人生の岐路に立つとき

第一章 幸助の話-7

※本作は 文芸社より2026年3月に書籍化 されます。
応援してくださる皆さまのおかげです。ありがとうございます。

30歳のとき、僕の人生は音を立てて崩れた。
母のくも膜下出血による介護、うつ、解雇、転職失敗。
どれかひとつでも重いのに、一度に全部が襲ってきた。

それでも――
毎日「1日20分だけ」書くことを続けた。

この作品は、
人生のどん底に落ちた男が、
どうやってもう一度立ち上がったのかという、
“再生の記録” です。

読んでくださるあなたの人生が、
少しでも軽くなるなら、それ以上の幸せはありません。


幸助は一人暮らしをしており、母親の介護は基本的に実家に住む父・勝彦と姉・成美が担うこととなった。ただし、幸助も休日は母の介護に協力する必要があり、終わりの見えない介護生活が始まった。母が家にいる間は一人にさせることができず、常に誰かが家にいる必要があった。

食事の準備、トイレの介助、そして歩行機能を維持するための散歩など、日々の介護は多岐にわたった。意外かと思われるかもしれないが、特に散歩が家族にとって大きな負担となった。公園まで母を連れていき、介助しながら歩行練習を行う。多い日には午前と午後にそれぞれ散歩に出かけ、休日は自分の時間がほとんど取れなくなっていった。介護が一年、二年と長引くにつれ、幸助の内には不満が募っていった。休日の公園では、家族連れが楽しそうに遊ぶ姿が目に入る。そんな光景を見ながら、「なぜ自分と姉は、人生の貴重な若い時間を母の歩行練習に費やしているのだろう」と、やりきれない思いがこみ上げてくるが、当たり前のことだと、心を殺していた。県外に住んでいる弟の啓介はいつの間にか結婚し、家に顔を出すことがますます減っていた。そのことは幸助や姉、しいては、父親の不満を募らせることにもつながっていった。

鈴木家の生活は、母を中心としたものへと激変した。当然、日々の話題の中心は、ほぼ全てのことが母のことだった。もちろん、母と一緒に散歩を重ねることで少しずつ歩行能力が回復していく姿を見るのは喜ばしいことではあったのだが、それでも父・勝彦と姉・成美の苦労は計り知れないものだった。

特に姉・成美は、仕事から帰宅した後、休む間もなく食事の介助や入浴の世話をこなしていた姿には感謝の念しかない。介護生活が始まって四年、彼女が自由に過ごせた時間は、友人に会いに行った、たった半日間だけだった。

幸助はというと、土曜日は介護は免除されていたが、日曜日の一日の介護だけでも「介護ってこんなにも厳しいものなのか」と思うようになり、次第に鬱のような状態に陥っていった。週休二日から週休一日になったようなものであり、姉にとっては、毎日が地獄だっただろう。介護を休めない状態は、本当に辛く、厳しい日々だったことは間違いない。姉においては、時々、本当に、死んだ魚の目をしていたことがあり、姉の限界も近いのだと思い知った。

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