八年越しの初恋、回収します。〜私のトリコになった部下に、八年前から溺愛されています〜



朝倉くんが、してやったりという顔でペンを握らせてきた。

「なっ!」

私をその気にさせておいて、先に婚姻届へ署名を書かせるわけ?
なんてずるいやり方!

だけど、目の前に突きつけられたこの用紙を見た瞬間、私は彼と相談しなければならないことを思い出していた。

それは、結婚前に朝倉家へ正式な挨拶を済ませること。
このまま彼の思惑どおりに進む前に、きちんと膝を突き合わせて話をしなければならない。

なのに、朝倉くんは意地悪なことを仕掛けてくる。

「続き、したいですよね?」

そう囁くと、ブラの下に手を差し入れ、敏感なところを刺激し始めた。

(な、なんて卑怯な!)

指先が緩急をつけて動くたびに、身体から力が抜けていく。
膝が震えて崩れそうになり、私はキッチンの縁を必死につかんだ。

「あっ……」

思わず声が漏れる。

(そっちがそうなら……こっちは、あなたの気持ちを萎えさせるまでよ!)

私はなんとか平静を装いながら、彼を見上げた。

「ほら、早く書いてください。続きしたいですよね?」

私を見下ろす朝倉くんの目には、明らかな色気が浮かんでいる。
悔しいけれど、その顔さえ魅力的だと思ってしまう。

「朝倉くん……ずるい人。あなたって……」

この人には、何をされても勝てない。

そう思わせるほどの強引さと、私を求めてくる真っ直ぐさがある。

そういうところが──


「美麗さんにそっくりね」

「…………………………」


朝倉くんの指が、ぴたりと止まった。
そして、Tシャツの中に入っていた手が、するりと抜けていく。

「……瞳子さん。なぜ母の名前を知っているんですか?」

先ほどまで漂っていた色気が、一瞬で消えた。
朝倉くんはむすっとした表情になっている。

私はめくれていたTシャツを直し、羽織っていたカーディガンの前を整えてから、彼に振り返った。

「美麗さん直々、私に会いに来たからよ。今、私は彼女の顧客担当なの」

最初は呆然としていた朝倉くんだった。
けれど、少しずつ眉間に皺が寄っていく。

「……は、母が瞳子さんに会いに来たんですか⁈」

「そうよ。朝倉くんのお母さまは、やり手の経営者なのね。知らなかったわ」

「な、なぜ言わなかったんですかっ!」

珍しく、彼が本気で怒っている。

やはり、美麗さんと朝倉くんの間に確執があるのは確かなようだった。

「今、伝えたじゃないの」

「愛し合っている最中に母親の名前を出すのはナンセンスッ! 萎えてしまいました!」

そう言って、彼は顔をぷいっと背けた。
それでも私は、話を逸らすつもりはなかった。

「それでいいの。私たちには、話し合わないといけないことがあるもの!」

「何をいまさら話し合うことがありますか?」

朝倉くんは腕を組み、私のほうを見ようとしない。

「籍を入れる前に、きちんと朝倉家に挨拶に行こう。筋は通すべきよ」

すると、彼はムッとした顔で私に向き直った。

「結婚したら報告するつもりでした。それでいいではないですか!」

私は首を横に振った。

「私が嫌なの。あなたのご家族にも納得してもらった上で、結婚したい」

「あの人はやっかいな人です! きっと僕たちの邪魔をしますよっ」

「それでも、あなたの母親なのよ。事前に自分の口から結婚の報告はすべきだと思う。そうでなければ、私は婚姻届に署名はしない」

そう告げて、私は踵を返した。
リビングへ戻りながらも、胸の中には複雑な思いが残っていた。

私だって、彼と母親の仲を取り持つつもりはない。
昔はどれほど嫌いだと思っていても、年月を重ねれば、人は変わることもある。

朝倉くんは、今の母親にもう少し関心を寄せてもいいと思う。

美麗さんは強烈な方だった。
朝倉家と私の家柄が釣り合わないから、私との結婚に反対している。

でも──。

(理由は、本当にそれだけなのだろうか)

朝倉くんは、きちんと母親と話をするべきだと思う。

私の親はもういない。
だからこそ、生きている親がいるのに、その存在を消すように扱うことが、私には悲しくて、どうしても納得できなかった。

そんなことを考えながら、私はお風呂の準備をするために脱衣所へ向かった。

背後から、朝倉くんがついてくる気配がする。

「瞳子さん、怒っているの?」

「怒ってないよ」

振り向かずに答える。
すると、彼は何かを感じ取ったのか、足を止めた。
そして、拗ねた子供のような声を出す。

「瞳子さん、行かないで!」

次の瞬間、再び背後から抱きしめられた。

「──瞳子さんは、そばにいて」

そう言って、彼は本気なのか冗談なのかわからないほど、甘えるように私へ身体を寄せてくる。

いつもの私なら、可愛いと思えたはずだった。
けれど、今はそう感じることができない。

むしろ、美麗さんの言葉が頭の中によみがえってしまう。

彼は本当に私を愛しているのだろうか。
それとも、美麗さんからもらえなかったものを、私に求めているのではないだろうか。

そう考えてしまうと、胸が苦しくなった。

だから、口にしてはならない言葉をつい漏れてしまった。


「私は──あなたのお母さんではないわ」






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