八年執着されましたが、幸せです ~傷心のホテリエですが、イケメン御曹司と契約恋人になりました~

アメリカからの客

 私は今日、〝ゴールデン・ターナー〟の役員がホテルにチェックインすると聞いて、朝から倒れそうな程の緊張に包まれていた。

 同僚たちに〝ゴールデン・ターナー〟のCOOと関係があったなんて言えず、「知っている人と会えたら素敵だね」と言われ、強張った顔で頷くしかできない。

 一週間前ぐらいから暁人さんからも『実はターナー氏が来るんだ』と気まずそうに教えられ、心の準備はしていたはずだった。

 彼は『無理をせず、状況を見て彼らと鉢合わせないように裏にいてもいい』と言ってくれたけれど、私一人が個人的な理由で〝お客様〟から逃げる訳にいかない。

 彼らがNYを発つのが午前中だとして、羽田に着くのは昼過ぎになる。

(気を引き締めなきゃ……。みんなの前で失態を晒せない)

 そう思っていた時、耳につけていたインカムから《ターナー様がいらっしゃいました》とドアマンの声が聞こえた。

 他のお客様の対応を終えた私は、笑顔でお辞儀をする。

 頭を上げた時、ウィルがレティと一緒にロビーに入って来るのを目撃した。

 ウィルは婚約者の腰を抱いていて、二人は親しげに話して笑い合っている。

 他にもウィルの弟のマーティンや部下たちもいて、暁人さんや神楽坂グループの役員は、彼らと握手を交わしていた。

 もう〝酷い元彼〟である彼の事は吹っ切れ、今の私の心を占めるのは暁人さんだと信じていた。

 ウィルの事はもう好きじゃない。

 けれど侮辱されたと言っていいフラれ方をされた心の傷は、彼らの姿を見ただけでかさぶたが剥がれ、血を滲ませた。

 二人は初めて訪れるホテルのロビーを見回し、和とモダンが混じった内装を見て感心していた。

 レティはさっそく自撮りを始め、ウィルは内装のデザインやお金を掛けただろう所をチェックしているようだった。

 その時、フロント(こちら)を見た彼と目が合った。

 ――やめて。

 遠目にもウィルが目を大きく見開いたのが分かり、私は全身に悪寒が走るのを感じる。

(気付かないで。こっちに来ないで)

 私は微笑んだまま表情を強ばらせる。

 心の中で強く願うのとは裏腹に、ウィルはニヤニヤ笑ってまっすぐこちらに歩み寄ってきた。

 ――のを、暁人さんが呼び止めた。

[ミスター、どうなさいましたか? チェックインは秘書が済ませると仰っていましたので、どうぞソファでお寛ぎください]

 ――助けてくれた。

 ホッとするものの、危機が去った訳ではない。

[失礼。フロントにいる黒髪の……、あぁ、日本人は全員黒髪でしたね。あの彼女は、昔私のホテルで働いていたんです。まさか再会できるとは……]

 そう言うと、ウィルは暁人さんに構わずフロントまでやってくる。

 目の前に二度と会いたくない男が迫り、私は観念して事務的にお辞儀をした。

[いらっしゃいませ、ターナー様。ようこそ〝エデンズ・ホテル東京〟へ]

[つれないじゃないか、芳乃]

 彼はフロントに肘をつき、ニヤニヤと笑って私を見てくる。

(仕事の邪魔をしないで)

 私は心の中で思いきりしかめっつらをしたけれど、ビジネススマイルは崩さなかった。

[やはり日本に戻ってもホテルで働いていたんだね。実に君らしい]

 と、暁人さんが彼の隣に立ち、笑顔で話しかけてきた。

[ミスター、うちの社員とどのような関係ですか?]

 するとウィルは[おっと失礼]と言い、フロントに寄りかかったまま私を手で示す。

[彼女……芳乃は昨年末まで、NYの〝ゴールデン・ターナー〟のフロントをしていたんです。知りませんでしたか? 〝事情〟があって急に辞めたので、優秀なスタッフだっただけに、どうしているか気にしていたんです。まさかここで再会できるとはね]

 ウィルは社交的に話ながら、心にもない事を言う。

(……『いい遊び相手がいなくなった』でしょうね)

 私は心の中で皮肉を言い、微笑みを崩さず二人の会話を聞いている。

 その時、一番聞きたくなかった声がした。

[嫌だわ。なんでこの女がいるの?]

 視線を向けると、レティが嫌悪も露わな表情をして立っている。

 くっきりとしたアーチを描いた眉に、大きくカールした長い睫毛、綺麗なブルーアイを持つ彼女は、相変わらず美しい。

 形のいい唇には、ハッキリとした顔立ちに似合う濃い色のルージュが塗られている。

 それを見ると、つくづく自分に濃い色のリップは似合わないと思い知らされる。

 何もかも自分よりも上回っている彼女が堪らなく眩しくて、レティの前でちっぽけな私という存在がかき消えてしまいそうに思えた。

(暁人さんの前でみっともない姿は見せられない!)

 自分に言い聞かせた私は、暁人さんに勇気をもらい、レティに微笑みかけた。

《いらっしゃいませ、ジャクソン様》

 私はプロのホテリエとして、胸を張り堂々と挨拶をした。
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