旦那様、そろそろ離縁のご準備を〜契約結婚三年目、満了日を目前にして旦那様の様子がどこか変です〜
冷たい夜気が、火照った脳をわずかに鎮めてくれる。柱に背を預け、自虐的な溜め息をついたその時だ。
「あなたも、結婚には興味がない口ですの?」
不意にかけられた声に、レイモンドは眉をひそめた。
また、物好きな令嬢か。切り捨てようと冷徹な視線で見下ろした先には、グラスを片手に持った一人の女性が立っている。
見覚えのない女だったが、酔いのせいでわずかに潤んだ彼女の瞳には、自分を「ウィンダム」として崇めるような熱はなく、ただ「同類」を見つけたような親近感だけが宿っていた。
「……まあ、そうだ。その口ぶりだと、君もか?」
なぜそんな問いを返したのか、自分でもわからない。自分を異性と見ずに声をかけてきたであろう目の前の女に、無意識のうちに何かを期待していたのか。
すると、彼女の口から零れたのは、予想以上に潔い本音だった。
「ええ。毎晩のように男性と引き会わされて、正直辟易しておりますの。結婚なんて少しも興味ありませんのに」
――その瞬間、レイモンドの脳内で冷徹な演算が走った。
(……見つけた)
この女だ。この女なら、自分に愛を求めることはない。自分の秘密を暴こうとすることもない。互いに嫌悪し、互いを利用し合う。これ以上ない、最適な取引相手。
この窮屈な状況を打破するための、都合のいい「盾」を見つけたと、レイモンドは確信した。
「君、名前は?」
「ソフィア・ハリントンと申します」
「……ハリントン。名門だな」
ハリントン家ならば、家格も丁度いい。身分違いだ何だと騒ぐ輩もいないだろう。
このチャンスを逃す手はない。
「君は、契約結婚に興味はないか?」
レイモンドはできうる限り真摯的な態度で、彼女に地獄への招待状を差し出した。
白い結婚、後継ぎを作る気もない、形だけの契約。
ソフィアは、その提案に目を輝かせた。あまりにもチョロすぎて心配になるくらいだったが、レイモンドにはどうでもいいことだった。
彼女の目的が金であれ自由であれ、妻として首を差し出してくれるならば、それでいい。
(この女を飼いならし、三年間やり過ごせばいい。簡単だ)
家督を手に入れたら、三年後に離縁する。
人生にこれ以上のノイズが入ることは二度とないだろう。我ながら完璧な計画。
――月の光の下でそんな傲慢な勝利を確信していた当時の自分を、今の自分が見たら、何と滑稽だ、と嗤うだろう。
お前は、この瞬間から、その「都合のいい女」のすべてに狂わされることになるのだと。
あるいは、三年後、離縁を切り出した彼女に対して、なりふり構わず「行かないでくれ」と縋ることになるのだと。
自分のこの選択が、人生そのものを変えることになるとレイモンドが知るのは、まだ、少し先の話である。
Fin.


