恋に臆病な私と恋を知らなかった御曹司の距離が、ゼロになるまで
 一方充輝は、料亭へと向かう車の中で、頭には嫌な予感が過ぎっていた。

 父親からの呼び出しに、自宅以外での待ち合わせ。

 その予感は店に到着して仲居に案内された個室の襖が静かに開いた瞬間、確信へと変わった。

 そこには父親と見知らぬ男女の姿があった。

「来たか」

 父親の低い声が室内に落ちる。

「紹介しよう。こちらは国内外に様々な事業を展開する総合商社、NRGグローバルホールディングスの楡木(にれぎ)社長だ」

 父親が紹介をした男性は六十代半ば程で、落ち着いた物腰や鋭い眼差しは経営者としての顔をしていると充輝は思う。

 そして父親は彼の隣の女性へと視線を移す。

 黒髪のロングヘアを一つに束ね、淡いベージュのワンピースを上品に着こなしていて、視線を伏せ気味にしながらも、その容姿や佇まいからは育ちの良さが滲んでいた。

「隣にいるのがご息女の真帆(まほ)さんだ」

 彼女を紹介された瞬間、充輝は全てを悟った。

(……要は顔合わせってことかよ……)

 NRGグローバルホールディングスは国内外でも名の知れた大企業で近年は海外インフラのIT化に力を入れており、クラウド管理システムや業務効率化ツールを主力とするHSBホールディングスにとって、これ以上ない提携相手と言える。

(そういえば、協力企業の詳細も縁談相手の話も、まともに聞いていなかったな……)

 海外に行くつもりも縁談を受けるつもりもなかった充輝は相手の情報を何一つ知らなかった。

 そんな充輝に父親もあえて説明することは無かった。

 けれど今、目の前にいるのは大企業の社長と、その娘。

 ここでの自分の態度が会社の未来を左右するかもしれないことは充輝にも分かっていた。

「とにかく座りなさい」

 父親に促された充輝は小さく息を吐き、

「……失礼します」

 畳に膝をついて静かに座る。

「初めまして」

 真帆は控えめに頭を下げ、穏やかに微笑んだ。

「充輝さんにお会い出来るのを、楽しみにしておりました」

 その言葉に充輝はぎこちなく返す。

「……それは、どうも」

 真帆の表情からは、この縁談に前向きであることがはっきりと伝わってくる。

 戸惑いも不安も見せず穏やかな微笑みを浮かべているから。

 対照的に充輝の胸の内では焦りの感情がじわじわと広がっていく。

(……強引に相手に引き合わせて、このまま話を進めるつもりなんだ……)

 父親の思惑を知った充輝は、この場をどう切り抜けるべきか密かに考え始めていた。
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