春街花 -haru・machi・bana -
春街花 - haru・machi・bana - ♡第4話 センシティブ・ハート♡
結莉の主治医は松田先生と言う院長の男性だ。
この松田クリニックに通い始め5年以上になる。
結莉はドクターをとても信頼しているので、先日の痴漢のことを今日やっと話した。
松田ドクターは結莉の言葉を決して遮ったり否定したりせず、黙って話を聴く。
「それは酷い目に遭いましたね……園河さん」
「はい、先生。わたし、以前にも増し、人に対して勘繰りを持っていますし、恐怖心が物凄いです」
「それは当然でしょう。お辛いですね」
「自分でも、この恐怖心をいったいどうすれば良いのか。見る人見る人全員が悪い人に思えて来る時があります」
うんうん、と松田ドクターは頷いている。
結莉が唇を咬んで黙っていると「夜は眠れていますか?」とドクター。
「はい、先生。眠剤が良く効いてすぐに眠くなります」
「そうですか。どうでしょう、園河さん。不安を和らげる精神薬を今飲んでいる精神薬に追加しても良いけど……」
結莉は少し考え、答えた。
「お願いします、先生」
「わかりました。では、薬の効果や副作用を把握したいので、次は一週間後に来てください。大丈夫ですか?」
「はい」
帰りは……帰りは一人。そもそも行きに戸川さんに逢えたのはミラクルだ。
やって来た電車にホームから、深呼吸をして乗って行く結莉。
お昼過ぎで、ラッシュの時間帯ではないので座席に座れた。ホッとする。
この状態であれば痴漢野郎も悪事をして来やしないだろう。空いているので悪事を働けば丸見えだもの。
シートに座り車窓に広がる街並みを眺めていた。
結莉は(あたし、いつ社会復帰できるんだろう)と思った。
今は福祉の力を借りて質素な暮らしをしている。
社会復帰するとして、お給料が良いからと夜の仕事に戻ろうとはもう思えない。
人間不信……特に男性が恐ろしいのだ。ストーカーに遭うかも、しつこく言い寄られるかも、などとろくでもない想像が浮かぶ。
35才。ほんの少し、焦るような気持ちがある。
(日中のお仕事でアラフォーで雇ってくれる所ってどんなとこかな……)
しかし今の結莉は元気になること、甚だしい恐怖心など感じない当たり前な心地になることが目下の仕事だ。
「ただいま~」
皐月はまだ学校だが、結莉は『悪者に見張られていることを想定』し、大きな声で「ただいまー」と、さも家の中に家族が居るかのようにするようにしている。
結莉自身、自分の怖がりにほとほと疲れるが、この行動は一般的にも防犯になるらしいから良いだろう。
おしゃれなワンピースからラフな部屋着に着替え、くつろぐ結莉。いつもの癖でパソコンの電源を入れる。一番最初にすることは『ハートのたまご』の公式SNSのチェック。時々DJロリポップさんが、予告なく動画をライブ配信することがあるのだ。ラジオリスナーみんながそれを楽しみにしている。
(ン~、今日はお知らせがないから、動画配信はしないかな? ロリポップさん)
と考えながら画面を見ていた結莉……。SNSのダイレクトメッセージの所にメッセージが来ているマークを発見。
(ン?)
結莉(=つむじ)のもとにダイレクトメッセージが届くのは稀だ。なぜなら、長年『ハートのたまご』を聴いている仲間たちは、『つむじちゃんは人づき合いがあまり好きではない』ことを感じ取っているからだ。
メッセージをクリック。
(誰からだろう?)
なんと、ここのところちょっぴり気になっているジャン・ロイドンくんから。
結莉は戸川さんに心奪われながらも、ジャンくんのことを想うとドキドキしちゃう。
(なにが書かれているだろう!)
はやる気持ちを抑え、一度深呼吸してから目を通す。
『つむじちゃんへ こんにちは、つむじちゃん。突然ごめんね! 要件があってね。つむじちゃんはもしかしたらDMとか嫌いなんじゃないかな~と予感しつつも赦してください。それと……オレ、なんとなくつむじちゃんに声を掛けたくなっちゃって……』
途中で思い出した、結莉は。
(ラジオのお便りで[街で綺麗なお姉さんを見ました]なんて言っていたな、ジャンくんは。浮気性なのかしら。その上であたしにDMで[声を掛けたくなっちゃって]だなんて)と。
しかし、人のことを言えない、同じタイプの結莉ではないか。
自分のことを棚に上げるとは、このようなことを言うのであろうか。
気持ちを切り替え、再び続きを読む結莉。
『実は、他のラジオ仲間から“オフ会”しない? って話が出ているんだよ。居酒屋かどこかでさ。良かったら、つむじちゃんの意見を聴かせてください。あ、オフ会に興味がなかったら無理に返信して来なくても大丈夫ですからね。……オレは、つむじちゃんと友達になりたいんだけど……。じゃあ、長々と失礼しました! ジャン・ロイドンより』
ジャンくんのことを気が多い男性? などと疑ったが、なぜか、胸の高鳴りを抑えきれない結莉。
([友達になりたい]……かぁ。[恋人]じゃないのね)なんてちょっと落胆する自分に気づく。
別に結莉は戸川さんを好きだがお付き合いしているわけではないし、ジャンくんに返信をしたってかまわないだろう、と返信することにした。
(ジャンくんに逢ってみたいな)という興味がある。でも……『オフ会』なんて気疲れする事柄には全く興味のない結莉だ。
『ジャンくんへ いつも気にかけてくれてありがとう。ン……と、先ずはオフ会のことね。ジャンくんももしかしたらあたしの性格をお見通しかも知れないけど、あたしはリアルの人づきあいがとても苦手なんだ。今回のオフ会は行かれません。せっかく誘ってくれたのにごめんね……。それと……あたしも。あたしもジャンくんのこともっと知りたいよ。 つむじより』
(書いちゃった。でもさ、二股ではないよね。誰とも付き合ってないもーん)
結莉の中では、現実的にお逢いしている戸川さんへのときめきが大きい。でも、ジャンくんのことが男性として気になっているのも事実だ。
「ただいま~」
皐月が帰って来た。
「おかえり、皐月」
「うん。ママ、今日の通院大丈夫だった? ずっと気になってたの」
「ええ、大丈夫よ! ヒーローが居たから!」
なんだそれ? というキョトンとした表情をした直後「ちょっと待って! ママ、ヒーローって誰よ?」とキャッキャとし出した娘。
「なんでもなーい」と言いながら結莉は、洗濯物を取り込むためにベランダへ逃げて行った。
「んも~、マーマ―!」
皐月は諦めたが、気になっているようだった。
*
『ハートのたまご』のオンエアー日がやって来た。
先に述べたようラジオは付けっぱなしの園河家。
結莉はミルクティーを淹れドキドキしつつ、スタンバイ。
(今日はどんな曲がかかるかな、あたしのおたより読まれますように!)
思うことはいつも同じ。いつものDJロリポップさんの声がホッとする。
――――番組が始まり、中盤辺りでジャンくんの名前が出てきた。
『ロリポップさん、皆さん、こんばんは。明日から3月。春はまだかな~。僕の春よ、来い! 最近ちょっぴり恋煩い気味のジャンでした。今日もごきげんな放送期待していますよー』
(ンンン?!)
聴いていてなんだか複雑な心地のする結莉。
([恋煩い]ってどっちに対して? [街で見かけるお姉さん]? それとも……やっぱ[あたし]へ?)
ジャンくんのリクエストは今宵も甘いラブソングだった。今回は90年代のシンガーソングライターの曲で、つむじこと結莉もアルバムを数枚持っている、素敵なシンガーだ。その上、この曲がたまらなく好きだ。
切ない片想いを歌っている内容だ。
(あたしとジャンくんってほんと、音楽の趣味がピッタリだな)
改めてジャンくんを意識する結莉。
SNSは今日もワイワイしている。ジャンくんへ向けてつむじこと結莉は書き込んだ。
『お便り&リク採用おめでとう、ジャンくん。ジャンくんと音楽の趣味が超合う~』
すぐにジャンくんから返信。
『つむじちゃんにそう言ってもらえて嬉しいよ! ありがとー』
『ジャンくんとつむじちゃん、仲良しだね~』
ラジオ仲間でも特につむじが仲良くしているサトルさんが声をかけてきた。
なんだか照れてしまう結莉。
ジャンくんが返信した。
『僕も不思議なんですよね~。つむじちゃんとは相性良いかも!』
すると他のリスナー仲間の女性が『付き合っちゃえば!』なんて優しい笑顔の顔文字付きでチャチャを入れてきた。
ロリポップさんが話し始めた。
『今日も盛り上がってるねー、SNS! ありがとね! なになに、「つむじちゃんとジャンくんがハート?」キャー! どうする? 二人! でもさ[ハートのたまご]でカップルが誕生したらそれこそ、番組タイトル通り[ハートのたまご]だよね~!』
嬉しそうなロリポップさんの明るいトーク。
キッチンでアイスクリームを食べていた皐月がアイスを持ったまんま結莉のもとへやって来た。
「ママ、噂されてる~。ママのヒーローって『ジャンくん』なの?」
「さー、どうかしら! ウフフ」
意味深に笑って見せる結莉。
「もー、ママ、内緒ばっか。教えてよ~」と笑う皐月。
「あ、ママのお便りよ。皐月、静かに!」
耳をそばだてる母子。
『こんにちは、ロリポップさん、スタッフさん、リスナーのみなさん。きのう出先で越前水仙のお花が咲き乱れていたよ。思わず鼻を近づけちゃった。甘い香りがしていました。だから今日は甘~い曲をリクエストしますね。ハー……あたしの春、来たら良いなぁ』
偶然にもジャンくんと同じような一節をお便りに書いていた結莉。そのことを自分で忘れていて、ロリポップさんが読み上げた時にハッとした!
隣で聴いていた皐月が「そうなんだ~。ママのヒーローは『ジャンくん』なのね! やっぱり!」なんて言って向こうへ行った。
リクエスト曲は今流行っているとってもスウィートな恋の歌だ。
(ジャンくんがヒーロー? でもあたしには戸川さんが居るし……)
戸川さんと恋人同士でもないのに、けっこう『三角関係』を真剣に思い悩むお茶目な結莉である。
SNSが楽しくざわついた。
『つむじちゃんとジャンくん、気が合うね~』
『ジャンくんとつむじちゃんもしかして♡』などなど。
それらのジャン&つむじをからかう書き込みの中に『今度のオフ会で二人の様子が見られるの、楽しみ』というものがあり……つむじこと結莉はちょっと寂しい気分になった。
(あたし、そんなの、行かれないし……)
そこへ皐月がラジオのあるリビングへ戻って来た。
「どしたの、ママ? 浮かない顔しちゃって。大丈夫?」
「うん……。ママさ、オフ会に誘われてんの。そういうの苦手だから、ママが行くわけないじゃん? だけど、SNSで今、ママが来ることが楽しみというようなことを書いた人が居たの……。それで、なんだか申し訳ないというかなんというか……」
「ママ、ママは優しいんだね! 気にすることないってば。オフ会とかってさ、自由参加じゃん? ママ、なんにも悪くないじゃん」
まったくしっかり者の娘である。
「うん、そうね」
しかし結莉はそのあとも『三角関係』のこと『オフ会』のことで心を曇らせつつ『ハートのたまご』を聴いていた。
気づくと既にエンディングだった。
『みんな、ありがとー! また来週の土曜日にお耳にかかりましょ。DJはすでに春爛漫、あたくしロリポップでした~!』
そこでまたもざわつくリスナーたち。
『ロリポップさん、春爛漫?』
『彼氏ができたのかな~』
『気になるねー』etc.
結莉はそんなに気にならない。
(戸川さん……。ジャンくん……。オフ会に行かれない……)などとウジウジしていた。
皐月は結莉のそばでスマホをいじっていたが、チラチラと結莉を気にしていた。
月曜日はまたクリニックの日だ。
結莉の通院曜日は決まっていない。ドクターが「一週間後」と言っても、薬は少し余分に出してくれるので、体調の良い時に通っている。無論ドクターがそれで良しとしているから。