氷の法医学者と、秘密の共犯になりました
監察医務院の資料室に入ると、机の上にはすでに紙の資料と端末が並べられていた。
紙のファイル。
電子データの出力。
救急搬送記録。
薬物簡易検査の速報。
そして、白峰メディカルケアから任意提出された、薬剤管理システムの一部ログ。
今どきのクリニックらしく、薬剤管理は紙ではなく電子で行われていた。
訪問ごとの服薬確認。
残薬数。
処方元。
次回補充予定。
記録者。
最終更新者。
画面上では整って見える。
けれど、整いすぎていた。
先生は端末の前に座り、薬剤管理表の更新履歴を開いた。
「一件目、佐伯信夫。死亡二日前に血圧薬の用量変更。最終更新者は白峰院長のアカウント」
「その翌日に、事務長の神崎が確認しています」
「神崎遼。事務長。医療資格は?」
「ありません。ただ、地域連携と薬剤配送の調整を担当しています」
「医療資格のない事務長が、薬剤管理表の内容に確認印を入れている」
「白峰メディカルケアでは、事務側が配送や入力補助をすることがあるそうです」
「補助と判断は違う」
先生の指が、次の記録に移る。
「二件目、小沢千代。訪問看護記録の最終更新が、死亡推定時刻の後になっている」
「入力漏れを後から直した、と説明されました」
「誰が」
「橘美里。訪問看護師で、看護主任も兼ねています」
橘さん。
昨日、白峰メディカルケアで話を聞いた女性。
疲れた顔をしていた。
怯えているようにも見えた。
何かを隠しているようにも見えた。
私はその顔を思い出す。
沢渡先生は、表情を変えないまま続けた。
「三件目、夏目莉子。睡眠導入剤の欄が一度作成され、数時間後に削除されている」
「削除?」
先生は画面を私の方へ少し向けた。
睡眠導入剤の欄に、削除済みの表示がある。
作成者は、管理者アカウント。
削除者も、管理者アカウント。
管理者アカウントを使えるのは、院長、事務長、看護主任。
「白峰院長、神崎事務長、橘看護主任」
私が呟くと、先生はすぐに言った。
「犯人候補ではない。確認対象だ」
「わかっています」
「今、目が犯人を探していた」
「先生、人の目まで鑑定するのやめてください」
「君はわかりやすい」
腹が立つ。
でも、反論しきれない。
私の中ではもう、三人の名前がぐるぐる回り始めていた。
白峰院長。
神崎事務長。
橘看護主任。
次を止めなければ。
その思いが、身体を前に押し出してくる。
「白峰メディカルケアへ行きます」
先生は画面を閉じた。
「行くなら、俺も行く」
「先生が?」
「医療記録の不自然さを確認する。君が勢いで相手の喉元に飛び込む前に止める必要もある」
「それ、同行理由としてひどくないですか」
「合理的だ」
先生は立ち上がった。
「それに」
そこで言葉が止まる。
私は顔を上げた。
「それに?」
先生は一瞬だけ、窓の外へ視線を向けた。
朝の空は鈍い灰色をしていた。
雨が近い。
「……君は、見ていないと危ない」
低い声だった。
私の心臓が、小さく跳ねた。
でも、先生はすぐにいつもの顔に戻った。
「捜査上の意味で、だ」
「言い訳が早いです」
「事実の補足だ」
「はいはい」
「返事は一回でいい」
私は資料を抱え直しながら、なぜか少し笑いそうになった。
冷たい人なのに。
言葉は相変わらず硬いのに。
昨日より、ほんの少しだけ、私のことを見ている。
それがわかってしまう自分にも、困った。
紙のファイル。
電子データの出力。
救急搬送記録。
薬物簡易検査の速報。
そして、白峰メディカルケアから任意提出された、薬剤管理システムの一部ログ。
今どきのクリニックらしく、薬剤管理は紙ではなく電子で行われていた。
訪問ごとの服薬確認。
残薬数。
処方元。
次回補充予定。
記録者。
最終更新者。
画面上では整って見える。
けれど、整いすぎていた。
先生は端末の前に座り、薬剤管理表の更新履歴を開いた。
「一件目、佐伯信夫。死亡二日前に血圧薬の用量変更。最終更新者は白峰院長のアカウント」
「その翌日に、事務長の神崎が確認しています」
「神崎遼。事務長。医療資格は?」
「ありません。ただ、地域連携と薬剤配送の調整を担当しています」
「医療資格のない事務長が、薬剤管理表の内容に確認印を入れている」
「白峰メディカルケアでは、事務側が配送や入力補助をすることがあるそうです」
「補助と判断は違う」
先生の指が、次の記録に移る。
「二件目、小沢千代。訪問看護記録の最終更新が、死亡推定時刻の後になっている」
「入力漏れを後から直した、と説明されました」
「誰が」
「橘美里。訪問看護師で、看護主任も兼ねています」
橘さん。
昨日、白峰メディカルケアで話を聞いた女性。
疲れた顔をしていた。
怯えているようにも見えた。
何かを隠しているようにも見えた。
私はその顔を思い出す。
沢渡先生は、表情を変えないまま続けた。
「三件目、夏目莉子。睡眠導入剤の欄が一度作成され、数時間後に削除されている」
「削除?」
先生は画面を私の方へ少し向けた。
睡眠導入剤の欄に、削除済みの表示がある。
作成者は、管理者アカウント。
削除者も、管理者アカウント。
管理者アカウントを使えるのは、院長、事務長、看護主任。
「白峰院長、神崎事務長、橘看護主任」
私が呟くと、先生はすぐに言った。
「犯人候補ではない。確認対象だ」
「わかっています」
「今、目が犯人を探していた」
「先生、人の目まで鑑定するのやめてください」
「君はわかりやすい」
腹が立つ。
でも、反論しきれない。
私の中ではもう、三人の名前がぐるぐる回り始めていた。
白峰院長。
神崎事務長。
橘看護主任。
次を止めなければ。
その思いが、身体を前に押し出してくる。
「白峰メディカルケアへ行きます」
先生は画面を閉じた。
「行くなら、俺も行く」
「先生が?」
「医療記録の不自然さを確認する。君が勢いで相手の喉元に飛び込む前に止める必要もある」
「それ、同行理由としてひどくないですか」
「合理的だ」
先生は立ち上がった。
「それに」
そこで言葉が止まる。
私は顔を上げた。
「それに?」
先生は一瞬だけ、窓の外へ視線を向けた。
朝の空は鈍い灰色をしていた。
雨が近い。
「……君は、見ていないと危ない」
低い声だった。
私の心臓が、小さく跳ねた。
でも、先生はすぐにいつもの顔に戻った。
「捜査上の意味で、だ」
「言い訳が早いです」
「事実の補足だ」
「はいはい」
「返事は一回でいい」
私は資料を抱え直しながら、なぜか少し笑いそうになった。
冷たい人なのに。
言葉は相変わらず硬いのに。
昨日より、ほんの少しだけ、私のことを見ている。
それがわかってしまう自分にも、困った。