八年執着されましたが、幸せです ~傷心のホテリエですが、イケメン御曹司と契約恋人になりました~
『でも、どれぐらいで叶えられるか、不安もあるな。なるべく早く叶えたいんだけど』

『悠人くんなら大丈夫! 自慢の生徒だもん』

 芳乃に言われると、何でもできるような気持ちになるから、自分でも現金なものだと思う。

『ん、絶対叶えてみせる。上手くいかなかったら……、慰めてくれる?』

『牛丼ぐらいなら奢るよ?』

 明るく言われ、俺はつられて笑う。

『ねぇ、先生って本当に彼氏いないの?』

 ずっと気になっている事を聞くと、芳乃は『もー』と呆れたように笑う。

『こう見えて、大学生って忙しいんだよ? 私は就きたい職が決まってるから、そのための勉強や資金集めに必死なの』

『就きたい職って?』

 俺は俄然興味を持って聞く。

 俺はいずれ神楽坂グループを継ぐけれど、芳乃がどんな職種に就くかによって、人生設計が変わってくる。

 彼女なら大企業や、外資系企業、商社に入ってもおかしくない。

『宿泊業界』

 けれどまさかの家業が出て、驚いた俺は身を強ばらせた。

 運命だ! と思って喜ぶ前に、自分が神楽坂グループの一人息子である事が、彼女にバレたのかと思って焦ったのだ。

 俺はぎこちなく笑いながら、さらに尋ねる。

『意外だな。芳乃さんなら、商社や金融に就きそうなのに』

『そう? ホテル業に就くのは、ずっと掲げていた目標だったんだ』

 彼女はそう言ってから、大切な思い出を教えてくれた。

『子供の頃、家族で箱根にある〝海の詩〟っていう温泉ホテルに行ったの。凄く綺麗な所で、スタッフさんもとても親切で、サービスも最高でご飯も美味しくて、〝こういう所で働きたいな〟って思ったの。それがきっかけ』

 今度こそ心臓が止まるかと思った。

〝海の詩〟は、仁科グループが経営しているホテルだ。

 俺は〝仁科〟と名乗ったけれど、芳乃はまさかうちがその〝仁科〟だとは思っていないだろう。

 苗字だって割とありふれているほうだし、彼女は家庭教師としての一線を守り、決してその家の内情を探る事はしなかった。

 だから芳乃は、俺が仁科グループの会長の孫だと知らないはずだ。

 静かに動揺している俺の前で、芳乃は饒舌に語る。

『フロントのお姉さんが英語ペラペラで、凄いなぁって思ったの。それに客にとって、ホテルや温泉に泊まる時は非日常でしょ? その特別な日を用意するって、凄く素敵な事だと思わない?」

『そう……、だね』

 俺はぎこちなく頷くが、彼女は気付いていない。

『……そういえば、神楽坂グループっていま大変だよね。推しなのに』

 芳乃がうちの会社の名前を口にした瞬間、俺はまたギクリとする。

 彼女はそれに気付かず、お茶を飲みつつ続ける。

『顧客情報の漏洩って、意図的なミスじゃないと思うけど、こんな騒ぎになって気の毒だな……。そりゃあ、企業として顧客情報はしっかり管理すべきだけど、どこにでもミスやエラーはあるもので、誰かが失敗するたびにバッシングするのって、凄く不健全に思える』

 もしかしたら、彼女にも会社を悪く言われるのかも……と身構えたが、芳乃は俺が思っていた以上に冷静に状況を判断していた。

 ――やっぱり、俺にはこの女性(ひと)しかいない。

 ずっと周囲から叩かれる事に怯えていた俺は、芳乃の言葉に救われた気持ちになり、泣きそうなほどの安堵を得た。

『……失敗した企業は、叩かれるべきと思ってないの?』

 あえてそう尋ねると、芳乃は意外そうに目を丸くした。

『どうして? 悪意があってした訳じゃないんだよ? 企業としてきちんと謝って対処したなら、あとは外野が文句を言う必要はなくない? 被害者なら怒る権利はあるけど、ネットで誹謗中傷してる人たちって、神楽坂グループのホテルに泊まった事もないんじゃない? そういう人たちは、自分のストレス発散のために〝失敗〟した人、企業を叩きたいだけ。知ってる? 正義感で〝悪〟を叩いていると、ドーパミンが出て凄く気持ち良くなるの。そんな人たちが建設的な意見を言える訳がないし、会社は無視するか、テンプレートのお詫びをするしかないと思う』

 彼女の言葉を聞いて、俺の胸の中で渦巻いていた罪悪観が軽くなった気がした。

 芳乃は物事をとてもフラットに見られる人で、感情的にならず冷静な人だ。

 そんな面に憧れるし、尊敬するし、心底好きだと思った。

(この人を好きになって良かった……)

 芳乃への想いを噛み締めた俺は、泣きそうになった顔を俯いて誤魔化す。

 ――救われた。

 ずっと抱えていた罪悪感が彼女によって解き放たれ、やっと俺は赦された気持ちになれた。
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