春街花 -haru・machi・bana -
春街花 - haru・machi・bana - ♡第5話 お誘い♡
ぼんやりと結莉は日曜日を過ごしている。娘の皐月は親友の望ちゃんの家へ遊びに行った。
家事もほどほどに明日の通院に控え体を休めている結莉。心が健康な人にとってちょっとしたお出かけであっても、結莉にとってはおおごとだったりする。
それに……(例の痴漢男は通勤なのだろう。確実にあの電車に乗るんだな)モヤモヤ、ビクビク……ラジオから素敵な音楽は流れているが冴えない結莉だ。
なんだか体も辛いので、横になりスマホを見ている。
(『ハートのたまご』のSNS、変わった書き込みないかな~)
「あ」
ダイレクトメッセージが届いている。
(もしかして?)
そう、やっぱりジャン・ロイドンくんからだった。
『つむじちゃんへ またまた突然すみません。あの……今日は用事はないんだけど、なんとなくつむじちゃんへ声を掛けたくなりました。きのうの放送でビックリしました。「春が来ないかな~」の文面が、オレとつむじちゃん、かぶっていたから。聴いていてちょっと嬉しくなりました。返信はお気になさらずに ジャンより』
結莉はユウウツに飲み込まれそうだったので、気分転換がしたくジャンくんへ返信した。
『ジャンくんへ 本当だね! きのう、あたしも驚いちゃった。梅の花も満開だし……春はもうすぐそこよ?』
すぐにジャンくんから返信が来た。
『つむじちゃん、返信をありがとう。梅の花か~。オレの家の周りでは見かけないんだよね。つむじちゃんはお花が好きなんだね! きのうのお便りでも水仙の話、してたよね』
『ええ。お花が大好きなの! よくお花が見たくて大きな公園へ散歩しに行くよ』
『そうなんだ~』
二人はまたも、まるでチャットでもしているかのようにメッセージを続けた。
『これからの季節は桃が咲いて、桜が咲くよ!』
『うんうん。なんか、今メッセージ上だけでも「春」を感じるよ』
この言葉を深読みした結莉……。
(これってラジオでジャンくんが求めていた[僕の春]? え、あたしのことをやっぱり、ジャンくん……?)
返信に困ってしまった結莉。
どうやらジャンくん、それを察したようで『あ、つむじちゃん、ご不快な思いをさせていたならごめんなさい。お花を思い浮かべてね、綺麗な景色が浮かんだということだよ』
結莉は、洞察力の鋭いジャンくんにドキリ。
(ジャンくんって細やかで、切れ者。素敵だな)
そう素直に感じた。
結莉とジャンくんは1時間近く主にラジオ番組のことをメッセージし合った。
『ジャンくん、あたしおなかが空いて来ちゃった(笑)そろそろごはん作ろっかな~』
『ああ、長話に付き合ってくれてサンキュー、つむじちゃん。じゃあまた「ハートのたまご」で!』
『うん、バイバーイ』
「ただいま~」
夕方4時ごろ皐月が帰宅した。
「皐月、おかえり~!」
「あれ? ママ、元気が戻ってる! 良いことでもあったの?」
「ううん、別になにも無いよ」
「そ。なにはともあれママが元気で嬉しい」
(親馬鹿だけど、良い子だなぁ。皐月って……!)
*
――――月曜日。結莉の通院日だ。
やはり痴漢が怖くて顔色を曇らせている結莉。
「ママ、無理しないでね。いつでも夕方に通院時間を変えても良いんだよ。あたしが居るんだからさ」
皐月が念を押す。
戸川さんになにがなんでも逢いたい結莉は首をブンブン横に振る。
「ううん、ママがんばる! 皐月が教えてくれたよう、万が一の時は大声。そして気を強く持つわ」
「うん、わかった」
皐月は頷いた。
いつものように親子でマンションエントランスまで下りて行き、結莉が自転車の皐月をまず見送る。
今日はラジオで降水確率40%と言っていた。結莉は皐月にバス通学を進めたが「大丈夫、大丈夫、ちょっとぐらい濡れても風邪ひかないから。たぶん降らないよ」と大らかに言い放った。
「気を付けてね、皐月。いってらっしゃい」
「うん、ママも気を付けてね! いってきま~す」
元気にペダルを踏む自転車の皐月が小さくなって行く。曲がり角を曲がって見えなくなった。
薄曇り。白っぽい灰色の空だ。安心のため結莉は今日折り畳み傘を持って出て来た。
(雨は困るけど、曇り空ってあたし嫌いじゃないな。なんだか落ち着く)
そんなことを思い、空を時々見上げつつ歩き、いつもの駅に着いた。
改札前でギュッと両手を握り一度深呼吸をした。
(また痴漢に遭ったら、大声を出す)と胸の中で言う。
ホームへ行くと今日も人の山。毎度のことながらげんなりする結莉。
しかし結莉は、用事を早く済ませたいタイプだから、電車に乗るのはいつもこの時間になるのだ。
今となっては、あの紳士でイケメンの戸川さん目当てだし。
……が、今日、痴漢野郎は居なかったし、戸川さんへも逢えなかった。
(通勤の人って毎回、同じ車両に乗る人が多いのにな~? 今日は戸川さんお休みかな?)
株式会社うちわ金魚の入っているビルを見上げ、結莉は通り過ぎた。
(もう御出勤なのかしら? 戸川さん、それともここに今居ないの?)
それはまるで初恋をした中学生の少女のような胸のざわめきようだ。
クリニックも激混み。月曜日は時に患者さんが多い。
結莉の順番がやって来たのはなんとお昼だった。9時前にはとっくに病院に到着していたのに。
すぐそばの院外薬局もとても混んでいる。
「ハー! 疲れた~」
やっと薬ももらい外に出「ンー」と伸びをした結莉。
スマホを見るとお昼2時前にもなっていた。
「フー」ため息をつき、駅へ向かって歩き出した。
――――ポツ、ポツ、ポツ……。
(あ~、確率40%が降り出したー)
雨が降って来た。心配性の結莉の大きなバッグから折り畳み傘が取り出され、バッと開かれた。
(皐月、カッパ持って行ったのかな~。訊かなかったな……『ちょっとぐらい濡れても大丈夫』なんて言っていたから持って行ってないのかな。心配)
「あ!」
そんなことを思っていると、とっても甘く懐かしい香りがして来た。
(沈丁花だわ!)
足を止め、香りを辿りキョロキョロする結莉。
(あ、あそこだー)
小さな公園の植え込みにたくさん咲いている。雨に濡れ、しっとりとした香りが余計に強く感じられる。雫を受け始めた花びらが可愛い。
結莉は、しばしちょっぴり体をかがめ沈丁花を愛でていた。
「結莉さんっ」
(ン?!)
背後から聞き覚えのある声。
すぐに体を真っ直ぐにし振り向いた。
「戸川さん! あたしの名前を……」
「はい。もちろん憶えています!」
逢いたいと切に願っていた戸川さんが結莉のもとに現れた!
下の名前で呼ばれたことで恥じらう。でも即座に言った。
「戸川さん、傘、持っていないの? 入ってください!」
「あ、ありがとう。良いんですか」
「もちろん、早く、早く。風邪ひいちゃうよ」
「は、はい。……相合傘ですね」
「え」
「あ、ごめんなさい。変なこと言ってしまい。謝ります!」
「ううん。嬉しい……です」
「あ……」
戸川は赤い傘の中で傘と同じ色に頬を染めていた。前を向いて歩いている結莉は気づいていない。
「羽矢斗さん?」
「は、はい!」
結莉も思い切って下の名前で彼を呼ぶと、ちょっぴり大きな声で返事をした戸川羽矢斗。
「ンフフ」
(脈ありかしら?)とちょっとだけ小悪魔ムードの結莉。
そして続けた。
「今日、お仕事はもう終わりなのですか? それとも今、休憩時間?」
「ああ、今日は仕事の材料がどうしてもそろわなくて早く上がりました。けっこう自由な会社なんですよ」
「そうなんですね。お疲れさまです」
そう言って結莉は羽矢斗を見上げ微笑んだ。
羽矢斗は身長170cmと少しだろうか。特に背が高~い男性ではないが、結莉は154cmと小柄だ。
少し雨に濡れ、バサバサッとなった金髪ヘアー。そして今日は白いカッターシャツ。
(ピンク色のカッターシャツの時よりも派手な印象。ホストみたいに見える)と結莉は想った。
「結莉さん、朝、大丈夫でしたか? 電車……。思い出させたいわけじゃなく、結莉さんのことが心配なんです」
「ありがとう、羽矢斗さん。はい……。怖くないと言ったら嘘になります。今でも怖いです。でも今日、加害者は同じ車両に居ませんでした」
羽矢斗は真摯に結莉の言葉に耳を傾けていた。
そして「あの……僕でよろしかったら、力にならせて戴けませんか?」と言う。
「あ……あの、どういうことでしょう?」
「電車でですが、結莉さんの通院の送り迎えをしたいんです。ご迷惑でしょうか」
(キャ――――! もしかして羽矢斗さん、あたしのこと好きだったりして―!)
ニヤニヤしそうになるのを必死で我慢しつつ、ニコニコし答える結莉。
「本当ですか! 凄く嬉しい。あたし、羽矢斗さんに甘えたいです……」
そうしてなんと! 結莉は羽矢斗とその話の直後、連絡アプリのROUL IDを交換したのである。夢のようだ。
「あ、傘、僕が持ちますよ。僕のほうが背が高いから」
まるで王子様のように微笑む羽矢斗。
「はい」
俯きがちに返事をする結莉。
傘を渡す時、指が触れた。二人とも照れ、大慌てで平静を保とうとした。
羽矢斗さんの手はゴツゴツしていて大きい。指、少し濡れていた。
「羽矢斗さん、会社からご自宅、遠いんですか? 前に送ってくださったとき、あたしの駅よりまだ先と言っていらしたわ」
「うん。実は結莉さんの駅の隣駅です」
「ああ! そうだったんですね!」
「はい」
(羽矢斗さん、美しく情に満ちた笑顔だなー。あたし……やっぱりこの人が好き)
相合傘なので、濡れないようになるべく二人はくっつく必要があった。そんなに大きな傘ではないし。
なんだか、羽矢斗のドキドキする鼓動が伝わって来る結莉。胸から胸へ見えないリボンで結ばれるような感覚。
「あ~、今日の夕飯、なんにしようかなー。毎日悩みますよ。一人暮らしだから。誰も作ってくれない」
少年のように笑う羽矢斗。
(独り、なんだ――――! ホッ。良かった。イェ――――イッ!)
スキップしたい結莉である。
「ウフフ。カレーなんていかがですか。野菜を切って煮込むだけだもの。面倒な時は炒めなくても良いんです。多く作り置きしておくと楽です。あと、これは冬季限定になっちゃいますけど、牛乳を入れるとまろやかになるんですよ」
「あ! それ良いな。オレね、なんか恥ずかしいけど甘口じゃないと食べられないんです。男ってだいたい辛いのに挑戦するでしょー。オレ、無理なんですよ。アハハ」
「うちはね、羽矢斗さん、高校生の娘がお料理上手なんで助かっています。あたしの具合が悪い時は助けてくれますよ。そうね~……一人だと、作るのが面倒だったりしますよねー。あたしも『娘が食べてくれる』という思いで作ってるもんな~」
「うんうん」
羽矢斗はとても聴き上手だ。結莉は包み込まれるような感覚がして、ますます彼の虜になる。
「あ、結莉さん」
「はい」
「さっき、じっとして……なにをされていたんですか?」
「あ、ああ! 沈丁花が咲いていたの」
「ジンチョウゲ? 聴き慣れないお花の名前だなー」
「そうですか。でも香りはたぶん、羽矢斗さんも知っていますよ? なんだかね、とってもノスタルジックな香りがするの。強い香りだから。『あ! 沈丁花がこの近くに咲いているな』とすぐにわかるのよ。イイ匂いです」
「そうですか。僕はさっき、結莉さんに気を取られて全然気づけなかったなー。今度教えてください」
「あ……。ン……駅のホームにも、電車内にも沈丁花は咲いてないよ?」
悪戯っぽく口にする結莉。
羽矢斗は恥ずかしそうにしながら「ええ。そうです」
「じゃあ、どうするの?」
結莉は上目づかいをして、ちょっぴり羽矢斗に近づいた。
「デート、しませんか」
「あ……。はい……。はい!」
結莉はほっぺたをつねった。痛い。それは夢なんかではなかった。
そこからは少し言葉少なになる二人。駅に着いた。改札を通る。ラッシュの時間帯ではないので混んでいない。
結莉はついて行くように羽矢斗の後ろを歩いた。
ホームに降り、電車が来るまで少し時間があった。
「ネェ、どうしてぇ?」
羽矢斗の左横にぐっと近寄り結莉が訊いた。
もちろん『どうしてデートに誘ったの』という意味だ。
「ン~。ここでは言えない」
すっごく恥ずかしそうな羽矢斗。懸命に冷静さを保とうとしている。
だから結莉は小悪魔を鎮めさせた。
電車がやって来た。ガラガラだった。二人で並んで座る。
太ももや腕がくっついているけれど、指を握ったり出来ない。結莉ははしたない女だと思われたくない。でもできる限り羽矢斗に寄り添った。
羽矢斗は真っすぐ向き、車窓を流れる景色を見ようとしていた。でもたぶん気もそぞろで見られていない。
(カッコよくて……可愛い人)