MR(医薬情報担当者)だって恋します!

新たな出会い

 車の運転は苦手。とくに駐車が下手だ。 
 配属されてすぐは今野さんの車で一緒に回っていたけれど、一人で回るようになってから営業前の運転にも苦労していた。

 大学病院のタワー駐車場で、出すにも入れるにも自分でできない状況になり、私は少しドアを開けてそこからなんとか車を降りたものの、困り果てていた。

 誰か来るのを待つしかない。もし来なかったら今野さんに電話しよう。

 私が営業車の前でため息をついていると。
 
 あ!

 右から入ってくる車の運転手の顔を見て、私は助かったと思った。鈴木君だった。私には気づいてない。
 私は手を広げて鈴木君の車の前に出た。慌ててブレーキを踏む鈴木君。

「ば、ばかじゃないの?! 何してんだよ!」

 窓を開けて鈴木君が珍しく大きな声を出した。

「ごめん、駐車失敗しちゃって、どうしようもないんだ! 手伝って!」
「はあ、危なすぎるよ、信じらんない」
「ごめん」

 鈴木君は自分の車を停めてくると、私の車を見てため息をついた。

「どうやったらこうなるわけ?」
「さ、さあ?」
「俺も駐車得意ではないんだよね」

 と言いながらも私の車の運転席に座る。

「ちょっと危ないからそこどいてて」
「うん、ごめん」

 鈴木君は何度か切りなおすと車を駐車場に入れてくれた。

「ありがとう! すごく助かった!」
「そうだ。助けたんだから、君付けはなしね。まったく、LINEすればよかったのに。手を広げて前に出てくるなんて、馬鹿だよ」
「だって、LINE知らないし」

 私の言葉に鈴木君は、

「そうだったっけ? ん、スマホかして」

 と手を出した。

「え? はい」
「はい、入れといた。ところで鈴木さ、いい香りがいつもするよね。しかも毎日違う香りじゃない?」

 香水のことを気付かれて私は驚いた。

「え? ああ、香水好きなんだ。気分によって毎日変えてるの。香りきついかな? 香害になってる?」
「大丈夫。臭かったら臭いって言うよ」
「お願い」

 私たちは並んで駐車場から出ると歩き出した。

「最近はどうなの? 営業」

 鈴木君の言葉に、

「うーん。呼吸器内科の先生方に苦労してるよ」
 と私は答えた。

「癖が強い先生多いからね、あの科」
「でも、鈴木く、じゃなくて、鈴木、は可愛がってもらってるみたいじゃん」

 ちょっと嫉妬の混じった声になってしまった。

「まあ、一緒に野球観戦したり、ゴルフしたりはしてるからね。少しずつ仲良くはなってるよ」
「いいな~。外来持ってて喘息患者の多い、竹部先生と塩屋先生とが一番うまくいってなくって、ほんと困ってるんだ」
「あの二人ね。千薬さんって喘息薬も持ってたんだ? 大変だね」

 鈴木が苦笑いを浮かべて言う。

「でも、こないだ鈴木が呼吸器内科で説明会してたとき、教授から拍手もらってたよね? あれ、他のMRもびっくりしてたよ」

 鈴木から言われて私は驚いた。

「そうなの? でも、あれは高血圧の薬だったんだけどね」
「なかなか教授から拍手なんてもらえないって」
「私が女だし、若いからたぶんお情けで拍手してくれたんだよ」

 私と同い年ぐらいの娘さんがいるのかもしれない。

「また、女だからってそこで言うんだ? 俺はすごいことだと思うけどね」
「でもそのときも塩屋先生いなかったよ」
「説明会、わざと出ない先生いるよね」
「せっかく弁当も用意してるのにそれだけ持っていかれると悲しくなる」
「だね」

 病院が近づいてきて、私たちは会話をやめた。

「それじゃ、本当に駐車ありがと」
「うん。じゃ、午後もなんとか頑張ろうな」

 病院の前でそう言葉を交わすと、それぞれの目的の場所へと移動した。鈴木と営業の前に会話することで緊張がほぐれたのか、いつもよりドクターに自分から話しかけることができた。

***

「おはようございます」

 朝イチの営業を終えて支店に入ると、同期の女子たちはほとんどデスクに着いて事務作業をしていた。
 彼女たちは皆綺麗にメイクをしているし、爪も整えてマニキュアをしている。お洒落なスーツを着ていて靴もヒールのあるパンプスだ。彼女たちと自分を比べてみるとはっきり分かる。支店の女子MRの中でも私は地味でどこか浮いていた。

 千薬製薬会社は女子のMRが多い会社だ。研修が始まるまで知らなかった。 
 女子の集団が苦手な私は、また失敗したかなとそのとき思った。
 私のこれまでの人生は浪人を始め、失敗が多かったから。
 一番の失敗はあの家に生まれたことだと思っている。
 だから、MRの中でも最もきつい大学病院担当になってしまったけれど、配属で家を出られたのは唯一の幸運だと思っていた。

 同期の中で浮いていても平気。そう自分に言い聞かせて、毎日仕事にのめり込むしかなかった。


***


「鈴木さん」

 呼吸器内科の事務員の田沼さんから呼ばれて、偶然一緒にいた私と鈴木は、

「はい」

 と同時に返事をした。そしてお互い顔を見合わせる。

「あ、アオハナさんの鈴木さんです」

 鈴木が一度私を見て、呼吸器内科の医局に入っていく。
 なんだ、私じゃなかった。
 私は最近こういうこと多いな、と思いながらエレベーターホールでドクターたちを待つ。
 私の実力がないからというのはもちろんある。でも、やっぱり男女の差を感じてしまうのだった。大学のドクターたちは自分より年下で女の私から薬の情報を好んで聞くことは少ない。
 鈴木が戻ってきた。

「わりぃな、俺で」
「別に、鈴木が謝ることじゃないし」

 そう答えながらも、なんとなく仏頂面になってしまう。

「ふ、変な顔」
「うるさいよ」

 そんなやり取りをしている私たちを見ていた他社のMRが、笑いをかみ殺していた。

「鈴木さんたちって仲がいいよね」

 一人のMRに言われて、私と鈴木は顔を見合わせた。

「そうですかね」

 私の返事に、

「新人同士というのもあるだろうけど、仲いいよ。見てて微笑ましいね」

と言われた。
 なんだか恥ずかしくなる。鈴木をちらりと盗み見ると鈴木はやや困った顔をしていた。

「苗字も同じだし、結婚しちゃうのもありかもね?」

 悪乗りしたもう一人のMRの言葉に私は苦笑し、鈴木は控えめに、

「俺、一応彼女いますから」

 と言った。

「え? そうなの? 振られちゃったね鈴木さん」

 話を振ってきたMRがやや気まずそうに言った。私はあいまいに微笑む。別に鈴木とは同期なだけでなんでもないのに、こんな言われ方をするとなんだか悔しい。

「鈴木は彼氏いないの?」

 鈴木が私に訊いてきた。

「いない。っていうかいたことない」

 私の言葉にその場にいたMRが一斉に私を見た。そして、なんとなく納得するような顔をした。自分が地味なのはわかっているけれど、こんな反応をされるとさすがに傷つく。ここまで正直に言う必要はなかった、と少し後悔。

「……ふーん」

 鈴木も訊くんじゃなかったと気まずそうだ。

「あ、でも、千薬さんの前のMRさんみたいにここのドクターと結婚するという手もあるよね? もしかして、鈴木さんもそれを狙っているとか?」

 話が段々ややこしくなってきた。医局になかなかドクターが戻ってこないので暇を持て余しているMRたちの格好の餌食になっているのは明らかだ。

「いえ、私はそんなことは考えたことありません」

 私はちらっとスマートフォンを取り出した。時間を見る。呼吸器内科のドクターに用事はあるけれど、まだ当分現れそうにない。この場にいるのが苦痛になってきた私は、

「今野さんが呼んでますので」

 と嘘をついて階段へ向かった。
 それにしても。前任のMRが結婚退職だとは聞いていたけれど。まさか営業先のドクターと結婚だったなんて。ちょっと驚きだった。


***


 大学病院での営業は、医局のある廊下から伸びた先のエレベーターホールで、ひたすらドクターが通るのを待つ時間が長い。ドクターがうろうろしている時間帯にはエレベーターを使うのも憚られるため、10階まである医局棟の階段を上り下りしては、エレベーターホールで待つの繰り返し。

「鈴木さん、じゃあまたあとでね」

 今野さんが手を上げて去っていく。
 アラフォーの今野さんは、お腹周りが少し大きいけれど、軽快なフットワークで階段を上がっていった。

 今野さんは大学でも強いと評判のMRだ。
 目当てのドクターが通ると、さっと近づいてドクターの足並みに合わせて営業をする。今野さんが声をかけた場合は大概のドクターは話を聞いてくれる。でも、足を止めることはまれだ。病院のMRの営業はそれが当たり前。
 それでもその短時間で今野さんは必要な営業をしているからすごい。

 MRの営業は特殊だと思う。
 ドクターたちはMRを同じ人間と思っていないと感じるときがある。
 見下すような目で見られたり無視されたりすると心が騒つく。
 よく母がそんな目をして私を見ていたのを、思い出すのだ。
 就職活動で思うような結果が得られず自信をなくしていたとき、母は私に言った。

「就職すらできないの? ほんとあんたは落ちこぼれね。まあ、分かるけどね。私が社長ならあんたみたいな子雇わないもの」

 最も傷ついた言葉だった。


***


「なんだ、景気が悪い顔だな」
 
 嫌なことを思い出して、凹みながらドクター専用駐車場を横切って歩いているときだ。突然声をかけられた。

「橘先生」

 呼吸器内科の橘先生が煙草を吸っていた。

「名前を覚えているのは感心だな」

 坂口憲二似の橘先生が笑うとなんだか豪快で清々しい感じがする。
 私はふと橘先生が寄りかかっている車に目を止めた。黒のノアのトランクには大きなラブラドールレトリバーが描かれていた。

「先生犬を飼っていらっしゃるのですか?」
「ああ。この犬」
「ラブラドールレトリバーですね」

 私の言葉に橘先生の目が柔らかくなった。

「ああ。犬好きなのか?」
「好きです」
「そうか」

 橘先生が吐き出す煙草の煙がゆっくり空へと上がる。

「先生、煙草吸われるんですね」
「まあな。それで禁煙外来してる科ってのもなんだが」
「ほどほどにされてください。身体壊したら大変ですよ」

 言ってから、しまったと思った。また失敗した。MRにこんなこと言われていい気がするわけない。

「は、はは。お前変わってるな。千薬の鈴木さんだったか?」

 橘先生は気に障った様子もなくあっけらかんと笑った。

「すみません」
「ま、ストレスが多いから仕方ない。ストレスか煙草か。どちらをとるかだな。俺は煙草に逃げてるだけだ」
「そうなんですね」

 神妙な顔をした私に、また橘先生は笑った。

「お前さんもこんなところでくっちゃべってないで、営業行け。今野さんに怒られるぞ」
「は、はい。すみませんでした。行ってきます」
「おう」

 ただそれだけだった。けれど、医局長の橘先生とこんなに話したのは初めてだった。
 橘先生の印象がかなり変わった。どこか怖い印象があったけれど、気さくな一面もあるんだと思った。

    

    

    

    
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