推しと清く正しい逢瀬(デート)生活 ーこっそり、隣人推しちゃいますー

近くて遠いお隣さん(6)

「え? 私、何か変なこと言った?」
 蓮の表情に不安が募る。
 しかし、蓮はすぐにいつものすまし顔に戻った。そして、少し意地悪そうにニヤリと笑う。
「ふ〜ん。そっか。Fかぁ。なるほどなぁ」
 なに? その反応。
 蓮の真意がわからず、私は戸惑うしかなかった。
 何かあるのかと蓮を問い詰めようと口を開きかけたその時、開演五分前のブザーが鳴り、場内アナウンスがまもなくの開演を告げる。
 蓮は何事もなかったように前を向いてしまい、私もそれきりその話を蒸し返すことができなかった。
 それまでザワザワとしていた会場内が静かになる。ライブ会場の熱気しか知らない私は、静かな期待という空気に少し緊張を覚えた。お尻をモゾモゾと動かし、なんとなく座り直す。
 そんなことをしているうちに、観客席の照明がゆっくりと落とされていく。暗闇に包まれた会場は、周りの息遣いさえ聞こえないような静寂に包まれた。
 そして、舞台が始まった。幕がゆっくりと上がる。
 私は思わず息を飲んだ。
 成瀬さんだ。
 成瀬さんが一人舞台に立っている。
 だけど、舞台映えするメイクと衣装のせいで、まるで別人のよう。
 彼はただ真っ直ぐ、客席よりもどこか遠くを見つめて立っている。
 真っ暗な空間で、スポットライトが彼だけを照らす。
 ドクン、ドクンと心臓が早鐘を打つ。演者でもないのに緊張する。私は舞台に立つ成瀬さんをただ見つめた。
 やがて、彼がゆっくりと口を開いた。静かな空間に声が響く。その口から紡がれるのは、この舞台の前口上。どうやら成瀬さんはストーリーテラーの役を担っているようだ。
 彼の声が響いた瞬間、会場内の空気が変わった。物語の中に引き込まれる。まるで魔法にかかったように、観客が一瞬で魅了されたのがわかった。
 すごい……。これが、舞台俳優「成瀬陽一」なんだ。
 舞台上の彼は、時に大袈裟に喜び、時に本気で怒り、時に切なく悲しみ、そしてとても楽しそうに歌った。その全てを全身で表現していた。
 舞台上の彼は、成瀬さんが演じているはずなのに、いつしか私は成瀬さんとは違う誰かを見ているような気分になっていた。
 舞台上で歌い、踊り、彼は物語を紡いでいく。
 その様は本当に美しかった。ストーリーを紡ぐ成瀬さんの声は、誰よりも力強く、そして誰よりも繊細だった。
 あんなに大きな声を出していて、喉が枯れてしまわないかしら? のど飴を差し入れた方がいいのかな?
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