血の契りより、あなたを選ぶ

7:私情

 久瀬恒一と別れてから、
 私はしばらく、煙草に火をつけなかった。

 修司の形見。
 今までは、それが理由だった。

 ——違う。

 火をつけなかったのは、
 あの男の声が、
 まだ耳に残っていたからだ。

 「修司は、あんたが生きてることを
 一番の成果だと思ってたはずだ」

 思い出すたび、
 胸の奥が、微かに軋む。

 それは、
 悲しみじゃない。

 悔しさでもない。

 私は、立ち止まっていた。

 鷹宮義一の娘として、
 守る側として、
 いつもなら切り捨てていたはずの感覚。

 ——なぜ、久瀬恒一の言葉だけ、残る。

 自室の窓を開ける。
 夜の匂いが、静かに入り込む。

 煙草に火をつける。

 深く吸い、吐いた。

 肺が熱を覚える。

 その熱と一緒に、
 別のものが、はっきりしていく。

「……違う」

 私は、独り言のように呟いた。

 あの男を見たとき、
 危険だとは思った。

 近づくなとも、思った。

 それでも、
 目を逸らせなかった。

 返却の場で、
 距離を詰めなかったのは、
 理性だ。

 触れなかったのは、
 義理だ。

 ——それなのに。

 心だけが、
 置いていかれている。

「私情、か」

 口に出した瞬間、
 否定は浮かばなかった。

 それが答えだった。

 鷹宮彩夜として生きる私が、
 初めて選びかけた、
 組織の外の感情。

 夜風が、
 煙草の煙を攫っていく。

 修司の背中が、脳裏をよぎる。

 ——守れ。

 そう言われてきた。

 守る側でいろ。

 その教えは、今も揺るがない。

 けれど。

 守るだけじゃ、
 人は、生きられない。

 私は煙草を消した。

 まだ、答えは出さない。

 それでも——
 この感情に、
 名前だけはつけてやる。

「……久瀬恒一」

 それは、
 恋と呼ぶには、
 まだ早すぎる。

 けれど確かに、
 私の中で芽生えた、
 私情だった。
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