剣を捨てた最強令嬢は仮婚約者を回収します!
1
リヴェルニア王国の王都、リュミナールにて。
ヴァルセニエ家の令嬢、アレティア・ド・ヴァルセニエはその日、抜けるような晴天を馬車の窓から目を細めて眺めていた。
「今日はご機嫌がよろしいようですね、お嬢様」
そう声をかけてきたのは、アレティアの正面に座っていたヴァルセニエ家の執事長クレマンだ。
アレティアが口を開く前に、隣に座っていた侍女のリュシェルが得意げな表情でクレマンの方へと身を乗り出した。
「当然です! なんてったって今日のお嬢様のドレスは、昨日仕上がったばかりの特注品なんですから!」
そう言いながら、リュシェルはうっとりとした表情で隣のアレティアを振り返った。
「ああ、本当によくお似合いです。黄金色のお嬢様の長い髪に、淡いブルーがよく映えて。胸元の紺碧のブローチも、お嬢様の青い目と完璧に調和していますわ!」
「全く、お前だな。仕立て屋にやたらと細かい注文をつけていたのは。おかげで納品が一ヶ月も遅れたじゃないか」
「殿方には分からないかもしれませんが、ドレスは女の戦闘服なんです! お嬢様にはその魅力を十二分に引き立てる完璧なお品を身につけていただかないと……」
リュシェルがさらにドレスの重要性について語ろうと口を開きかけた、その時だった。
ピカッ! と窓の外が光るのと同時に、パリンパリンとガラスの割れる音が頭上で響いて、リュシェルがアレティアにしがみつきながら悲鳴を上げた。
「お嬢様! 災害です!」
グラグラッと地面が揺れて、アレティアは悲鳴を上げ続けるリュシェルを支えながら窓の外にさっと視線を走らせた。
(これは……!)
「封災です、お嬢様――ここは早く引き返しましょう」
魔力が街を狂わせる災害。しかも今日は、魔力の揺れがかなり大きい。
既に人々の叫び声が馬車の外から聞こえ始めている。アレティアは首を振りながら、バラバラにしてドレスに隠し持っていた自身の武器をさっと集めて繋ぎ合わせ始めた。
「都民の救助に当たらないと」
「しかし、せめて一度屋敷に戻ってから……」
「ダメよクレマン。戻ったら“剣で解決しろ”ってお父様に言われるわ」
「お嬢様! おろしたてのドレスが汚れてしまいます!」
「全くこの子ったら、こんな時に何を言ってるの」
アレティアは苦笑しながらリュシェルの額を軽く小突くと、さっと白い手袋をはめ直して馬車の扉を勢いよく押し開けた。
「でも、せっかくの淡いブルーが……」
「ドレスは戦闘服だと言っていなかったか?」
「戦闘服って……そういう意味じゃないんですってば! 社交場での話なんです!」
二人の会話に口元を緩めていたアレティアだったが、すぐに表情を引き締めると、素早い身のこなしで馬車から飛び降りて石畳の道をだっと駆け出した。
◇
アレティアが走り抜ける道の両脇には、“ 魔晶灯”という魔力で光を灯す街灯がいくつも立てられていたが、ものの見事に全てのガラスが木っ端微塵に割れて地面に散らばっていた。
(魔晶灯が影響を受けている。厄介ね)
「危ない! 倒れるぞ!」
切羽詰まった叫び声にぱっと振り返ると、人々が早足で避難している道のすぐ横で、柱がぐらりと傾いているのが目に入った。逃げ遅れた一人の老人が、恐怖に目を見開いて柱を見上げている。
「うわあぁ!」
ピシャン、と澄んだ金属音と共に柱の動きが止まって、老人はその場によろよろと尻もちをついた。
「え……一体何が……?」
「固定完了。どうぞお通りになって」
銀鎖槍の鎖で柱を固定し、アレティアは老人に向かって落ち着いた声で告げた。
「見て! ヴァルセニエ家のアレティアお嬢様よ!」
「えっ、本当に?」
「あの銀鎖槍を見て! 間違いないわ!」
声を弾ませる若い二人の女性に、アレティアは冷静に頷いて見せた。
「固定は完璧よ。でも柱が脆くなっているかもしれないから、早くそこから離れなさい」
「は、はいっ! ありがとうございます!」
二人の若い女性と一緒に柱の下を離れながら、老人は信じられないといった面持ちで、アレティアの持つ鎖付きの槍をじっと見つめていた。
「危ない!」
再び鋭い叫び声がして、今度は激しい蹄の音と共に、制御を失った馬車が人々の列に向かって突っ込んできた。
しかし人々が叫び声を上げる前に、アレティアがさっと槍を振って鎖を飛ばし、素早く馬を絡め取って動きを封じてしまった。
「おお!」
どよめきの中、アレティアは軽い身のこなしで馬車に近づくと、馬をなだめてから巻きついていた鎖を外してやった。
「アレティア様! 柱を固定している鎖は回収しなくてよろしいのですか?」
先ほどの若い女性の言葉に、アレティアは静かに首を振った。
「予備の鎖はまだドレスに仕込んであるから大丈夫。気が向いたら後で回収に来る……」
「きゃああああ!」
甲高い悲鳴に人々が驚いて振り返ると、恐ろしい形相の男性に一人の女性が追いかけられているところであった。
「“魔力中毒者”だ!」
誰かが叫ぶのと同時に、一人の憲兵がさっと剣を抜きながら男と女性の間に飛び出した。
「ま、待ってください!」
全力で逃げていた女性だったが、ギラリと抜き身の憲兵の大剣に気が付いて、血相を変えて叫んだ。
「その人は、私の夫なんです!」
「俺一人では捕獲は無理だ! 死にたいのか!」
「そんな!」
悲痛な叫びを上げた女性と憲兵の横を、銀色の光が空気を切り裂くようにさっと通り過ぎた瞬間、両足を絡め取られた魔力中毒の男性がドサリと地面に転がった。
「え……?」
ポカンとした表情の憲兵の横をさっと通り過ぎながら、アレティアが手袋をした指で彼の肩を軽く叩いた。
「捕獲完了。解毒はよろしく」
アレティアのブローチの家紋に気がついて、憲兵が大きく目を見開いた。
「ヴァルセニエ家だと? 剣はどうした?」
憲兵の問いに、アレティアはチラッと彼を振り返った。抜き身の刃に一瞬指先が冷える心地がしたが、何事もなかったかのようにドレスに付いた埃を軽く払い落とした。
「血は嫌いなの。潔癖だから。赤い血がドレスに付いたら落ちにくいでしょう?」
そのままくるりと踵を返したアレティアの後ろ姿を、憲兵は大剣を手に持ったまま呆然とした表情で見送っていた。
◇
「お嬢様! やっと見つけましたわ!」
その後もあちこち走り回りながら救助活動を行なっていたアレティアは、大通りに出たところで馬車に乗ったリュシェルとクレマンに合流することができた。
「お勤めご苦労様です」
軽く息を切らせたアレティアは、クレマンが差し出した水筒の水を飲んで、ほっと小さくため息をついた。
「街の様子はどうでしたか?」
「建物の倒壊は大したことないのだけど、魔力中毒者が多くて埒があかないわ」
手の甲でさっと口を拭ってから、アレティアはうんざりしたように厳しい視線を街の方へと投げかけた。
「放っておいたら他の人間を攻撃してくるからたちが悪い。かと言って傷つけるわけにもいかないし……」
その時、王都の中央付近に突然白い光の柱が立ち上がり、付近の上空をさっと照らし出した。
(あっ……!)
三人が息を呑んだ瞬間、ガタガタと継続的に続いていた地面の揺れがピタリと止まり、辺りに異様な静けさが訪れた。
「これは一体……?」
リュシェルが戸惑ったように辺りをキョロキョロと見回している横で、アレティアは真剣な表情でクレマンと顔を見合わせた。
(王都の中心のあの位置から強烈な光。これはもしかして……)
「お嬢様! 憲兵たちが次々と剣を収めていきます!」
リュシェルの声に、アレティアはクレマンと同時に街の方を振り返った。
「どうやら、魔力中毒者たちが暴れるのをやめたようですな」
(魔力の影響がおさまっている……?)
パリン、と澄んだ音が響いて、アレティアははっと足元に視線を落とした。
(これは……!)
美しい水晶の欠片のような物が一片、アレティアの爪先辺りに転がっていた。割れた形跡のある内側は澄んだ透明だったが、つるっとした外側は白く濁ったような色をしている。
(“魔法記録水晶”の欠片だわ!)
反射的にパッと拾い上げると、クレマンがすかさず鋭い視線で無言の圧をかけてきた。
(拾うなら“隠せ”ってことね)
アレティアはすぐに頷くと、拾った欠片をドレスの内側にそっと紛れ込ませた。
やがて、人々のガヤガヤとした声が異様な静けさを破って、街に再び活気が戻ってきた。しかしそれと同時に、黒地に金糸の重々しい制服を纏った男たちが何人も現れて、何やら街で作業を始めていた。
「お嬢様、あの人たちは一体何者ですか?」
「“審問院”の執行官よ」
「審問院?」
「そう。証拠を集めて人を裁くのが彼らの仕事なの」
審問院の執行官たちは、品定めするような目つきで地面に倒れている負傷者や魔力中毒者を観察しながら、次々と彼らに札を貼り付けていく。
『隔離』
『回収』
『記録』
札が貼られた瞬間、周囲がさっと距離を取った。
「ちょっとどういうことですか! 救助活動もなにもしてないくせに、いきなり現れて証拠集めだけしていくなんて!」
「リュシェル、落ち着いて。声を荒げたら私たちも札を貼られるわ」
「でも、まるで人を物のように……」
アレティアの懸念通り、騒いでいるリュシェルに気がついた一人の執行官が、訝しげに目を細めながら三人の元へと近づいてきた。
「……ヴァルセニエ家か?」
執行官の問いに、アレティアは恭しく膝を折って丁寧にお辞儀をした。
「王国筆頭武家ヴァルセニエ家の長女、アレティア・ド・ヴァルセニエにございます」
「武家が口出しとは生意気な。ここは我々審問院の現場だ」
「口出しだなんて滅相もない」
相変わらず丁寧な口調を保ったままで、アレティアはチラッと札を貼られた人々に視線を投げた。
「ただ……現場は災害区域。秩序維持は王国筆頭武家の任務ですわ」
執行官はフンッと鼻を鳴らすと、高圧的な表情でアレティアを見下ろしてきた。
「その秩序とは、我々審問院が法の下に保っているものだ」
執行官の背中が遠くに離れて行ったのを確認してから、リュシェルが再び目尻を吊り上げて騒ぎ始めた。
「何よ、偉そうにしちゃって! 大した剣の腕も槍の腕も持ってない癖に!」
「お前だって、武芸の腕前はお嬢様の足元にも及ばないだろう?」
クレマンにそう指摘されて、リュシェルはさらに興奮して両腕を振り回した。
「比べる人が間違ってます! この王都にお嬢様以上に強い人間がいるって言うんですか?」
「まぁ、だから私が言いたいことはだな、目くそが鼻くそを笑うもんじゃないってことで……」
「お嬢様! クレマン様が酷いです! 因みに私はここに来るまでに三人救助したんですよ! それでも私のこと目くそだって仰るんですか!」
顔を真っ赤にして本気で怒っているリュシェルに、アレティアは思わずぷっと吹き出したが、道の向こうに不穏な動きをする執行官の姿を捉えて、さっと表情を引き締めた。
倒れている人の介抱を行なっている一人の黒髪の青年を、札を持った執行官が何人も集まって取り囲んでいる。彼が顔を上げるのと同時に、執行官の一人がペタリと彼の腕に札を貼り付けた。
『要回収』
札の文言をチラッと見た青年は、切れ長の目をさらに細めて皮肉っぽい口調でぼそりと言った。
「……救助より『回収』が優先ですか」
「一緒に来てもらおうか」
青年が、特に抵抗する素振りも見せずに大人しく立ち上がった、その時だった。
シャンッと澄んだ金属音と共に、銀色の光が青年に向かって一直線に伸びた。銀鎖が一瞬で青年の手首に巻きつき、その場にいた全員が気がついた時には、青年の身柄はぐんっと引っ張られて、アレティアの手の内に確保された後であった。
「……これは一体どういうことでしょうか?」
青年は落ち着いた雰囲気を保とうと努力している様子だったが、整った顔に浮かんでいる困惑の表情を全て隠すことはできずにいた。
「『要回収』とのことでしたので、私が回収させてもらいました」
「そいつは審問院の回収物だ!」
執行官の一人がアレティアに詰め寄ろうとしたが、彼女が銀鎖槍をさっと振って構えたため、躊躇してその場で立ち止まった。
「“物”ではありませんわ。“人”です」
「貴様、審問院に楯突くつもり……」
アレティアが胸元のブローチを外してさっと掲げるのと同時に、クレマンが書類筒から羊皮紙を取り出して両手で広げて見せた。ブローチと羊皮紙に刻印された金色の家紋に気がついて、執行官たちがはっと息を呑んだ。
「ヴァルセニエ家か!」
クレマンが、羊皮紙に書かれている内容を高らかに読み上げる。
「ヴァルセニエ家。王命により災害現場の臨時治安指揮権を行使します」
(王命が出た以上、彼らは引くしかないわ)
執行官たちはどうすることもできず、一旦この場は引く姿勢を見せたが、最後まで鋭い敵意をむき出しにした視線でアレティアのことを睨みつけていた。
(後で必ず回収してやるっていう、強い意志を感じるわね……)
「……武家が審問院に口出しなど、ただで済むと思っているのか?」
皮肉っぽい声に振り返ると、青年は蔑むような光を黒い瞳に湛えてアレティアのことを見下ろしていた。
アレティアが軽く腕を引くと、銀鎖は青年の白い手首に僅かな痕すら付けることなくスルッと外れて、彼女の意のままに元の場所へと収まった。
「王命をご覧になりませんでしたの? 災害現場においては、私たちの方が権限は上になりますのよ」
そう言いながら、アレティアは青年の腕に張り付いていた『要回収』の札をペリッと剥がして地面に投げ捨てた。
「とりあえず、私が回収したのですから、ご同行いただけますかしら?」
◇
アレティアの隣にリュシェルが座り、クレマンに肩を押されて青年がアレティアの正面に腰掛ける。クレマンが内側から扉を閉めるのと同時に、馬車はゆっくりとヴァルセニエの屋敷に向かって進み始めた。
「お嬢様! どうしてこの御仁を回収されたのですか?」
馬車が動き出すのと同時に、それまでずっとそわそわしていたリュシェルが、とうとう我慢できなくなった様子でさっそく口を開いた。
「もしかしてお嬢様は、こういうシュッとした美男子がお好きなんですか?」
好奇心に瞳を輝かせているリュシェルを、青年は鬱陶しげな表情でジロリと睨んだ。
「そういう理由で回収されたのなら、返却を希望します」
「モノと違ってそう簡単に返却できるものでもありませんのよ」
ピシャリとそう言い放ったアレティアに、青年の表情が険悪になる。それを敏感に察知したクレマンが、取りなすように説明を入れた。
「リュシェル、お嬢様は無実の人間が捕縛されるのを防ぐために、このお方を回収されたのだ」
「無実の人間?」
リュシェルにじっと見られて、青年はプイッと顔を背けた。
「審問院は今日のような災害にかこつけて、自分たちに都合の悪い人間を捕縛することがある。表向きは清廉に見えても、内部が腐っているというのはどこの組織も似たようなものだ。この方は魔力中毒に陥った形跡も無いし、むしろ都民の救助に当たっていた。にも関わらず回収札が貼られたことに、お嬢様は違和感を覚えられたのだ」
「でも、本物の罪人だったらどうするのですか?」
不安そうなリュシェルの問いに、アレティアは深い笑みを浮かべた。
「もしそうだったとしても、私たちの手の内にあるのだから全く問題ないわ」
それを聞いて、青年は鋭い目つきでアレティアを睨みつけた。
「武家のヴァルセニエとはいえ、女の細腕で男の僕に敵うとでも?」
「試しにやってみますか?」
馬車内の空気が一気に変わったことに気がついて、青年は小さく肩をすくめて大人しく席に収まった。
「さすがに三対一は不利すぎる」
「一対一でも、お嬢様に敵うはずがありませんわ!」
顔を真っ赤にしたリュシェルが、プンプン怒りながら青年の顔をビシッと指差した。
「助けてもらったにも関わらず、なんて無礼な人なんでしょう!」
「頼んだ覚えは無い」
「こういう不遜な態度も怪しいでしょう?」
睨み合っている二人に構わず、アレティアは先程の青年の言葉について考えながらクレマンに話しかけた。
(肉弾戦……武器が無い状態なら、確かに女の私が不利かもしれないわね)
「確かに。普通罪を犯した者なら、罪から逃れるために有利な行動を取るはずですが、この方からは全くそのような意志を感じられません」
アレティアはクレマンに同意するように頷くと、隣に座る青年をゆっくりと振り返った。
「あなたの顔……どこかでお見かけした気がするのだけど、お名前を伺ってもよろしいかしら?」
「新手の誘い文句か?」
「もし誘い文句なら、新手どころか手垢の付きすぎた文句だと思うのだけど」
「……否定はできないな」
青年はその点に関しては納得したように頷いてから、ぼそりと自分の名を口にした。
「ロスティンだ」
(……ロスティン)
聞き覚えのない名前だった。アレティアは眉をひそめると、なんとなく見覚えがあるようなロスティンの秀麗な顔をまじまじと見つめた。
(苗字を聞けば何か分かるかも……)
チク、と太ももに軽い痛みが走り、アレティアはロスティンの方へ乗り出していた身を慌てて引っ込めた。先ほど災害現場で拾った水晶の欠片の存在をすっかり忘れていたのだ。
「それは……!」
アレティアがドレスに隠していた欠片を取り出した瞬間、ロスティンの表情が一変した。
「なぜそれを持っている!」
「落ちていたから拾ったのよ」
「何でも回収しないと気が済まないのか!?」
ロスティンは一瞬感情を爆発させていたが、すぐに元の落ち着いた雰囲気を取り繕って軽く咳払いした。
「それは審問院の回収物だ。すぐに奴らに返さないと」
アレティアはロスティンをチラッと見てから、手の中の欠片に視線を落とした。
(魔法記録水晶……)
魔力の残滓が集まって結晶化し、その場で起こった事象を記録するという代物。魔力絡みの事件現場には、この魔法記録水晶が必ず残されるという。
(まさかこんなふうに割れているとは思ってもみなかったけど……)
「証拠の回収は奴らの仕事だ。それを持っていると知られれば、地の果てまで追ってくるぞ」
「……もしかして、あなたもその回収対象の“証拠”の一つだったりするのかしら?」
アレティアの問いに、ロスティンは一瞬言葉を詰まらせた。
「……そうだ。僕は“容疑者”で、水晶にはその証拠が記録されている」
リュシェルがはっと息を呑み、冷静沈着なクレマンですら咄嗟に構えるような仕草をしたが、アレティアだけは微動だにせずにじっとロスティンの黒い瞳を見つめていた。
「……事情はなんとなく理解したわ」
「なら、さっさと僕とその欠片を審問院に……」
「いいえ、その逆よ。全ての証拠を私たちの手元に回収しましょう」
アレティアが何を言っているのか分からず、ロスティンはポカンとした表情で彼女を見つめた。
「証拠を……回収する?」
「そう。あなたと、魔法記録水晶の全ての欠片をね」
ようやくその場にいた全員がアレティアの言葉の意味を理解して、馬車内の空気が再び変わった。ロスティンが口を開く前に、先に発言権を得たのはリュシェルだった。
「何を仰るんですか! こんなややこしい男、顔が好みでないならさっさと審問院に引き渡すべきですよ!」
「……元々審問院のやり方には疑問があったの。自分たちに都合の悪い無実の人間を捕まえたり、人を物みたいに扱ったり……証拠を独占したりね」
アレティアは再び真っ直ぐな視線をロスティンに向けた。
「あなたも訳ありって感じだし。この際一緒に戦ってみるのはどうかしら? どういう理由があるのか知らないけど、あなただってできれば逮捕なんかされたくはないでしょう?」
そう言われて、ロスティンはほんの僅かに黒い瞳を揺らした。
「……相手は国家権力だ」
「災害時の権力はヴァルセニエの方が上よ」
「しかしお嬢様。この御仁を野放しにすれば、すぐに審問院の連中に捕まってしまいます」
「その通りよクレマン。ロスティンには、今後私たちと行動を共にしてもらう必要があるわ」
「しかし赤の他人をお屋敷に連れ込むなど、ヴァルセニエ伯爵がお許しになるはずがありません。ましてや殿方など」
厳しい父の顔を思い浮かべながら、アレティアは少しばかり思案した。
「使用人ってことにすればいいんじゃない?」
「ダメですよお嬢様! このお方の雰囲気を見て下さい。どこからどう見ても使われる側の人間には見えません! 私たちに紛れ込ませても一発で怪しい人間だってバレますよ!」
すかさずリュシェルの指摘が入る。
「それに使用人は買い出しに駆り出されたりもしますし、匿うのに都合のいい立場とは言えませんね」
「じゃあ友人ってことにすれば……」
「男女の間に友情は成り立ちません!」
「……面倒ね。もういっそ婚約者ってことにしましょう」
「婚約者!?」
リュシェルが素っ頓狂な声を上げ、二人の男性も驚いた表情でアレティアを振り返った。
「そうよ、それがいいわ。お父様も、いい人が見つかったら好きに連れてきていいって仰っていたし」
「いや、確かに伯爵は、結婚相手に関してはお嬢様に一任すると仰ってはいましたが、さすがに早急すぎるのではないかと……」
クレマンが冷や汗をかきながら苦言を呈したが、アレティアは強い意志を示すようにキッパリと首を振った。
「仕方ないでしょ、これしか方法が無いんだから。もちろん正式なものである必要はないから“仮婚約”ってことで。婚約者なら、保護は“家の責任”になるわ」
「……僕の意思は全く考慮されないと?」
「目的のためには、あなただって手段を選んでなんかいられないと思うけど?」
再び長いまつ毛の下で、ロスティンの瞳が揺れた。
「……確かに、それも一理あるかもしれない」
彼はようやく決心がついたかのように、アレティアの顔を正面から見据えた。
「分かった。仮婚約だかなんだか知らないが、君の茶番に乗ってやる。僕も審問院のやり方には思うところがあるからな」
「決まりね」
満足そうに頷いたアレティアに、リュシェルが最後まで納得いかないと言わんばかりの表情で食い下がった。
「お嬢様! こんな失礼な御仁がお嬢様の婚約者だなんて……」
「だから“仮”だって言ってるでしょう? もう決まったことなんだからぐずぐず引っ張らないの」
「そうだ。僕は表向きにはお嬢様の“婚約者”なんだから、それ相応の丁重な扱いをしてもらわないと」
「お嬢様! この人既に亭主関白予備軍ですわ!」
歯噛みしながら睨み合っているリュシェルとロスティンには構わず、アレティアは魔法記録水晶の欠片を持ち上げてしげしげと眺めた。
(欠片は一片だけでは何も映さない。記録された証拠を確認するためには、全ての欠片を集めて繋ぎ合わせなければ)
「残りの欠片は、全て審問院が管理するのかしら?」
アレティアの問いに、ロスティンはリュシェルの相手をやめて軽く首を振った。
「いや、おそらく王都の権力者たちが分散して保管することになると思う」
(そこまで手間をかけるだなんて。相当重要な記録みたいね)
アレティアは水晶の欠片越しに、ロスティンの整った顔を覗き込んだ。
(パズルのピースが全て綺麗にはまった時、一体どんな真実が明らかになるのかしら)
ヴァルセニエ家の令嬢、アレティア・ド・ヴァルセニエはその日、抜けるような晴天を馬車の窓から目を細めて眺めていた。
「今日はご機嫌がよろしいようですね、お嬢様」
そう声をかけてきたのは、アレティアの正面に座っていたヴァルセニエ家の執事長クレマンだ。
アレティアが口を開く前に、隣に座っていた侍女のリュシェルが得意げな表情でクレマンの方へと身を乗り出した。
「当然です! なんてったって今日のお嬢様のドレスは、昨日仕上がったばかりの特注品なんですから!」
そう言いながら、リュシェルはうっとりとした表情で隣のアレティアを振り返った。
「ああ、本当によくお似合いです。黄金色のお嬢様の長い髪に、淡いブルーがよく映えて。胸元の紺碧のブローチも、お嬢様の青い目と完璧に調和していますわ!」
「全く、お前だな。仕立て屋にやたらと細かい注文をつけていたのは。おかげで納品が一ヶ月も遅れたじゃないか」
「殿方には分からないかもしれませんが、ドレスは女の戦闘服なんです! お嬢様にはその魅力を十二分に引き立てる完璧なお品を身につけていただかないと……」
リュシェルがさらにドレスの重要性について語ろうと口を開きかけた、その時だった。
ピカッ! と窓の外が光るのと同時に、パリンパリンとガラスの割れる音が頭上で響いて、リュシェルがアレティアにしがみつきながら悲鳴を上げた。
「お嬢様! 災害です!」
グラグラッと地面が揺れて、アレティアは悲鳴を上げ続けるリュシェルを支えながら窓の外にさっと視線を走らせた。
(これは……!)
「封災です、お嬢様――ここは早く引き返しましょう」
魔力が街を狂わせる災害。しかも今日は、魔力の揺れがかなり大きい。
既に人々の叫び声が馬車の外から聞こえ始めている。アレティアは首を振りながら、バラバラにしてドレスに隠し持っていた自身の武器をさっと集めて繋ぎ合わせ始めた。
「都民の救助に当たらないと」
「しかし、せめて一度屋敷に戻ってから……」
「ダメよクレマン。戻ったら“剣で解決しろ”ってお父様に言われるわ」
「お嬢様! おろしたてのドレスが汚れてしまいます!」
「全くこの子ったら、こんな時に何を言ってるの」
アレティアは苦笑しながらリュシェルの額を軽く小突くと、さっと白い手袋をはめ直して馬車の扉を勢いよく押し開けた。
「でも、せっかくの淡いブルーが……」
「ドレスは戦闘服だと言っていなかったか?」
「戦闘服って……そういう意味じゃないんですってば! 社交場での話なんです!」
二人の会話に口元を緩めていたアレティアだったが、すぐに表情を引き締めると、素早い身のこなしで馬車から飛び降りて石畳の道をだっと駆け出した。
◇
アレティアが走り抜ける道の両脇には、“ 魔晶灯”という魔力で光を灯す街灯がいくつも立てられていたが、ものの見事に全てのガラスが木っ端微塵に割れて地面に散らばっていた。
(魔晶灯が影響を受けている。厄介ね)
「危ない! 倒れるぞ!」
切羽詰まった叫び声にぱっと振り返ると、人々が早足で避難している道のすぐ横で、柱がぐらりと傾いているのが目に入った。逃げ遅れた一人の老人が、恐怖に目を見開いて柱を見上げている。
「うわあぁ!」
ピシャン、と澄んだ金属音と共に柱の動きが止まって、老人はその場によろよろと尻もちをついた。
「え……一体何が……?」
「固定完了。どうぞお通りになって」
銀鎖槍の鎖で柱を固定し、アレティアは老人に向かって落ち着いた声で告げた。
「見て! ヴァルセニエ家のアレティアお嬢様よ!」
「えっ、本当に?」
「あの銀鎖槍を見て! 間違いないわ!」
声を弾ませる若い二人の女性に、アレティアは冷静に頷いて見せた。
「固定は完璧よ。でも柱が脆くなっているかもしれないから、早くそこから離れなさい」
「は、はいっ! ありがとうございます!」
二人の若い女性と一緒に柱の下を離れながら、老人は信じられないといった面持ちで、アレティアの持つ鎖付きの槍をじっと見つめていた。
「危ない!」
再び鋭い叫び声がして、今度は激しい蹄の音と共に、制御を失った馬車が人々の列に向かって突っ込んできた。
しかし人々が叫び声を上げる前に、アレティアがさっと槍を振って鎖を飛ばし、素早く馬を絡め取って動きを封じてしまった。
「おお!」
どよめきの中、アレティアは軽い身のこなしで馬車に近づくと、馬をなだめてから巻きついていた鎖を外してやった。
「アレティア様! 柱を固定している鎖は回収しなくてよろしいのですか?」
先ほどの若い女性の言葉に、アレティアは静かに首を振った。
「予備の鎖はまだドレスに仕込んであるから大丈夫。気が向いたら後で回収に来る……」
「きゃああああ!」
甲高い悲鳴に人々が驚いて振り返ると、恐ろしい形相の男性に一人の女性が追いかけられているところであった。
「“魔力中毒者”だ!」
誰かが叫ぶのと同時に、一人の憲兵がさっと剣を抜きながら男と女性の間に飛び出した。
「ま、待ってください!」
全力で逃げていた女性だったが、ギラリと抜き身の憲兵の大剣に気が付いて、血相を変えて叫んだ。
「その人は、私の夫なんです!」
「俺一人では捕獲は無理だ! 死にたいのか!」
「そんな!」
悲痛な叫びを上げた女性と憲兵の横を、銀色の光が空気を切り裂くようにさっと通り過ぎた瞬間、両足を絡め取られた魔力中毒の男性がドサリと地面に転がった。
「え……?」
ポカンとした表情の憲兵の横をさっと通り過ぎながら、アレティアが手袋をした指で彼の肩を軽く叩いた。
「捕獲完了。解毒はよろしく」
アレティアのブローチの家紋に気がついて、憲兵が大きく目を見開いた。
「ヴァルセニエ家だと? 剣はどうした?」
憲兵の問いに、アレティアはチラッと彼を振り返った。抜き身の刃に一瞬指先が冷える心地がしたが、何事もなかったかのようにドレスに付いた埃を軽く払い落とした。
「血は嫌いなの。潔癖だから。赤い血がドレスに付いたら落ちにくいでしょう?」
そのままくるりと踵を返したアレティアの後ろ姿を、憲兵は大剣を手に持ったまま呆然とした表情で見送っていた。
◇
「お嬢様! やっと見つけましたわ!」
その後もあちこち走り回りながら救助活動を行なっていたアレティアは、大通りに出たところで馬車に乗ったリュシェルとクレマンに合流することができた。
「お勤めご苦労様です」
軽く息を切らせたアレティアは、クレマンが差し出した水筒の水を飲んで、ほっと小さくため息をついた。
「街の様子はどうでしたか?」
「建物の倒壊は大したことないのだけど、魔力中毒者が多くて埒があかないわ」
手の甲でさっと口を拭ってから、アレティアはうんざりしたように厳しい視線を街の方へと投げかけた。
「放っておいたら他の人間を攻撃してくるからたちが悪い。かと言って傷つけるわけにもいかないし……」
その時、王都の中央付近に突然白い光の柱が立ち上がり、付近の上空をさっと照らし出した。
(あっ……!)
三人が息を呑んだ瞬間、ガタガタと継続的に続いていた地面の揺れがピタリと止まり、辺りに異様な静けさが訪れた。
「これは一体……?」
リュシェルが戸惑ったように辺りをキョロキョロと見回している横で、アレティアは真剣な表情でクレマンと顔を見合わせた。
(王都の中心のあの位置から強烈な光。これはもしかして……)
「お嬢様! 憲兵たちが次々と剣を収めていきます!」
リュシェルの声に、アレティアはクレマンと同時に街の方を振り返った。
「どうやら、魔力中毒者たちが暴れるのをやめたようですな」
(魔力の影響がおさまっている……?)
パリン、と澄んだ音が響いて、アレティアははっと足元に視線を落とした。
(これは……!)
美しい水晶の欠片のような物が一片、アレティアの爪先辺りに転がっていた。割れた形跡のある内側は澄んだ透明だったが、つるっとした外側は白く濁ったような色をしている。
(“魔法記録水晶”の欠片だわ!)
反射的にパッと拾い上げると、クレマンがすかさず鋭い視線で無言の圧をかけてきた。
(拾うなら“隠せ”ってことね)
アレティアはすぐに頷くと、拾った欠片をドレスの内側にそっと紛れ込ませた。
やがて、人々のガヤガヤとした声が異様な静けさを破って、街に再び活気が戻ってきた。しかしそれと同時に、黒地に金糸の重々しい制服を纏った男たちが何人も現れて、何やら街で作業を始めていた。
「お嬢様、あの人たちは一体何者ですか?」
「“審問院”の執行官よ」
「審問院?」
「そう。証拠を集めて人を裁くのが彼らの仕事なの」
審問院の執行官たちは、品定めするような目つきで地面に倒れている負傷者や魔力中毒者を観察しながら、次々と彼らに札を貼り付けていく。
『隔離』
『回収』
『記録』
札が貼られた瞬間、周囲がさっと距離を取った。
「ちょっとどういうことですか! 救助活動もなにもしてないくせに、いきなり現れて証拠集めだけしていくなんて!」
「リュシェル、落ち着いて。声を荒げたら私たちも札を貼られるわ」
「でも、まるで人を物のように……」
アレティアの懸念通り、騒いでいるリュシェルに気がついた一人の執行官が、訝しげに目を細めながら三人の元へと近づいてきた。
「……ヴァルセニエ家か?」
執行官の問いに、アレティアは恭しく膝を折って丁寧にお辞儀をした。
「王国筆頭武家ヴァルセニエ家の長女、アレティア・ド・ヴァルセニエにございます」
「武家が口出しとは生意気な。ここは我々審問院の現場だ」
「口出しだなんて滅相もない」
相変わらず丁寧な口調を保ったままで、アレティアはチラッと札を貼られた人々に視線を投げた。
「ただ……現場は災害区域。秩序維持は王国筆頭武家の任務ですわ」
執行官はフンッと鼻を鳴らすと、高圧的な表情でアレティアを見下ろしてきた。
「その秩序とは、我々審問院が法の下に保っているものだ」
執行官の背中が遠くに離れて行ったのを確認してから、リュシェルが再び目尻を吊り上げて騒ぎ始めた。
「何よ、偉そうにしちゃって! 大した剣の腕も槍の腕も持ってない癖に!」
「お前だって、武芸の腕前はお嬢様の足元にも及ばないだろう?」
クレマンにそう指摘されて、リュシェルはさらに興奮して両腕を振り回した。
「比べる人が間違ってます! この王都にお嬢様以上に強い人間がいるって言うんですか?」
「まぁ、だから私が言いたいことはだな、目くそが鼻くそを笑うもんじゃないってことで……」
「お嬢様! クレマン様が酷いです! 因みに私はここに来るまでに三人救助したんですよ! それでも私のこと目くそだって仰るんですか!」
顔を真っ赤にして本気で怒っているリュシェルに、アレティアは思わずぷっと吹き出したが、道の向こうに不穏な動きをする執行官の姿を捉えて、さっと表情を引き締めた。
倒れている人の介抱を行なっている一人の黒髪の青年を、札を持った執行官が何人も集まって取り囲んでいる。彼が顔を上げるのと同時に、執行官の一人がペタリと彼の腕に札を貼り付けた。
『要回収』
札の文言をチラッと見た青年は、切れ長の目をさらに細めて皮肉っぽい口調でぼそりと言った。
「……救助より『回収』が優先ですか」
「一緒に来てもらおうか」
青年が、特に抵抗する素振りも見せずに大人しく立ち上がった、その時だった。
シャンッと澄んだ金属音と共に、銀色の光が青年に向かって一直線に伸びた。銀鎖が一瞬で青年の手首に巻きつき、その場にいた全員が気がついた時には、青年の身柄はぐんっと引っ張られて、アレティアの手の内に確保された後であった。
「……これは一体どういうことでしょうか?」
青年は落ち着いた雰囲気を保とうと努力している様子だったが、整った顔に浮かんでいる困惑の表情を全て隠すことはできずにいた。
「『要回収』とのことでしたので、私が回収させてもらいました」
「そいつは審問院の回収物だ!」
執行官の一人がアレティアに詰め寄ろうとしたが、彼女が銀鎖槍をさっと振って構えたため、躊躇してその場で立ち止まった。
「“物”ではありませんわ。“人”です」
「貴様、審問院に楯突くつもり……」
アレティアが胸元のブローチを外してさっと掲げるのと同時に、クレマンが書類筒から羊皮紙を取り出して両手で広げて見せた。ブローチと羊皮紙に刻印された金色の家紋に気がついて、執行官たちがはっと息を呑んだ。
「ヴァルセニエ家か!」
クレマンが、羊皮紙に書かれている内容を高らかに読み上げる。
「ヴァルセニエ家。王命により災害現場の臨時治安指揮権を行使します」
(王命が出た以上、彼らは引くしかないわ)
執行官たちはどうすることもできず、一旦この場は引く姿勢を見せたが、最後まで鋭い敵意をむき出しにした視線でアレティアのことを睨みつけていた。
(後で必ず回収してやるっていう、強い意志を感じるわね……)
「……武家が審問院に口出しなど、ただで済むと思っているのか?」
皮肉っぽい声に振り返ると、青年は蔑むような光を黒い瞳に湛えてアレティアのことを見下ろしていた。
アレティアが軽く腕を引くと、銀鎖は青年の白い手首に僅かな痕すら付けることなくスルッと外れて、彼女の意のままに元の場所へと収まった。
「王命をご覧になりませんでしたの? 災害現場においては、私たちの方が権限は上になりますのよ」
そう言いながら、アレティアは青年の腕に張り付いていた『要回収』の札をペリッと剥がして地面に投げ捨てた。
「とりあえず、私が回収したのですから、ご同行いただけますかしら?」
◇
アレティアの隣にリュシェルが座り、クレマンに肩を押されて青年がアレティアの正面に腰掛ける。クレマンが内側から扉を閉めるのと同時に、馬車はゆっくりとヴァルセニエの屋敷に向かって進み始めた。
「お嬢様! どうしてこの御仁を回収されたのですか?」
馬車が動き出すのと同時に、それまでずっとそわそわしていたリュシェルが、とうとう我慢できなくなった様子でさっそく口を開いた。
「もしかしてお嬢様は、こういうシュッとした美男子がお好きなんですか?」
好奇心に瞳を輝かせているリュシェルを、青年は鬱陶しげな表情でジロリと睨んだ。
「そういう理由で回収されたのなら、返却を希望します」
「モノと違ってそう簡単に返却できるものでもありませんのよ」
ピシャリとそう言い放ったアレティアに、青年の表情が険悪になる。それを敏感に察知したクレマンが、取りなすように説明を入れた。
「リュシェル、お嬢様は無実の人間が捕縛されるのを防ぐために、このお方を回収されたのだ」
「無実の人間?」
リュシェルにじっと見られて、青年はプイッと顔を背けた。
「審問院は今日のような災害にかこつけて、自分たちに都合の悪い人間を捕縛することがある。表向きは清廉に見えても、内部が腐っているというのはどこの組織も似たようなものだ。この方は魔力中毒に陥った形跡も無いし、むしろ都民の救助に当たっていた。にも関わらず回収札が貼られたことに、お嬢様は違和感を覚えられたのだ」
「でも、本物の罪人だったらどうするのですか?」
不安そうなリュシェルの問いに、アレティアは深い笑みを浮かべた。
「もしそうだったとしても、私たちの手の内にあるのだから全く問題ないわ」
それを聞いて、青年は鋭い目つきでアレティアを睨みつけた。
「武家のヴァルセニエとはいえ、女の細腕で男の僕に敵うとでも?」
「試しにやってみますか?」
馬車内の空気が一気に変わったことに気がついて、青年は小さく肩をすくめて大人しく席に収まった。
「さすがに三対一は不利すぎる」
「一対一でも、お嬢様に敵うはずがありませんわ!」
顔を真っ赤にしたリュシェルが、プンプン怒りながら青年の顔をビシッと指差した。
「助けてもらったにも関わらず、なんて無礼な人なんでしょう!」
「頼んだ覚えは無い」
「こういう不遜な態度も怪しいでしょう?」
睨み合っている二人に構わず、アレティアは先程の青年の言葉について考えながらクレマンに話しかけた。
(肉弾戦……武器が無い状態なら、確かに女の私が不利かもしれないわね)
「確かに。普通罪を犯した者なら、罪から逃れるために有利な行動を取るはずですが、この方からは全くそのような意志を感じられません」
アレティアはクレマンに同意するように頷くと、隣に座る青年をゆっくりと振り返った。
「あなたの顔……どこかでお見かけした気がするのだけど、お名前を伺ってもよろしいかしら?」
「新手の誘い文句か?」
「もし誘い文句なら、新手どころか手垢の付きすぎた文句だと思うのだけど」
「……否定はできないな」
青年はその点に関しては納得したように頷いてから、ぼそりと自分の名を口にした。
「ロスティンだ」
(……ロスティン)
聞き覚えのない名前だった。アレティアは眉をひそめると、なんとなく見覚えがあるようなロスティンの秀麗な顔をまじまじと見つめた。
(苗字を聞けば何か分かるかも……)
チク、と太ももに軽い痛みが走り、アレティアはロスティンの方へ乗り出していた身を慌てて引っ込めた。先ほど災害現場で拾った水晶の欠片の存在をすっかり忘れていたのだ。
「それは……!」
アレティアがドレスに隠していた欠片を取り出した瞬間、ロスティンの表情が一変した。
「なぜそれを持っている!」
「落ちていたから拾ったのよ」
「何でも回収しないと気が済まないのか!?」
ロスティンは一瞬感情を爆発させていたが、すぐに元の落ち着いた雰囲気を取り繕って軽く咳払いした。
「それは審問院の回収物だ。すぐに奴らに返さないと」
アレティアはロスティンをチラッと見てから、手の中の欠片に視線を落とした。
(魔法記録水晶……)
魔力の残滓が集まって結晶化し、その場で起こった事象を記録するという代物。魔力絡みの事件現場には、この魔法記録水晶が必ず残されるという。
(まさかこんなふうに割れているとは思ってもみなかったけど……)
「証拠の回収は奴らの仕事だ。それを持っていると知られれば、地の果てまで追ってくるぞ」
「……もしかして、あなたもその回収対象の“証拠”の一つだったりするのかしら?」
アレティアの問いに、ロスティンは一瞬言葉を詰まらせた。
「……そうだ。僕は“容疑者”で、水晶にはその証拠が記録されている」
リュシェルがはっと息を呑み、冷静沈着なクレマンですら咄嗟に構えるような仕草をしたが、アレティアだけは微動だにせずにじっとロスティンの黒い瞳を見つめていた。
「……事情はなんとなく理解したわ」
「なら、さっさと僕とその欠片を審問院に……」
「いいえ、その逆よ。全ての証拠を私たちの手元に回収しましょう」
アレティアが何を言っているのか分からず、ロスティンはポカンとした表情で彼女を見つめた。
「証拠を……回収する?」
「そう。あなたと、魔法記録水晶の全ての欠片をね」
ようやくその場にいた全員がアレティアの言葉の意味を理解して、馬車内の空気が再び変わった。ロスティンが口を開く前に、先に発言権を得たのはリュシェルだった。
「何を仰るんですか! こんなややこしい男、顔が好みでないならさっさと審問院に引き渡すべきですよ!」
「……元々審問院のやり方には疑問があったの。自分たちに都合の悪い無実の人間を捕まえたり、人を物みたいに扱ったり……証拠を独占したりね」
アレティアは再び真っ直ぐな視線をロスティンに向けた。
「あなたも訳ありって感じだし。この際一緒に戦ってみるのはどうかしら? どういう理由があるのか知らないけど、あなただってできれば逮捕なんかされたくはないでしょう?」
そう言われて、ロスティンはほんの僅かに黒い瞳を揺らした。
「……相手は国家権力だ」
「災害時の権力はヴァルセニエの方が上よ」
「しかしお嬢様。この御仁を野放しにすれば、すぐに審問院の連中に捕まってしまいます」
「その通りよクレマン。ロスティンには、今後私たちと行動を共にしてもらう必要があるわ」
「しかし赤の他人をお屋敷に連れ込むなど、ヴァルセニエ伯爵がお許しになるはずがありません。ましてや殿方など」
厳しい父の顔を思い浮かべながら、アレティアは少しばかり思案した。
「使用人ってことにすればいいんじゃない?」
「ダメですよお嬢様! このお方の雰囲気を見て下さい。どこからどう見ても使われる側の人間には見えません! 私たちに紛れ込ませても一発で怪しい人間だってバレますよ!」
すかさずリュシェルの指摘が入る。
「それに使用人は買い出しに駆り出されたりもしますし、匿うのに都合のいい立場とは言えませんね」
「じゃあ友人ってことにすれば……」
「男女の間に友情は成り立ちません!」
「……面倒ね。もういっそ婚約者ってことにしましょう」
「婚約者!?」
リュシェルが素っ頓狂な声を上げ、二人の男性も驚いた表情でアレティアを振り返った。
「そうよ、それがいいわ。お父様も、いい人が見つかったら好きに連れてきていいって仰っていたし」
「いや、確かに伯爵は、結婚相手に関してはお嬢様に一任すると仰ってはいましたが、さすがに早急すぎるのではないかと……」
クレマンが冷や汗をかきながら苦言を呈したが、アレティアは強い意志を示すようにキッパリと首を振った。
「仕方ないでしょ、これしか方法が無いんだから。もちろん正式なものである必要はないから“仮婚約”ってことで。婚約者なら、保護は“家の責任”になるわ」
「……僕の意思は全く考慮されないと?」
「目的のためには、あなただって手段を選んでなんかいられないと思うけど?」
再び長いまつ毛の下で、ロスティンの瞳が揺れた。
「……確かに、それも一理あるかもしれない」
彼はようやく決心がついたかのように、アレティアの顔を正面から見据えた。
「分かった。仮婚約だかなんだか知らないが、君の茶番に乗ってやる。僕も審問院のやり方には思うところがあるからな」
「決まりね」
満足そうに頷いたアレティアに、リュシェルが最後まで納得いかないと言わんばかりの表情で食い下がった。
「お嬢様! こんな失礼な御仁がお嬢様の婚約者だなんて……」
「だから“仮”だって言ってるでしょう? もう決まったことなんだからぐずぐず引っ張らないの」
「そうだ。僕は表向きにはお嬢様の“婚約者”なんだから、それ相応の丁重な扱いをしてもらわないと」
「お嬢様! この人既に亭主関白予備軍ですわ!」
歯噛みしながら睨み合っているリュシェルとロスティンには構わず、アレティアは魔法記録水晶の欠片を持ち上げてしげしげと眺めた。
(欠片は一片だけでは何も映さない。記録された証拠を確認するためには、全ての欠片を集めて繋ぎ合わせなければ)
「残りの欠片は、全て審問院が管理するのかしら?」
アレティアの問いに、ロスティンはリュシェルの相手をやめて軽く首を振った。
「いや、おそらく王都の権力者たちが分散して保管することになると思う」
(そこまで手間をかけるだなんて。相当重要な記録みたいね)
アレティアは水晶の欠片越しに、ロスティンの整った顔を覗き込んだ。
(パズルのピースが全て綺麗にはまった時、一体どんな真実が明らかになるのかしら)