく。
 そのきらめきは、誰のものでもないはずなのに、
 ひとつひとつが胸の奥の記憶を静かに叩いていた。

(あの日も、こんな夜だった)

 言えなかった言葉。
 聞けなかった理由。
 遠ざかる背中と、戻れない距離。

 それらが、今はもう痛みの棘ではなく、輪郭だけの跡として残っている。

 

 マンションに戻ると、室内は静かだった。
 灯りを点けると、柔らかな影が床に伸びる。

 コートを椅子に掛け、テーブルの上にカップを置く。
 湯気に頬を近づけると、温度がゆっくりと胸の奥まで降りていった。

 

(“守るための沈黙”——)

 黒瀬の声が、記憶の中で穏やかに響く。

(“依存ではなく感謝を”……綾香さんの言葉)

(“今度は奪わない”……蓮の声)

 

 それぞれの言葉が
 ばらばらな音ではなく、ひとつの旋律のように繋がっていく。

(あの時の私は、怖かったんだ)

(失うのがじゃない。
 信じることが、怖かった)

 

 窓辺に立ち、夜の街を見下ろす。
 遠くのビルの明かりが、星のように瞬いている。

 

 心の中に問いが浮かぶ。

(私は、過去に戻りたいの?
 それとも——今の彼と、もう一度向き合いたいの?)

 

 答えは、すぐには出なかった。

 ただ、胸の奥に浮かんだ光景は——
 半歩の距離で、同じ方向を見ていた二人の背中だった。

 

 スマートフォンが震える。
 画面には、城崎の名前。

《今日は無事に帰れましたか》

 短く、踏み込みすぎない言葉。

 莉子は少しだけ迷い、返信を打つ。

《ええ。ありがとう。
 今日は、自分の気持ちを考える夜にします》

 送信した瞬間、胸の奥に静かな痛みが生まれる。

(誰かを選ぶことは、
 必ず、誰かから離れることでもある)

 

 テーブルに両手を置き、ゆっくりと目を閉じた。

(私は——何を望んでいるの)

(“安心”?
 “優しさ”?
 それとも……“あなたと生き直す未来”?)

 

 沈黙の中で、自分の心の底を見つめる。

 そこに残っていたのは、
 怒りでも、疑いでもなく——

(まだ終わっていない想い)

 

 それは、過去ではなく、
 今も胸の奥で静かに息をしている感情だった。

 

 莉子は、そっと息を吐く。

「……もう一度、会おう」

 声は小さく、しかし揺らぎはなかった。

 

 これは、戻るための再会ではない。
 選ぶための再会。

 その答えがどちらに向かうとしても、
 今度こそ逃げない自分でいたかった。

 

 窓の外に目をやる。

 夜空は深く、どこまでも続いている。

——その先にある未来を、
自分の意思で掴みにいくために。
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