今日から麻雀はじめます!
第2局 麻雀の〈マ〉はなんのマ?
土曜の夜。私は自分の部屋でベッドにあおむけで寝転んでいた。
なんどもくり返し思い出す本田先輩のすがた。
プロの早乙女さんと変わらぬスキのない仕草で麻雀の牌をさばく仕草が本当にかっこよかった。
「おい、杏子。風呂が空いたぞ、入れー」
部屋の開けっ放しだったドアのすき間からお父さんが顔をのぞかせた。お風呂上がりのお父さんはからだ中から湯気を放出させている。
「そういえばお母さんが言ってたぞ。まだ部活が決まってないんだってな」
「決まったよ」
「そうなのか! 何部にしたんだ?」
「麻雀研究部」
「……え?」
「……うん?」
お父さんの反応が思ったものじゃなかった私は、ゆっくりと体を起こした。ドアのすき間からのぞいているお父さんの顔が、お風呂上がりの赤ら顔だったのにだんだんと青ざめていくのがみてとれる。
「お父さん?」
「……お母さんにはもう言ったのか?」
「ううん。まだ……あ、そうだ。入部申請の紙にお母さんのサインをもらわなきゃ」
「保護者のサインか?」
「うん」
「お、お父さんでも良いんじゃないのか? ほら、書いてやるぞ」
「えー、お父さんの字、キレイじゃないからヤだなあ」
「そういわず……」
「お母さんに書いてもらうよ……」
「杏子、ほら、すぐに書いてやるから……」
「だから……」
部屋に少しずつ侵入してくるお父さんと、入部申請の紙を渡そうとしない私とがおしくらまんじゅうしていると、一向にお風呂に入ろうとしない私にしびれを切らしたらしいお母さんが「二人とも、なにしてるの。お風呂が冷めちゃうわ」とやってきた。
「お母さん!」
「お母さん……」
お父さんと声をそろえてお母さんを呼ぶ二人に、お母さんは首をかしげた。
「どうしたのよ、二人とも」
するとお父さんが「いや、なんでもないんだ」と慌てた様子でお母さんをリビングにもどそうとその背中を押した。それを私が「待って! サインが欲しいの!」と呼び止めた。
「杏子! だからそれはお父さんが――」
「やだ。お母さんが良い。ねえ、お母さん。入部申請の紙にサインちょうだい」
お母さんは「それくらい、良いわよ」と笑顔で私の部屋に入ってきた。そして私の手から入部申請の紙を受け取った瞬間に、その笑顔が固まった。
「麻雀……研究……部……」
お父さんがそのうしろで顔を両手で抑えていた。明らかに「やってしまった」という表情だ。
「……ねえ、杏子。お父さんに何か言われたの?」
私はお母さんの質問に首をかしげた。
「ううん」
「じゃあ、お父さんにお小遣いでももらった? なにか弱みでも?」
「お、お母さん。なにを言ってるの?」
「だって、お父さんが杏子に麻雀をさせたくて入部させたとしか思えないもの!」
「ち、ちがうよ! 何を言ってるの、お母さん。私が入りたくて入るんだよ!」
「……本当に?」
お母さんはなおも疑うように私の方をみている。私は「そうだよ」とうなずいた。
「ちーとカンカン、かみちゃと四人で入れる部活が全然なくて。でも多井先生にそろそろ決めろって言われて。で、多井先生が〈麻雀研究部を復活させて四人で入ったらどうか〉って提案してくれたの。だから私たちもそうすることに」
「……お父さんが杏子に麻雀を勧めたりしたわけじゃないのね?」
「そうだよ。……なんでそんなにお父さんを疑うの?」
「それは……」
途端にお母さんはばつが悪そうにお父さんの方をちらりと見た。お父さんは自分の容疑が晴れたこと、そして娘の私が麻雀研究部に入ることになったことでなぜかうれしそうに笑みを浮かべていた。また顔が赤らんでいる。
「……お父さんは昔、麻雀が好きだったの」
「今も好きだぞ」
「そう。でも、やっていないでしょう?」
「約束だからね、お母さんと」
お母さんはお父さんの返事にうなずくと、私の方をみて言った。
「お母さんがお父さんと結婚する前は、お父さんすごく麻雀が強くてね。プロじゃなかったけれど、仕事の合間……時間さえあれば雀荘でずっと麻雀を打っているような人だったの」
「……え、本当?」
「そう。でも、そのころの麻雀って賭け麻雀が多くてね。お父さんも強いって言ってもお金をかけて麻雀していたし、強くても負けることはあったから、私は……お母さんは〈麻雀を続けるなら結婚できない〉って言ったの」
そしてお父さんが「だから、もうやってないよ」とうしろから顔をのぞかせて再三言った。
「スマホゲームさえ、お母さんが許してくれなかったからやってない」
「だって、麻雀しているときのお父さん、寡黙になってすこし怖いんだもの」
「自覚ないんだよなあ……」
私はお父さんが麻雀をしていたことを今日の今まで知らなかった。初耳だった。私は飛び上がってお父さんに抱きついた。
「ずっとやってなくても、ルールとかは分かるよね?」
「そりゃ簡単に忘れるようなものじゃないさ」
「教えてくれる?」
「……うーん」
私が腰に抱き着いたまま、お父さんはお母さんの方をジッと見た。
「お母さんが〈良い〉って言ってくれればなあ」
すると今度はお母さんが私の方をジッと見た。
「どんなに誘われても、賭けごとはしないって約束してちょうだい。それから、学校や部活以外の場所で勝手に麻雀をしないこと。約束できる?」
「約束する! わーい!」
私は飛び上がってお母さんに抱きついた。
「ねえ、家には麻雀牌ってないの?」
「ないわよ」
「買って?」
「え……」
私がお母さんにおねだりすると、お父さんもすかさず私とお母さんにくっついてきて「お願い」と言った。
「お母さん、お願い」
「お願いだよ、母さん」
「お手伝いするから」
「肩もむから」
私とお父さんの「お願いお願い」攻撃に観念したように「分かったわ、あとでネットショップで注文しておくわ」と言って私の部屋を出て行った。
「杏子。早くお風呂に入っちゃいなさい」
「はい!」
私の部屋でお父さんと二人きりになると、どちらからともなくハイタッチがおこった。
「ありがとう、杏子。なにがキッカケか知らないが、お父さんがまた麻雀できるようになれてうれしいよ」
「よかった! あのね、いつメンで入れる部活がその麻雀研究部ぐらいしかなかったの。それにね」
「うん。それに、なんだ?」
ニコニコとほほ笑んでいるお父さんに、私は照れながら告白した。
「好きな人が、できたんだ。その人が、麻雀強くて。一緒にゲームできるようになりたくなったんだ」
「…………」
お父さんはニコニコしたまま固まってしまった。