八年越しの初恋、回収します。〜私のトリコになった部下に、八年前から溺愛されています〜





その場の空気が張り詰めた。誰も口を開かない。

私に叩かれた美麗さんは、何が起こったのか、すぐには理解できていないようだった。

目を見開き、乱れた髪を直すこともできず、ただ呆然と立ち尽くしている。

私は興奮で息が乱れていた。
叩いた手をゆっくりと下ろし、美麗さんに警告する。


「私の夫を傷つけることは許さないっ!
 たとえ、それが母親だとしてもっ!」


そう啖呵を切った。いくら母親とはいえ、私は我慢ならなかった。

「あ、あなた、こんなことが許されると思っているの!」

美麗さんの怒りで、前額部に数本の青筋が浮き上がった。

「人として、言ってはいけないことがあります! 美麗さんはそれを言ったので、注意したまでですっ!」

「瞳子さんっ。もうやめてください!」

私の心臓は激しく脈打っていた。
朝倉くんがすぐに私の背中をさすり、なだめてくれる。

「ありがとう、瞳子さん。あなたの気持ち、十分伝わりました。それだけで幸せですから」

こんなに優しい朝倉くんの心を抉る美麗さんを、私は許せなかった。

「母上、帰ります。瞳子さんを悲しませて、私はあなたを許しはしません」

朝倉くんが怒りを込めた目で、自分の母親を見つめていた。

「行きましょう」

私の肩を抱いた朝倉くんが、出口へ導こうとする。

だけど、私は迷った。

(この家族の根本にある問題は、まだ解決していない!)

私は助け船を求めて、黒川さんに視線を投げた。

それを受け取った黒川さんが、ようやく我に返る。

「祐二さま! お待ちくださいっ! 最後に、美麗さまの歴史的発見の版画をご覧ください!」

「黒川、やめてくれ。もうそんな状況ではない」

この場からすぐに去りたい朝倉くんに、私はお願いした。

「見ましょう。歴史的発見なんて、滅多にないわ」

「瞳子さんまで……一体どうしたんですか?」

黒川さんが割って入る。
困惑する朝倉くんに、熱弁を振るった。

「明治維新に活躍した版画家、鮎川馬喰郎の未発表作品が手に入ったのですよ!」

黒川さんの進行に、私も合わせる。

「その作品は、どちらにあるのですか?」

「美麗さまの寝室にございます!」

「見たいです。黒川さん、案内してください」

私と黒川さんのやり取りに、朝倉くんと美麗さんは呆気に取られていた。

しかし、これでいいのだ。

「もちろんです。では、こちらへ」

黒川さんが甲斐甲斐しく手で誘導する。

それに私は付いていく。
そして朝倉くんも、仕方なしに付いてきてくれた。

しかし、一人だけそれについてこられない人物がいた。

美麗さんだ。

「黒川! 余計なことをしないでっ!」

黒川さんが、そのときだけ足を止めて振り返った。

「美麗さまの歴史的発見のお宝ですから、祐二さまにぜひ見ていただきましょう」

黒川さんが説明し終えると同時に、エレベーターの扉が開いた。

中に入り、黒川さんが三階のボタンを押す。私たちも続いて乗り込んだ。

呆然としていた美麗さんが我に返り、私たちの後を追いかけてくる。

「勝手に私の部屋に入るのは許さないっ!!」

閉まりかけた扉に指をかけ、無理やり開いて乗り込んできた。

「美麗さま、申し訳ございません。祐二さまがご覧になれば、きっと現状が変わるはずです」

「何のことを言っているのっっ! 今すぐに戻りなさい!!!」

あの美麗さんから余裕が消えていた。
髪を振り乱し、必死の形相で叫んでいる。その動揺ぶりは、驚くほどだった。

しぶしぶ私に付き添った朝倉くんだったが、美麗さんの乱れる様子を見て、何かを感じ取っていた。

何かある、と。

黒川さんは美麗さんに怒鳴られても、エレベーターの壁一点を見つめ、動じることはなかった。

そして三階のフロアで扉が開いた。

今度は朝倉くんが一番乗りで、美麗さんの部屋へと向かっていく。私もそれに続いた。

美麗さんが必死に先回りし、自室の扉の前で両手を広げた。

「祐二っ! 断りもなく入るなど、許さない!!」

サイドにまとめた美麗さんの髪が乱れて逆立っている。眉間に深い皺を作り、まるで威嚇する動物のようだった。

(美麗さんの部屋には、秘密がある)

私は確信していた。
そして朝倉くんも、母親の異変に感づいているはずだ。

彼は美麗さんとは対照的に、冷静な口調で話しかけた。

「私は母上の部屋に興味などありません。鮎川の作品か否か、それを確認しに来ただけです。今さら、もったいぶるのですか?」

朝倉くんが腕を伸ばし、扉のドアノブに手をかけた。

しかし、それを美麗さんが勢いよく手で払いのける。

「黒川! 二人を連れ出しなさい! できないのなら、あなたはクビよっっ!」

それはもう、金切り声に近かった。

(必死になって息子に隠したいものは何?)

きっと、それが朝倉家が抱えている問題を解決する糸口になるはずだ。

私はポケットから四つ折りにした一枚の紙を取り出した。そして、それを広げて美麗さんに見せるように突き出す。

「美麗さん、忘れ物です」

皆の視線が、その紙に集まった。

「なんです……それは」

朝倉くんが一番先に反応した。

これは、美麗さんの処方薬の薬剤情報提供書。

怪訝な表情の美麗さんが、数歩前に出てくる。
そして、私の持っている紙が何なのかを理解すると、焦って叫んだ。

「なぜあなたが持っているのっっっ!」

怒りとともに私に駆け寄り、私から紙を勢いよく奪い去った。

扉の前が空いた、その隙に黒川さんが扉を開いた。

そして表情を硬くした朝倉くんが、躊躇することなく部屋に踏み入った。

「祐二っ、入らないでっっ!!」

あの美麗さんが、懇願するように朝倉くんの後を追いかける。
そして彼の腕を引っ張り、外に出そうとした。

しかし、すでに私たちの視界には、部屋の全貌が入っていた。

二十畳ほどの部屋だった。
ベッドやサイドテーブルには脱ぎ捨てられた服が散乱し、ゴミだと判別できるものが床のあちこちに捨て置かれている。

なにより、私たちを絶句させたもの。

それは── くさんの空の酒瓶。

それが部屋中に転がっていたことだった。




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