丘の上の小さな 美容室
「それでね、部屋についてる温泉がすごく熱くて入るのに苦労したわ。でも美織は普通に入ってたの。びっくりしちゃった」

 お酒も入り、楽しかった新婚旅行の話を幸せそうに話す深青を見ていると、こっちまで嬉しくなる。
 しかし羨ましい気持ちもあるのでからかってやろうと意地の悪いことを思うのも仕方ない。

「深青は、露天風呂付きの客室に惹かれたんだもんな。お揃いの切子グラスは二の次だ」
「ちょっと、千紗っ」
 美織さんが、え、と深青を見る。深青は真っ赤になった顔を両手で隠して俯いた。
「露天風呂付きの客室なら、美織さんが遠慮なく手を出してくるんじゃないかって期待してたんだよな」
「は、恥ずかしいから言わないで」
「その様子だと上手くいったみたいだね。最近忙しくてご無沙汰だって悩んでたけど無事解決」
 一緒に住んでいるとはいえ働いている身。忙しいとすれ違いもあるし、疲れて先に休むこともある。美織さんは独占欲も強く深青に執着しているから、そんな悩みがあるとは思わなかった。
 どうせ、深青が疲れているから手を出すのを我慢していただけだと思うが。
 美織さんは深青の腰を抱き寄せる。深青は指の隙間から美織さんをちらと見てまた俯く。
「そうだったんですか。最近忙しくて手を出せなくてすいません。気をつけますね」
「もおっ、違うから。切子グラスが欲しかったの。それだけだから!」
「わかりました。深青、そろそろ帰りましょうか。手を出させてください」
「こんなとこで何言ってるのよ、そもそも、違うからっ、もう、千紗っ」
 き、と睨まれても可愛いだけだ。
 私はふはっと吹き出した。
 美織さんへの想いが辛い時もあった。けれど今は、二人がこうして笑ってたまに喧嘩して仲直りするのを見ることが楽しい。深青からの電話も、またかと呆れることはあっても嫌じゃない。
 そろそろ、お開きかな、とビールを飲み干し腕時計を見る。
 と、その時。
 隣で静かだった恵が、酒のせいでとろんとした目と舌足らずな口調で場の空気を破壊した。 
 
「二人はいつ、別れるの」

 全員の視線が恵に注がれる。
 美織さんなんて射殺すような目線で恵を睨みつけている。私は恵を強めに小突く。
「おい、飲み過ぎだぞ」
 注意したが恵は全く聞かない。しかも私の肩を押しのける。生意気な。
「月一で喧嘩なんて、しんどくない?相性悪いんじゃん」
 美織さんがむっとして言い返す。
「悪くない。しこたまいい。朝も昼も夜もいつでもいい」
「なんか美織が言うとエロく聞こえるー。それ、エッチな意味?」
「だとしても、なんだ」
「ちょっと、美織」
 こほん、と咳払いして、深青が恵に向き直る。深青は真面目な表情でピシャリと言う。
「別れないわよ」
「本当?ちっとも?可能性ない?」
「ない」
「入り込む隙は」
「ない」
「えー……」
「もし別れたとしても、あたしは恵を選ばないわよ。これっぽっちも選択肢にはないわ」
「………1%も?」
「ない」
「辛辣」
「しつこい」
「美織ひとすじだ」
「勿論」
 美織さんが深青の隣でほっとしている。
 私は恵を再度小突く。
「いい加減にしろよ」
 恵は今度は私に向き直り、不憫そうに顔を歪めた。
「美織がフリーになる可能性ないみたい。千紗ちゃんは、うぐっ」
 ごっ、と音がした。
 衝動で、ビールジョッキで恵の頭をぶん殴った。恵はぱたりとテーブルに突っ伏す。
 こいつ、今何を言おうとしたんだ。酔っていたとはいえ、許せる範囲を超えるところだった。危なかった、と額を抑えてふう、と息を吐く。
 気づけば辺りがしん、としていたのではっとして顔を上げた。深青はじっと恵の旋毛を見つめ、美織さんはぽかん、と私と恵を交互に見た。私は何事もなかったかのように平静を装い、ビールジョッキをテーブルに起き、私は恵の頭をさすさすと撫でる。
「死んだ?」
 深青が感情の乗らない声でそう言いながら、冷静にたこわさを口に運ぶ。容赦ない物言いに、私はふっと鼻で笑う。
「未遂だ。生きてる」
「それは、良かったわ。ね、千紗」
「ん?」
「ありがと」
 恵の頭を撫でる手が止まる。そっと深青を見ると、穏やかに笑う美しい人がそこにいた。

 「色々、ありがとう」
 
 私ははっと息を飲む。
 後ろめたさに視線をそらしたくなったが、深青の綺麗さからは逃げられない。
 深青はどんどん綺麗になる。美織さんへの愛が深くなればなるほど艶が増す。
 私は深青に見惚れ、そして頬杖をついた。
「私が男なら、深青と付き合ったのになあ」
「あたしも千紗が男なら付き合ってたわ」
「……深青」
 美織さんが不安そうに深青の手を握ると、深青はおかしそうに顔を歪めた。
「もしもの話よ。それに、美織に出会ったら美織を選ぶ。だから心配しないでよ」
 ほっとした美織さんを見て、私はつい、と視線をそらしてビールを飲もうとしたが、空だったことに気づいて恵の飲みかけのビールを喉に流し込んだ。
 
 気づかれてないと思っていた。でも気づいていたか。深青は美織さんにベタ惚れて、やきもちやきで、美織さんに好意を寄せる女にだって敏感だ。その女が身近にいるのだ。気づかないわけない。糸が絡まり解けないような複雑な気持ちにかられる。
 でも、一つだけ変わりなく間違いない感情は確かにそこにあり、私は美織さんと何か話していた深青に、そっと呟くように伝える。
「深青、好きだよ」
 私の言葉に深青は「あたしも好き」と綺麗な笑顔を向けてくれた。

 深青と美織さんを見送ると、私はまだテーブルに突っ伏している恵の頭をぽんぽんと撫でる。
 いつからかわからないが、狸寝入りをしていることには気づいていた。寝たふりをして、静かに会話を聞いていた。
「ほら、帰るぞ」
「千紗ちゃん」
「なんだ。割り勘だからな。お前もお土産貰ったんだから」
「ごめんね」
「手持ちないのか?」
「そうじゃなくて、余計なこと言いそうになってごめん」
 ぐるん、と首だけを私に向けてテーブルに突っ伏したまま、恵は泣きそうな顔で謝る。私は溜息を吐いて、許す。
「いいよ。なんか、バレてたみたいだしな」
「深青ちゃんにはね。美織にはバレてないんじゃない」
「美織さん鈍いしな」
「僕が深青ちゃん好きなことは割とはじめから知ってたみたいだけど」
「わかりやすいからな、恵は」
「え。そう?」
「不憫でならない」
「そんなに?」
「放っておけないほどだ」
「そうなんだ……」
「おかげで今は失恋男の面倒で手一杯で、他に気持ちがいかない」
「え。あは。えへへ。千紗ちゃん、僕のことで頭いっぱいなんだ。なんか嬉しいなー」
「不服だけどな」
「そんなこと言わないでよ。千紗ちゃんが慰めてくれるから、僕はなんとか立っていられる。僕の面倒一生みてよ」
 起き上がり、体ごと向き直って真面目な顔でそんなことを言うものだから、私は少しだけ怖気づいてしまった。これは、真剣な話なのか?それともいつもの軽口なのか。
「変な、言い方するな。……プロポーズみたいだろ」
 苦虫を噛みつぶしたような顔をすれば、恵はへら、としまりのない顔をして最低なことを当たり前のように口にした。
「千紗ちゃんのこと、深青ちゃんと同じくらい好きだよ」
 すん、と気持ちが萎える。この、クズ。
 私の心中を察したのだろう、恵はへらへら笑うだけだ。
「あは。千紗ちゃん、好き。結婚しよ」
「するわけないだろ……」
「しよーよ」
 ねー、しよ。ねーねーねー。

 肩を掴まれ揺さぶられる。
 酔っ払いは面倒だ。それが失恋男なら尚更だ。

 私はうんざりしながら恵を見た。
 派手な金髪と、紫のカラコン。子供っぽく泣き虫で、軽いと見せかけ一途で重い男。加えてクズ。
 哀愁漂い、慰めたくなる雰囲気を醸し出し、それに騙され関係を持った。
 愛はない。全くない。これからもない。
 だから結婚なんて絶対無理だ。ごめんこうむる。
 だがしかし。
 私は悩む。
 普通の夫婦にはなれないかもしれないけど。
 気持ちはお互いに向いてないけど。
 でも恵となら、この先一緒にいても辛くないかもしれない。必要な時に必要とし、慰め合える。それは最高のパートナーになりえるかもしれない。都合の良いように利用し利用され、本人同士がいいなら問題はない。
 私は恵に向き直る。
 酔っ払い、へろへろで、何度も振られて傷ついても諦めきれない恋をしている哀れな恵を今、どうにかできるのは私しかいない。ような気がする。だから。
「いいよ。結婚。しようか」
「……いいの?」
「いいよ。……なんだ。やっぱりやめるか」
「やめない。やめるわけない。えー嬉しー」 
 潤んだ目で懇願してきた恵はまるで捨て犬そのものだ。その捨て犬の目がきらきらと輝き私にわんっと吠え喜びを伝える。仕方ない。拾ってしまったからな。ちゃんと面倒を見るよ。私は恵の頭を両手で撫で回し、一生そばにいることを誓った。




丘の上の小さな美容室...end
< 64 / 64 >

ひとこと感想を投票しよう!

あなたはこの作品を・・・

と評価しました。
すべての感想数:8

この作品の感想を3つまで選択できます。

  • 処理中にエラーが発生したためひとこと感想を投票できません。
  • 投票する

この作家の他の作品

公開作品はありません

この作品を見ている人にオススメ

読み込み中…

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop