MR(医薬情報担当者)だって恋します!
同じ苗字の同期
「おはようございます! 千薬製薬です!」
朝8時。医局棟のエレベーターホールで、私は忙しそうに行き交うドクターたちに声をかける。
MR(医薬情報担当者)に頭を下げてくれるドクターは稀だ。私が女であるから興味本位で一度見るだけ。
最初は、女であることで、私を千薬製薬のMRだと覚えてくれることが嬉しかった。でも、今は苦痛だ。
「千薬さんだ。今日も地味だなあ。せっかく女なんだから、もう少し明るいメイクしたらいいのに。アイメイクだってしたら変わるよ?」
声をかけられてもこんな調子。薬の話がしたいのに。
「考えてみます。今日もエクサシールの処方、よろしくお願いします!」
「メイク変えたらこっちも考えようかな〜」
肩下まである黒髪を後ろで一つに束ね、眉を描いて明るめのベージュ系の口紅を塗っただけの私は、確かに地味だと思う。
美人でもないし、華やかなメイクは似合わない気がする。何より朝早くから営業しなくてはならないので、寝る時間が惜しい。
「はあ」
小さなため息が出た。
「ため息、聞こえたぞ。幸せが逃げるっていうよ」
スラリと背の高い男性が、私の隣に立って言った。
確か彼は、アオハナ社の……。
「えっと、鈴木君、でしたよね」
チームリーダーの今野さんが唯一親しくしているのが、競合品のないアオハナ社だった。そのアオハナ社の新人の鈴木司君。名刺交換を先日したばかりだった。
「そう鈴木。苗字同じだから覚えやすくて良かったな」
中性的な綺麗な顔の鈴木君は、罪作りな笑顔で警戒心を溶かしてしまう。
「今年、大学病院に配属された新人って俺たちだけなんだってさ。同期なんだから、敬語やめない?」
「ええと、そうですね」
「いや、だからそれ!」
「ご、ごめん。努力するね。私そろそろ今野さんのところに行かなきゃ」
ひらひらと手を振る鈴木君を残して、私は今野さんと待ち合わせしているタワー駐車場に急いだ。
大学病院の他のMRは年上ばかり。その中で、鈴木君の顔を見るとなんだかほっとしている自分がいた。
***
一つに縛った髪をぐいと引かれて私は後ろを振り返った。もう慣れっこになっている。
「すーずーきー君! 引っ張るなって何回言えば分かるの?」
「引っ張ってって言ってるような髪なんだもんな。それから君付けいらないって言ってるじゃん」
「もう、普通に声かけてよね」
ドクター専用駐車場には営業職のMRは停められないので、一般駐車場に車を停めるのだが、そこから病院までは歩いて十分ほどかかる。ちょうど病院まで歩いている時だった。
「なに? 人のことジロジロ見て」
「身長159センチ。Eカップ」
鈴木君の言葉に私は顔が熱くなるのを感じた。目を白黒させて、
「な! 何、なんでそんなこと鈴木君が知ってるの?」
と抗議する。
「本当なんだ? 高田先生に話した?」
高田先生。胃腸内科のドクターで、ドクターの中では気さくな方でよく喋りかけてくる。昨日も医局に二人の時に話しかけられ、私の身長と胸のサイズを聞いてこられた。聞いてどうするんだろうと呆れながらも正直に答えてしまったのだ。
「皆に広まってるよ? 鈴木、意外といい体だってさ」
「高田先生! 酷い! 鈴木君もさ、そんな変なこと覚えないで薬の勉強しなさいよ!」
私は鈴木君の視線から体を隠すようにして言った。
「女のMRって大変だね。自分の体のサイズまで言わなきゃいけないの?」
「そんなことないけどっ」
私は自分の軽率さを恨んだ。あまりドクターを信用しすぎてはならない。この時私はそう強く思ったのだが。
***
「先生、処方どうですか? 必要としてる患者さんいますか?」
エレベーターから出てきた腎臓内科だったはずのドクターに声をかける。珍しく歩く速度を落としてくれたので、私は嬉しくなって医局までの廊下をついていった。
「んー、いるはいるよ」
「処方、お願いします、先生。弊社の薬は糖尿病性腎症の患者さんのQOLを改善するエビデンスがあります」
頭を下げてお願いしたときだった。
「処方したら鈴木さんは何してくれんの?」
え? と思った。
「……薬の新しい資料などをたくさん持ってきます」
私は無理やり笑顔を作ってそう言った。
「そういうことじゃなくて、だねえ」
嫌な目だ。女を値踏みするような。
さっき鈴木君がエレベーターホールにいたはず。聞こえてると嫌だな。
「鈴木さん?」
手を取られて私はびくりとした。
「そんなに驚かないでよ~。手を握っただけじゃん〜」
その直後だった。
「鈴木さん! 今野さんが呼んでたよ!」
頭の上から声がして、ドクターは慌てて私から手を離した。
「す、すみません。失礼します」
ドクターに深々とお辞儀をしていると、その私の腕を鈴木君が掴んだ。
「ちょっと、何? 今野さんどこ?」
鈴木君は黙ったまま腕を離さずに階段を下りだした。
「鈴木君、何なの? 放して」
「本当は今野さん、呼んでなんかいない」
「じゃあどうして?」
私は訳が分からず鈴木君から逃れようと腕を振る。
「話は後。もう十時過ぎてるし、一度会社にもどんなよ。先生たちもほとんどいないよ」
「わかったから手を離してよ」
私たちは無言のまま病院を出て、駐車場まで歩いた。
「あんな営業、おかしくない? 先生だからセクハラも許すの? それが処方のとり方?」
「あんな営業って何? セクハラなんて毎回のことだよ。女のMRってだけでなめられてるんだからさ。男の鈴木君にはわからないよ」
「……あんまり人がいない時に一人で営業しない方がいいんじゃないの?」
鈴木君が前を向いたまま言った。声がいつもより低い。なんだか機嫌が悪いのだろうか。
「他のMRがいない時がチャンスなのに?」
鈴木君は私の言葉に、私の方を向いた。眉間にしわが寄っていた。
「それ、わざと?」
「何が?」
急に話題を変えられて私はついていけない。
「見えそう」
「何が?」
「……谷間」
鈴木君は言いにくそうに言った。私は反射的に残された手で襟を寄せた。
「ど、どこ見てんの!」
「それでお辞儀するんでしょ? 見えるんじゃない?」
私は鈴木君の手を振り払うと、狼狽えながらシャツのボタンを一つとめた。窮屈なのもあるし、同期の女子も二つボタンを外していてそれがこなれた感じでいいなと思って真似してみたのだ。
「鈴木って基本女の自覚がないよね。危ないよ?」
私は鈴木君の言っている意味が分からなくて、彼を睨んだ。
「それとも分かってて処方とるためにそんなことしてるの?」
私は鈴木君の言葉に頭を殴られたようなショックを受けた。思わず涙目になる。
「そんなわけないじゃん! 酷いよ!」
鈴木君は困ったように私を見下ろした。
「私だって好きで女なわけじゃない!」
「なんでそんな風に思うの?」
「鈴木君にはわからないよ! 同じ名前、同期なのに、鈴木君は先生と個人的に仲良くなって。処方も出るよね! 私だって一生懸命やってるのに!」
最近気になっていることだった。思わず口にしてしまった。鈴木君は澄んだ目で私を見つめた。
「一生懸命やってるならいいじゃん。あんたはあんたで、俺は俺。あんたも仲いい先生、最近いるじゃん。それは鈴木が頑張ってるからでしょ? 男も女も関係ない」
鈴木君の言葉に私は彼の目をただただ見返した。
「でも、鈴木君が言いだしたことでしょ? 女って」
「それは、女なのには変わりないんだから、少しは自分を大事にしなってことで」
「は?」
「先生も男だし、俺も男だし」
「意味が分からないんだけど」
「ま、気をつけなってこと」
ふいと鈴木君が目を反らした。
「もしかして心配してくれてるの?」
私の言葉に、鈴木君は瞳をうろうろさせて、頬を長い人差し指で掻いた。
「まあ、一応女だからね」
「……それは、どうも」
私たちはしばらく無言で駐車場の中を歩いた。
「今野さんは?」
「十時半に今野さんの車の前で待ち合わせしてる」
「一人で大丈夫?」
「だ、大丈夫だけど?」
「ならいい。じゃあ、また」
鈴木君は言って自分の車の方へ歩いて行った。私は複雑な気持ちで一人、今野さんを待った。
朝8時。医局棟のエレベーターホールで、私は忙しそうに行き交うドクターたちに声をかける。
MR(医薬情報担当者)に頭を下げてくれるドクターは稀だ。私が女であるから興味本位で一度見るだけ。
最初は、女であることで、私を千薬製薬のMRだと覚えてくれることが嬉しかった。でも、今は苦痛だ。
「千薬さんだ。今日も地味だなあ。せっかく女なんだから、もう少し明るいメイクしたらいいのに。アイメイクだってしたら変わるよ?」
声をかけられてもこんな調子。薬の話がしたいのに。
「考えてみます。今日もエクサシールの処方、よろしくお願いします!」
「メイク変えたらこっちも考えようかな〜」
肩下まである黒髪を後ろで一つに束ね、眉を描いて明るめのベージュ系の口紅を塗っただけの私は、確かに地味だと思う。
美人でもないし、華やかなメイクは似合わない気がする。何より朝早くから営業しなくてはならないので、寝る時間が惜しい。
「はあ」
小さなため息が出た。
「ため息、聞こえたぞ。幸せが逃げるっていうよ」
スラリと背の高い男性が、私の隣に立って言った。
確か彼は、アオハナ社の……。
「えっと、鈴木君、でしたよね」
チームリーダーの今野さんが唯一親しくしているのが、競合品のないアオハナ社だった。そのアオハナ社の新人の鈴木司君。名刺交換を先日したばかりだった。
「そう鈴木。苗字同じだから覚えやすくて良かったな」
中性的な綺麗な顔の鈴木君は、罪作りな笑顔で警戒心を溶かしてしまう。
「今年、大学病院に配属された新人って俺たちだけなんだってさ。同期なんだから、敬語やめない?」
「ええと、そうですね」
「いや、だからそれ!」
「ご、ごめん。努力するね。私そろそろ今野さんのところに行かなきゃ」
ひらひらと手を振る鈴木君を残して、私は今野さんと待ち合わせしているタワー駐車場に急いだ。
大学病院の他のMRは年上ばかり。その中で、鈴木君の顔を見るとなんだかほっとしている自分がいた。
***
一つに縛った髪をぐいと引かれて私は後ろを振り返った。もう慣れっこになっている。
「すーずーきー君! 引っ張るなって何回言えば分かるの?」
「引っ張ってって言ってるような髪なんだもんな。それから君付けいらないって言ってるじゃん」
「もう、普通に声かけてよね」
ドクター専用駐車場には営業職のMRは停められないので、一般駐車場に車を停めるのだが、そこから病院までは歩いて十分ほどかかる。ちょうど病院まで歩いている時だった。
「なに? 人のことジロジロ見て」
「身長159センチ。Eカップ」
鈴木君の言葉に私は顔が熱くなるのを感じた。目を白黒させて、
「な! 何、なんでそんなこと鈴木君が知ってるの?」
と抗議する。
「本当なんだ? 高田先生に話した?」
高田先生。胃腸内科のドクターで、ドクターの中では気さくな方でよく喋りかけてくる。昨日も医局に二人の時に話しかけられ、私の身長と胸のサイズを聞いてこられた。聞いてどうするんだろうと呆れながらも正直に答えてしまったのだ。
「皆に広まってるよ? 鈴木、意外といい体だってさ」
「高田先生! 酷い! 鈴木君もさ、そんな変なこと覚えないで薬の勉強しなさいよ!」
私は鈴木君の視線から体を隠すようにして言った。
「女のMRって大変だね。自分の体のサイズまで言わなきゃいけないの?」
「そんなことないけどっ」
私は自分の軽率さを恨んだ。あまりドクターを信用しすぎてはならない。この時私はそう強く思ったのだが。
***
「先生、処方どうですか? 必要としてる患者さんいますか?」
エレベーターから出てきた腎臓内科だったはずのドクターに声をかける。珍しく歩く速度を落としてくれたので、私は嬉しくなって医局までの廊下をついていった。
「んー、いるはいるよ」
「処方、お願いします、先生。弊社の薬は糖尿病性腎症の患者さんのQOLを改善するエビデンスがあります」
頭を下げてお願いしたときだった。
「処方したら鈴木さんは何してくれんの?」
え? と思った。
「……薬の新しい資料などをたくさん持ってきます」
私は無理やり笑顔を作ってそう言った。
「そういうことじゃなくて、だねえ」
嫌な目だ。女を値踏みするような。
さっき鈴木君がエレベーターホールにいたはず。聞こえてると嫌だな。
「鈴木さん?」
手を取られて私はびくりとした。
「そんなに驚かないでよ~。手を握っただけじゃん〜」
その直後だった。
「鈴木さん! 今野さんが呼んでたよ!」
頭の上から声がして、ドクターは慌てて私から手を離した。
「す、すみません。失礼します」
ドクターに深々とお辞儀をしていると、その私の腕を鈴木君が掴んだ。
「ちょっと、何? 今野さんどこ?」
鈴木君は黙ったまま腕を離さずに階段を下りだした。
「鈴木君、何なの? 放して」
「本当は今野さん、呼んでなんかいない」
「じゃあどうして?」
私は訳が分からず鈴木君から逃れようと腕を振る。
「話は後。もう十時過ぎてるし、一度会社にもどんなよ。先生たちもほとんどいないよ」
「わかったから手を離してよ」
私たちは無言のまま病院を出て、駐車場まで歩いた。
「あんな営業、おかしくない? 先生だからセクハラも許すの? それが処方のとり方?」
「あんな営業って何? セクハラなんて毎回のことだよ。女のMRってだけでなめられてるんだからさ。男の鈴木君にはわからないよ」
「……あんまり人がいない時に一人で営業しない方がいいんじゃないの?」
鈴木君が前を向いたまま言った。声がいつもより低い。なんだか機嫌が悪いのだろうか。
「他のMRがいない時がチャンスなのに?」
鈴木君は私の言葉に、私の方を向いた。眉間にしわが寄っていた。
「それ、わざと?」
「何が?」
急に話題を変えられて私はついていけない。
「見えそう」
「何が?」
「……谷間」
鈴木君は言いにくそうに言った。私は反射的に残された手で襟を寄せた。
「ど、どこ見てんの!」
「それでお辞儀するんでしょ? 見えるんじゃない?」
私は鈴木君の手を振り払うと、狼狽えながらシャツのボタンを一つとめた。窮屈なのもあるし、同期の女子も二つボタンを外していてそれがこなれた感じでいいなと思って真似してみたのだ。
「鈴木って基本女の自覚がないよね。危ないよ?」
私は鈴木君の言っている意味が分からなくて、彼を睨んだ。
「それとも分かってて処方とるためにそんなことしてるの?」
私は鈴木君の言葉に頭を殴られたようなショックを受けた。思わず涙目になる。
「そんなわけないじゃん! 酷いよ!」
鈴木君は困ったように私を見下ろした。
「私だって好きで女なわけじゃない!」
「なんでそんな風に思うの?」
「鈴木君にはわからないよ! 同じ名前、同期なのに、鈴木君は先生と個人的に仲良くなって。処方も出るよね! 私だって一生懸命やってるのに!」
最近気になっていることだった。思わず口にしてしまった。鈴木君は澄んだ目で私を見つめた。
「一生懸命やってるならいいじゃん。あんたはあんたで、俺は俺。あんたも仲いい先生、最近いるじゃん。それは鈴木が頑張ってるからでしょ? 男も女も関係ない」
鈴木君の言葉に私は彼の目をただただ見返した。
「でも、鈴木君が言いだしたことでしょ? 女って」
「それは、女なのには変わりないんだから、少しは自分を大事にしなってことで」
「は?」
「先生も男だし、俺も男だし」
「意味が分からないんだけど」
「ま、気をつけなってこと」
ふいと鈴木君が目を反らした。
「もしかして心配してくれてるの?」
私の言葉に、鈴木君は瞳をうろうろさせて、頬を長い人差し指で掻いた。
「まあ、一応女だからね」
「……それは、どうも」
私たちはしばらく無言で駐車場の中を歩いた。
「今野さんは?」
「十時半に今野さんの車の前で待ち合わせしてる」
「一人で大丈夫?」
「だ、大丈夫だけど?」
「ならいい。じゃあ、また」
鈴木君は言って自分の車の方へ歩いて行った。私は複雑な気持ちで一人、今野さんを待った。