前世で死に別れた忍者に、現代で溺愛婚を申し込まれました
この手を取ると決めた日
『景虎、景虎。もういいの。もう充分よ』
『……しかし、姫様。奥方様の言い方は、あまりに辛辣です』
『母上様は、わたしに厳しいから。わたしが不出来だからいけないの』
『姫様、そのようなことはございません。姫様は、誰よりも努力しています』
『……ありがとう、景虎。そんなこと言ってくれるのは、あなただけよ』
また雅姫と景虎の夢を見た。
今日の夢は、幼いころのものだった。
厳しい稽古に泣く雅姫を見て、景虎は母親に詰め寄ろうとしていた。それを雅姫は引き止め、感謝を述べていた。
心が温かくなる夢だったはずなのに、なぜか今は落ち着かない。
(昨日……日向様と電話したせいだわ)
景虎だと思ってしまった人と会える。それだけで、心がざわついていた。
(でも、日向様にはご迷惑な話よね……悟られないようにしないと)
わたしは気を取り直し、綿が潰れた布団から体を起こした。
かび臭く暗い物置小屋には、容赦なく隙間風が吹き込んでいた。
(今日は冷えるわね……今年の冬は大丈夫かしら……)
今はまだ秋だが、冬になると厳しさが待っている。
今後のことを思うと憂鬱だったが、わたしは長い黒髪をひとつ結びにして、割烹着に袖を通し、朝食作りを始めた。
まだ夢心地のまま、朝食の用意をする。今朝は体型にうるさい叔母と一華のために粥を作った。
割烹着のままお盆を持ち、ダイニングへ向かった。すると珍しく叔母と一華が座って待っていた。ツインテールの一華は、顔をしかめた。
「うげっ、おかゆなの? 今日は隆史さんとデートなのよ! おなか減ったらどうしてくれるのよっ」
(また文句を言っている……反論すると、長いのよね……)
わたしは顔から表情を消し、腰を曲げた。
「……申し訳ありません」
「謝ってすむことじゃないでしょ。菓子パンはないの!」
わたしは一華の粥を下げ、代わりに彼女の好物を用意した。彼女はパンを頬張りくちゃくちゃと音を立てた。
わたしは一歩下がって、ぼんやりと食事の光景を見ていた。立って待つのが、この家の当たり前だった。
(この風景にも見慣れたな……)
わたしは彼らの朝食を他人事として眺めていた。
その後、一華の部屋に呼ばれ、彼女が命じるままにクローゼットから洋服を出す。そしてわたしは彼女に化粧をした。
(自分ですればいいのに、一華、アイメイクも引けないのよね)
淡々と作業をしていると、突然、一華がにたりと笑った。
「今日はあ、彼氏とお、チョコレートケーキを食べに行くの」
(ふーん)
「聞いてるの!」
「はい」
「アタシはこんなに綺麗なのに。あんたって惨めね。なんのために生きているの?」
一華はにやにやと笑い、急にわたしの髪を掴んだ。
「誰にも見せないんだしさあ。こんな長い髪、いらないでしょ?」
わたしの髪を引っ張りながら、一華は鋏を手に取った。にたりと笑った一華の顔は、まるで罪悪感がなさそうだった。
(……なにをする気?)
「アタシがカットしてあげるわよ!」
「っ!」
鋏で髪の一部が切られ、足元に黒い髪が散らばった。その光景に、ぞっとする。
「やめてください!」
(いくらなんでも、髪を切るなんて、暴力よ!)
わたしが一華を睨むと彼女は眉を吊り上げた。
「なによ、初音のくせに!」
一華は地団駄を踏んだ。
「散らかったから、掃除しときなさいよ!」
そう言い捨てて、一華は部屋から去っていった。わたしは呆然としたまま、自分の髪に触れた。奇妙な形に切られてしまっていた。
(なんでここまでされないといけないの……!)
行き場のない怒りがこみ上げ、体が小刻みに震えた。涙が出そうになり、深く呼吸をした。ここで泣いたら、わたしの負けだ。
(一華に泣かされたくないっ)
どうにか心を落ち着かせて、掃除道具を取りに行った。
カーペットに散らばった髪の毛を取っていくと、隠し持っていたスマートフォンが震えているのに気づいた。
誰もいないことを確認して、そっとスマートフォンを取り出す。メッセージの通知が来ていた。差出人に驚いて、わたしは指で画面を押してメッセージを確認する。
(え……? 日向様が……今日、ここに……?)
信じられない気持ちでメッセージを何度も確認した。でも、確かに伊藤電機に行けると書かれていた。
(日向様に会える……)
それが夢みたいで、呆然としたままわたしは顔を上げた。顔を上げた先に鏡があり、見えた自分の姿にゾッとした。
痩せてうつろな目をした女が、そこにいた。
(この格好では、失礼になってしまう……)
ふいにすべてが惨めになり、こらえきれず涙がこぼれた。
こんなことをした一華を恨み、自分の境遇を呪いそうになった。
***
髪を整えたかったが、叔母に掃除を言いつけられ、自分でカットする時間はなかった。
わたしは買い物に行くと言い、せめても慰めにスカーフを頭に巻いて伊藤電機へと向かった。
(忍者の頭巾みたいになっちゃった)
伊藤電機に着くと、伊藤さんがわたしを見てぎょっとした。
「お嬢様⁉ 頭、どうしたんです?」
「ちょっと……それよりも伊藤さん。日向様と連絡が取れたの」
「ええっ」
「日向様ご本人がここに来てくださるの。今日」
「今日⁉」
伊藤さんは腰を抜かしそうなほど驚いていた。
「メッセージが着たの。伊藤さんがスマートフォンを貸してくれたおかげだわ」
「私は何も……急展開ですね」
「本当ね」
(昨日まで叔父の不正をどうやって公にしようか頭を抱えていたのに)
日向様が来てくれる。それだけで、わたしにとっては一縷の望みだった。時計を見ながら、彼を待った。
(もう、そろそろかしら……本当に来てくれるのかな……)
自動ドアを見ていると、ふっと人影が現れた。ディスプレイされた洗濯機やテレビで姿が一部しか見えないが、足を止め看板を見ているようだ。やがて、自動ドアが開かれ、日向様が現れた。
(あ……テレビで見たままだ……)
いや、それよりも輝いているように見える。一分の隙もなくと後ろに撫でつけられた髪、すらりとした高い身長。スーツの上からでも分かる逞しい体。
なにより、左目の下にある泣きぼくろが印象的で、目を逸らせなかった。
『……しかし、姫様。奥方様の言い方は、あまりに辛辣です』
『母上様は、わたしに厳しいから。わたしが不出来だからいけないの』
『姫様、そのようなことはございません。姫様は、誰よりも努力しています』
『……ありがとう、景虎。そんなこと言ってくれるのは、あなただけよ』
また雅姫と景虎の夢を見た。
今日の夢は、幼いころのものだった。
厳しい稽古に泣く雅姫を見て、景虎は母親に詰め寄ろうとしていた。それを雅姫は引き止め、感謝を述べていた。
心が温かくなる夢だったはずなのに、なぜか今は落ち着かない。
(昨日……日向様と電話したせいだわ)
景虎だと思ってしまった人と会える。それだけで、心がざわついていた。
(でも、日向様にはご迷惑な話よね……悟られないようにしないと)
わたしは気を取り直し、綿が潰れた布団から体を起こした。
かび臭く暗い物置小屋には、容赦なく隙間風が吹き込んでいた。
(今日は冷えるわね……今年の冬は大丈夫かしら……)
今はまだ秋だが、冬になると厳しさが待っている。
今後のことを思うと憂鬱だったが、わたしは長い黒髪をひとつ結びにして、割烹着に袖を通し、朝食作りを始めた。
まだ夢心地のまま、朝食の用意をする。今朝は体型にうるさい叔母と一華のために粥を作った。
割烹着のままお盆を持ち、ダイニングへ向かった。すると珍しく叔母と一華が座って待っていた。ツインテールの一華は、顔をしかめた。
「うげっ、おかゆなの? 今日は隆史さんとデートなのよ! おなか減ったらどうしてくれるのよっ」
(また文句を言っている……反論すると、長いのよね……)
わたしは顔から表情を消し、腰を曲げた。
「……申し訳ありません」
「謝ってすむことじゃないでしょ。菓子パンはないの!」
わたしは一華の粥を下げ、代わりに彼女の好物を用意した。彼女はパンを頬張りくちゃくちゃと音を立てた。
わたしは一歩下がって、ぼんやりと食事の光景を見ていた。立って待つのが、この家の当たり前だった。
(この風景にも見慣れたな……)
わたしは彼らの朝食を他人事として眺めていた。
その後、一華の部屋に呼ばれ、彼女が命じるままにクローゼットから洋服を出す。そしてわたしは彼女に化粧をした。
(自分ですればいいのに、一華、アイメイクも引けないのよね)
淡々と作業をしていると、突然、一華がにたりと笑った。
「今日はあ、彼氏とお、チョコレートケーキを食べに行くの」
(ふーん)
「聞いてるの!」
「はい」
「アタシはこんなに綺麗なのに。あんたって惨めね。なんのために生きているの?」
一華はにやにやと笑い、急にわたしの髪を掴んだ。
「誰にも見せないんだしさあ。こんな長い髪、いらないでしょ?」
わたしの髪を引っ張りながら、一華は鋏を手に取った。にたりと笑った一華の顔は、まるで罪悪感がなさそうだった。
(……なにをする気?)
「アタシがカットしてあげるわよ!」
「っ!」
鋏で髪の一部が切られ、足元に黒い髪が散らばった。その光景に、ぞっとする。
「やめてください!」
(いくらなんでも、髪を切るなんて、暴力よ!)
わたしが一華を睨むと彼女は眉を吊り上げた。
「なによ、初音のくせに!」
一華は地団駄を踏んだ。
「散らかったから、掃除しときなさいよ!」
そう言い捨てて、一華は部屋から去っていった。わたしは呆然としたまま、自分の髪に触れた。奇妙な形に切られてしまっていた。
(なんでここまでされないといけないの……!)
行き場のない怒りがこみ上げ、体が小刻みに震えた。涙が出そうになり、深く呼吸をした。ここで泣いたら、わたしの負けだ。
(一華に泣かされたくないっ)
どうにか心を落ち着かせて、掃除道具を取りに行った。
カーペットに散らばった髪の毛を取っていくと、隠し持っていたスマートフォンが震えているのに気づいた。
誰もいないことを確認して、そっとスマートフォンを取り出す。メッセージの通知が来ていた。差出人に驚いて、わたしは指で画面を押してメッセージを確認する。
(え……? 日向様が……今日、ここに……?)
信じられない気持ちでメッセージを何度も確認した。でも、確かに伊藤電機に行けると書かれていた。
(日向様に会える……)
それが夢みたいで、呆然としたままわたしは顔を上げた。顔を上げた先に鏡があり、見えた自分の姿にゾッとした。
痩せてうつろな目をした女が、そこにいた。
(この格好では、失礼になってしまう……)
ふいにすべてが惨めになり、こらえきれず涙がこぼれた。
こんなことをした一華を恨み、自分の境遇を呪いそうになった。
***
髪を整えたかったが、叔母に掃除を言いつけられ、自分でカットする時間はなかった。
わたしは買い物に行くと言い、せめても慰めにスカーフを頭に巻いて伊藤電機へと向かった。
(忍者の頭巾みたいになっちゃった)
伊藤電機に着くと、伊藤さんがわたしを見てぎょっとした。
「お嬢様⁉ 頭、どうしたんです?」
「ちょっと……それよりも伊藤さん。日向様と連絡が取れたの」
「ええっ」
「日向様ご本人がここに来てくださるの。今日」
「今日⁉」
伊藤さんは腰を抜かしそうなほど驚いていた。
「メッセージが着たの。伊藤さんがスマートフォンを貸してくれたおかげだわ」
「私は何も……急展開ですね」
「本当ね」
(昨日まで叔父の不正をどうやって公にしようか頭を抱えていたのに)
日向様が来てくれる。それだけで、わたしにとっては一縷の望みだった。時計を見ながら、彼を待った。
(もう、そろそろかしら……本当に来てくれるのかな……)
自動ドアを見ていると、ふっと人影が現れた。ディスプレイされた洗濯機やテレビで姿が一部しか見えないが、足を止め看板を見ているようだ。やがて、自動ドアが開かれ、日向様が現れた。
(あ……テレビで見たままだ……)
いや、それよりも輝いているように見える。一分の隙もなくと後ろに撫でつけられた髪、すらりとした高い身長。スーツの上からでも分かる逞しい体。
なにより、左目の下にある泣きぼくろが印象的で、目を逸らせなかった。