恋に臆病な私と恋を知らなかった御曹司の距離が、ゼロになるまで
 開始から一時間程が過ぎ、店内の喧騒も次第に熱を帯びてきた頃だった。

 グラスを傾けながら同僚と他愛もない話をしていた来海の元に、

「ここ、いいですか?」

 そう声を掛けて来たのは課長と話を終えて来た大輔だった。

「あ……お、お疲れ様……です……どうぞ……」

 来海はさり気なく周囲を見回すも、他の席は埋まり移動出来そうな場所が見当たらないことから、断ることが出来なくて頷くしか無かった。

「大丈夫ですか? 何だか顔色があまり良くないように見えますけど?」

 大輔の覗き込むような視線に来海は曖昧に笑う。

「大丈夫です。お気遣いありがとうございます」

 そのやり取りを見ていた来海の同僚が口を挟んだ。

「真白さんって、来海のこと、結構気に掛けてますよね?」
「そう見えますか?」
「見えますよ。もしかして、真白さん、来海に気があったり?」

 そんな冗談めいた問い掛けに大輔は肩を竦めながら笑う。

「僕の仕事のパートナーでもある羽柴さんの彼女さんですから、自然と気に掛けてしまうだけですよ」
「あーそうなんですね」

 大輔が充輝の名を出したことで嫌な予感が来海の胸を掠める中、

「そう言えば――その羽柴さんのことですけど、海外行きの話って本当なんですか?」

 一緒に飲んでいた後輩が来海や大輔に、充輝の海外行きを尋ねていく。

「あれってやっぱりもう決まりなの?」
「しかも、向こうで縁談が決まってるって噂もありますよね?」

 充輝の話題が気になるのか周囲にいた社員たちにも興味津々に身を乗り出してくる。

 大輔は少しだけ気まずそうな表情を浮かべながら、

「皆さん、その話は……」

 来海の前でするような話では無いと止めに入る。

 すると周りも空気を察したようで、

「そ、そうですよね。あくまでも噂ですしね! あ、それより、真白さんって――」

 別の話題に切り替えていく。

 けれど、どこかぎこちない空気は残ったまま。

 それを感じた来海はそっと席を立つ。

「すみません、少しお手洗いに」

 そう一言伝えた来海は足早に店内奥へ向かって行った。

 ざわめきから離れてトイレの扉を閉めた瞬間、ようやく小さく息を吐き出した来海は、

「……充輝、大丈夫かな」

 父親に呼ばれた充輝のことを思い、ポツリと声を漏らしていた。
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