【連載版】愛されない当て馬妻に転生したので、読者として推しの物語を堪能することにした。
 空が夜に衣替えを始める時間帯。
 見上げた空には少し前まで我がモノ顔で居座っていた重い雲の姿はなく、淡いブルーからオレンジ色、そして深みのある赤へと見事なグラデーションを描いていた。

「……寒くないか?」

「ちょっとだけ。でも風が気持ちいいです」

 外に出たい、と伝えたら少しだけ眉間に皺を寄せ渋い顔をした後、クラヴィルが仕方ないなと頷いた。
 ステイシーを気遣うようにゆっくりと手を引き庭園をエスコートするクラヴィル。
 負担をかけたくなくて何度か手を離そうとしたけれどクラヴィルがそれを許してくれなかったので、今回はステイシーが折れることにした。

「どこから、話しましょうか?」

 庭園を散策しながらステイシーはクラヴィルを見上げてそう尋ねる。

「本当に、無理にとは」

「私が、旦那さまにお話したいのです」

 嫌ならはっきり言いますとスパッと切り返すステイシー。その顔には憂いはなくて、どこかスッキリしている。

「今なら何でも答えますよ? 魔力封じの話でも、エルネア家との関係でも。それとも学生時代のティアとの思い出の方がいいです?」

 どれにします? と楽しげに尋ねるステイシーに、

「……ステイシーの夢について、でも?」

 クラヴィルは躊躇いがちにそう返す。

「へ?」

 思いがけない質問にきょとんと首を傾げたステイシーのことをじっと見つめたクラヴィルは、

「ステイシーが寝ている間、ずっと考えていた。魔力封じの紋、別に入れ直さなくてもいいんじゃないかって」

 ステイシーの左腕に視線を送る。

「討伐ではステイシーに随分助けられた。それと同時に君がどれだけ真剣に魔法学と向き合っていたかようやく理解した」

 驚いたようにパチパチと何度も瞬く栗色の瞳に真剣な表情を向けるクラヴィルは、

「学院に復学できる方法もあると聞いた。学生に戻れば公爵夫人として社交の場に出る機会は減るが、俺は元々そんなに夜会にも出ないし調整は効くと思う」

 ステイシーが昏睡している間に調べた内容を口にする。

「結婚してるから、で全部を諦める必要もないんじゃないかと思って。確かに表立って仕事をしている既婚女性は少ないし、上流貴族には好まれないかもしれないが。まぁ、君なら鋼のメンタルと手八丁口八丁で切り抜けるだろうし。正直、魔術師団は危険も多いからあまり無理はして欲しくない……が、契約内容を盾に君の行動を止めたくないとは思っていて。それに、その……魔術師団と騎士団が合同で仕事をする時であれば、君を危険な目に合わせずに済むし。だから、両立は大変かもしれないが、できなくもないわけでっ」

「待って。本当にちょっと待ってください!」

 クラヴィルの両手掴み、待ったをかけたステイシーは、

「私、魔術師団入り目指してません! あと宮廷魔術師も目指してませんから!!」

 一生懸命話していたクラヴィルの長台詞を全面否定した。

「……そう、なの……か?」

 驚いたように濃紺の瞳を見開いたクラヴィルは、

「魔術師を目指していたと聞いたから、てっきりそうなのだと」

 頷くステイシーを見て盛大に空回っていたらしいことを知り、顔を背ける。バツが悪そうな、自身の勘違いを恥じるようなクラヴィルの表情は新鮮で、なんて可愛らしい人だろうかとステイシーはクスクスと笑う。

「……笑うなよ」

 ぼそっと拗ねたような口調でそう言うクラヴィル。

「すみません、バカにしたわけではないんです。真剣に私の将来について旦那さまなりに考えてくださっていたのだと分かって、旦那さまのお気持ちが嬉しくて」

 ありがとうございます、と真っ直ぐこちらを向いている 栗色の瞳と視線が交わるだけでクラヴィルの心は温かくなる。
 じっとステイシーの言葉を待っているクラヴィルに、

「確かに、私は特級魔術師資格の取得を目指してます。でもそれは、エルネア伯爵領で活動するためです」

「エルネア伯爵領で?」

「はい、領地に戻って魔道具師として起業しようと思って」

「……起業?」

 思いがけない内容にクラヴィルは首を傾げる。
 魔法学院出の魔術師のほとんどは魔術師団か宮廷魔術師として王都で活躍しており、特級魔術師ともなれば魔法学を収めた魔術師の中でも数%しかいないエリートだ。
 対して魔道具師は適正があり魔法学をある程度納め初級以上の資格を持つ者なら比較的容易くなれる職。引退した後魔道具師になる者もいると聞くが、魔道具師になるために特級資格を得るなんて聞いたことがない。
 不思議そうな顔をするクラヴィルに、

「エルネアは地方なので、王都ほど魔道具も充実していません。魔道具師がいれば古い魔道具も修繕できるでしょうし、特級資格を持っていれば新しい魔術を作ったり、複数の違った属性の魔力を同時に発動する複雑な魔法の使用も可能なので、インフラ整備も進められますから」

 地方だからこそ特級資格は必要なのだとステイシーは微笑む。

「それが、ステイシーの夢」

「いや、こっちは目標といいますか、結果そうなればって感じで。……夢は、まぁ……別にありまして」

 先程までとは違い、ステイシーにしては珍しく言い淀んだ後、

「……大吟醸」

 ぽそっと消えそうな声でつぶやいた。

「はっ?」

 大吟醸ってなんだっけ? とクラヴィルが思案していると、

「だから! 大吟醸が呑みたいんです!! 東国のお酒。1度試飲させてもらったら、もう、すっごく美味しくて」

 特別にとナチに飲ませてもらった大吟醸。それはステイシーにとって雷に打たれるような衝撃的な出会いだった。
 なんであの瞬間に前世を思い出さなかったのだろう、と今でも不思議に思う。それくらい魂レベルで自分が欲していたアイテムだったと知ったのは、前世を思い出してからだけど。

「そんなわけで、エルネア領で最高の大吟醸を造るのが私の夢なのです」

 そのために特級資格を目指していると言っても過言ではない、とステイシーは夢を語る。

「……酒。魔術師団や宮廷魔術師になって国に仕えるなんて大義のためではなく、君は酒造りのために特級資格を目指している、と?」

 嘘だろ、と驚くクラヴィルに、

「大吟醸、輸入品はすっごく高いんです。でも、領地で作れたら飲み放題じゃないですか!?」

 笑ってもいいですよ!? とやや頬を膨らませ拗ねたような表情を浮かべるステイシー。

「エルネア伯爵領の水と気候は悪くないと思うんです。でも、土が問題でして。ほら、エルネアはワインが名産でしょ? まず材料を育てる土が違いますし、改善するには水と風魔法だけでは無理そうで。ガッツリ温度管理までってなると火属性の使い手を引っ張ってくる大掛かりでかなり複雑な魔術式を入れた装置が必要そうなんですよ。もう、かれこれ6年以上考えてるのに全然最適解が出せなくて」

 くっ、と拳を握りしめ本気で悔しそうな様子から、本気で酒造りのために特級資格を目指しているらしいとクラヴィルは察する。
 純度100%で自分のため。だが、それがなんだかステイシーらしくて。

「……っふ、ははっ……それはまた大層な夢だ。が、6年前って早すぎだろ。飲酒は18才を過ぎてからだぞ」

 魔術師団にいる姿よりずっとしっくりくる。

「……そこは見逃してください」

 クラヴィルの指摘にバツの悪そうな表情をするステイシー。

「まぁ、確かにエルネアのワインは美味しかったし、その地で君が絶賛する大吟醸ができたら美味いのだろうな。その時は是非とも一杯いただきたいものだ」

 口止め料として、とクラヴィルは人差し指を唇に当てニヤリと笑う。

「分かりました。最高の一杯をお約束します」

 降参、とオーバーリアクションで両手をあげたステイシーと同時に吹き出すように笑い合う。
 きっとステイシーなら目を輝かせて、わくわくと楽しそうに挑み、そしていつか叶えるのだろう。そんな未来を見てみたい、とクラヴィルは素直にそう思った。

「まぁ、私の夢はそんな感じなのですが。エルネア伯爵家の役に立ちたい。それが私の一番です」

 ひとしきり笑ったあと、ステイシーは迷うことなくそう言った。

『あの子、エルネア家に多大な恩を感じててさ。エルネア家のためなら簡単に全部手放しちゃうから』

 離縁を勧められた日、ナチは確かにそう言った。
 エルネア伯爵家を救うために、あんな碌でもない条件を出す相手との結婚のために魔力封じの紋を入れる選択をしてしまうくらい、ステイシーにとってエルネア伯爵家の存在は大きい。
 王命だし、結婚自体は断りようがなかったのだとしても学院に残るための交渉の余地はあっただろうと思いかけ、クラヴィルは内心で首を振る。
 あの時の自分は、きっと相手の事情を考慮なんかしなかった。
 もし、婚姻成立前に少しでもステイシーが自分のための希望を口にしていたのなら、"煩わせた"とか"条件を呑む気がないようだ"とか、難癖をつけ結婚を取り止めるよう働きかけたに違いない。
 それが分かっていたから、ステイシーは一切の事情を伏せたのだ。王命を遂行できなかったとエルネア伯爵家が不利になることがないように。

「この結婚が長く持たないことはじめから分かっていました。白い結婚なんて、せいぜい3年。その間にあなたに相応しい、本来この場所にいるべき相手を見つければいい。そうして、旦那さまと離縁したのち、学院に復帰しようと思って準備をしていました」

 ステイシーは静かに告白を続ける。
 離縁、という言葉に苦い気持ちが込み上げて、クラヴィルは奥歯を噛み締める。
 それは初めて聞いた言葉ではない。ステイシーの語る未来には初めから自分がいなかった。そして、いつからかそれをただ悲しいと思う自分がいることにもクラヴィルは気づいていた。

「もう、ご存知かもしれませんが、私はエルネア伯爵家の血を一滴も引いておりません。本来なら、旦那さまに嫁ぐどころか公爵位をお持ちのあなた様のご尊顔を拝することもこうして言葉を交わすことすら許されない身の上なのです」

『保護した時は、結構ひどい有様でさ。感情すべてを削ぎ落としたような子どもらしくない子で、魔術式を書く時以外は話すことすらできない状態だった』

 ナチから聞いたそれは今までステイシーにキッパリと引かれていた、彼女の内側の話。

「それでも、私の話を聞いてくださいますか?」

 選択をクラヴィルに委ねたステイシーの目にはいつものように揶揄うような色はなく、何処か不安げで。
 家を出たステイシーと再開した夜のことをクラヴィルに思い出させた。

「俺は別に伯爵令嬢と結婚したかったわけじゃない」

 なんなら誰とも結婚する気がなかった、はずなのに。

「旦那……さま?」

 彼女と過ごすうち、結婚したのがステイシーで良かったと何度思ったことかとこちらを見返す綺麗な栗色の瞳を見ながらクラヴィルは思う。
 ステイシーがいつも寄り添ってくれたように彼女を安心させてあげたくて、クラヴィルはたどたどしい手つきでステイシーの髪をそっと撫でる。

「たとえ、ステイシーがエルネア伯爵家の人達と血の繋がりがなかったとしても、君にとってエルネア伯爵家の人たちが大事な家族であることに変わりはないだろ?」

 優しい口調でそう聞かれ、こくりと頷いたステイシーに、

「それと一緒で、君が何者であったとしても、今の君は俺の妻で、俺にとってステイシーはステイシーだから」

 何も変わらない、とクラヴィルは素直に自身の気持ちを伝える。

「話を聞かせてもらえないか?」

 そう言った濃紺の瞳を見ながら、

「はい。私も旦那さま……クラヴィル様に聞いていただきたいです」

 肯定するように繋いでいた手に少しだけ力を込めて、ステイシーはクラヴィルの名を口にする。
 ステイシーから初めて面と向かって名を呼ばれたクラヴィルは、頑なに作られていた見えない壁が全て取り払われた気がした。
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