親友に婚約者を奪われた毛虫令嬢は、腹黒王子様に捕獲されてしまった〜この溺愛からはきっと逃れられない〜
6 蝶の研究所へ(1)
王都の郊外へと向かう馬車の中には、緊張感が漂っていた。ゴトンゴトンと車輪の音だけが響いている。
私の隣に座るのは専属侍女のシエンナだ。そして、私の正面にレノックス殿下、彼の隣には護衛騎士が座っている。
殿下と馬車をご一緒するとは思わなかった。いつも冷静で顔に出さない優秀な侍女のシエンナも、今日ばかりは緊張が顔に出ている。きっと私の方がもっと酷い顔かもしれないが。
今日はこれから蝶学者ダニー・コリンズ先生の研究所に向かうところだ。初回というのもあり、殿下が案内してくださることになったのだが、事前に打ち合わせがあるからと一緒の馬車に乗ることになってしまった。
「アシュトン伯爵令嬢」
「は、はいっ」
殿下に声をかけられて、声がうわずってしまう。
「何? まだ緊張しているのかい? これから一緒に黒蝶探しをする仲なのに、早く私に慣れてくれないと困るな」
殿下は苦笑している。そう言われましても、彼は王族だ。慣れろというのは無理がある。
「も、申し訳ございません、殿下」
「あ、殿下って呼ぶのはやめてほしい。一応、コリンズだけには素性を明かしてあるが、外部の者にバレたらまずいからね。身分も商家の子息ということにしているんだ。それで君は私の婚約者ってことでいいね?」
「こ、婚約者ですか!?」
「これから共に行動することも多くなる。婚約者という設定の方が自然だろう。幸い、君には婚約者はいないとホルマン侯爵夫人から聞いたからね」
伯母様はどこまで殿下にお話ししたのだろうか。婚約破棄されたことや、噂のことは……。伯母様のことだから、余計なことはおっしゃらないだろうけど。
殿下の様子を窺うがにこやかな表情は変わらず、感情は読み取れなかった。
「ん? 聞いてるのかい?」
「あ、はいっ。承知いたしました」
慌てて返事をする。
「君のことはティナ嬢と呼ぶよ、いいね?」
「は、はい、わかりました。では殿下のことは、なんとお呼びすれば?」
「レノと呼んでくれ」
「はい、……レ、レノ様」
ちょっと気恥ずかしいが、私が名前を呼ぶと彼は満足そうにうなずいた。
(商家の子息……。それで大丈夫なのかな?)
今日の殿……、レノ様はシンプルな服装で、帽子を被り変装している。馬車も王族の乗るような豪華な馬車ではない。しかし、溢れ出るオーラや、目を引くような美貌は隠しきれていない。それにその黒い瞳は特徴的だ。ちょっと隠すのには無理があるのでは……。
私がチラチラとレノ様の姿を観察していたら、気付かれてしまった。
「何かな? あぁ、この瞳の色が気になるのかな? 大丈夫だよ」
私の内心を見抜いたように、レノ様が言葉を続ける。
「セレニーノの特徴である黒髪や黒い瞳は、貴族の間では『敵国の象徴』として嫌悪されているが、平民の間ではそれほど珍しくないんだ」
「そうなんですか?」
「敗戦後、生き残ったセレニーノの人々はトリヘリッドの民として暮らしているからね。彼らの方がそういった血筋への偏見が少ないんだよ」
「そうなんですね……」
ふとレノ様の隣に座っている護衛騎士に目を向ける。年齢は二十代後半くらいで、瞳はブルーだが短い髪は黒色だった。たしか、ホルマン侯爵邸で会った騎士も彼だったはず。
「私の護衛騎士のグレイだ。彼は平民出身だが母方の遠縁にあたる」
私の視線の先に気付いたレノ様は、護衛騎士を紹介してくれる。グレイさんが軽く会釈をしたので、私も頭を下げた。
コリンズ先生の研究所は森の中にあった。丸太をそのまま積み上げて作ったような二階建ての小屋で、茶色の屋根の上には石でできた煙突も見える。研究所というよりは、普通の民家という感じだった。
「ティナ嬢、足元に気をつけて」
「あ……、ありがとうございます……」
レノ様にエスコートされて馬車を降り、玄関まで十段ほど続く石階段を上っていく。辺りには草木が茂っていて、ヒラヒラと木漏れ日を浴びたシジミチョウが舞っているのが見えた。
たしかにこんな森の中なら、色々な蝶の観察ができるかもしれない。そう思うと少し胸が躍る。
コンコンとグレイさんが玄関のドアを叩くと、しばらくしてドアが開かれる。
「はーい」
気怠げな声と共にドアの中から顔を出したのは、二十代半ばほどの長身の男性だった。
肩にかかる銀髪に、鋭いツリ目が特徴的だった。
一瞬、彼をどこかで見かけたような気がしたが、どうしても思い出せない。でも出会うような場所にも行かないし、私の勘違いかもしれない。
(……この方が、コリンズ先生?)
「あれー? 今日はレノ様たちの他に、カワイイ女の子がいるじゃん? なになに? レノ様のカノジョ?」
その男性は私の顔をまじまじと見つめている。ちょっとノリが軽くて驚いたけど、挨拶をしなければいけないと思い私はスカートをつまむ。
「あの、私はティナと申します。今日から殿……、レノ様のお手伝いをすることになりました。よろしくお願いいたします」
「あ、そうなんだー。ティナさん、俺はクリフでーす、よろしくー」
(クリフ……さん? ダニー・コリンズ先生ではない?)
私が戸惑っていると、レノ様が説明してくれた。
「彼はコリンズ先生の助手をしているんだよ」
「そーそー、でも助手ってより、家政夫みたいなもんでさー」
クリフさんは手をひらひらと振り、くっくっと笑い声を上げた。
「これでもだいぶマシになったんだけどさ、ティナさん驚かないでねー。じゃ、中へどうぞー」
言葉の意味が分からず首をかしげていると、クリフさんがドアを全開にし、私たちを研究所の中へ招き入れる。
一歩足を踏み入れると、私はその惨状に息を呑んだ。
私の隣に座るのは専属侍女のシエンナだ。そして、私の正面にレノックス殿下、彼の隣には護衛騎士が座っている。
殿下と馬車をご一緒するとは思わなかった。いつも冷静で顔に出さない優秀な侍女のシエンナも、今日ばかりは緊張が顔に出ている。きっと私の方がもっと酷い顔かもしれないが。
今日はこれから蝶学者ダニー・コリンズ先生の研究所に向かうところだ。初回というのもあり、殿下が案内してくださることになったのだが、事前に打ち合わせがあるからと一緒の馬車に乗ることになってしまった。
「アシュトン伯爵令嬢」
「は、はいっ」
殿下に声をかけられて、声がうわずってしまう。
「何? まだ緊張しているのかい? これから一緒に黒蝶探しをする仲なのに、早く私に慣れてくれないと困るな」
殿下は苦笑している。そう言われましても、彼は王族だ。慣れろというのは無理がある。
「も、申し訳ございません、殿下」
「あ、殿下って呼ぶのはやめてほしい。一応、コリンズだけには素性を明かしてあるが、外部の者にバレたらまずいからね。身分も商家の子息ということにしているんだ。それで君は私の婚約者ってことでいいね?」
「こ、婚約者ですか!?」
「これから共に行動することも多くなる。婚約者という設定の方が自然だろう。幸い、君には婚約者はいないとホルマン侯爵夫人から聞いたからね」
伯母様はどこまで殿下にお話ししたのだろうか。婚約破棄されたことや、噂のことは……。伯母様のことだから、余計なことはおっしゃらないだろうけど。
殿下の様子を窺うがにこやかな表情は変わらず、感情は読み取れなかった。
「ん? 聞いてるのかい?」
「あ、はいっ。承知いたしました」
慌てて返事をする。
「君のことはティナ嬢と呼ぶよ、いいね?」
「は、はい、わかりました。では殿下のことは、なんとお呼びすれば?」
「レノと呼んでくれ」
「はい、……レ、レノ様」
ちょっと気恥ずかしいが、私が名前を呼ぶと彼は満足そうにうなずいた。
(商家の子息……。それで大丈夫なのかな?)
今日の殿……、レノ様はシンプルな服装で、帽子を被り変装している。馬車も王族の乗るような豪華な馬車ではない。しかし、溢れ出るオーラや、目を引くような美貌は隠しきれていない。それにその黒い瞳は特徴的だ。ちょっと隠すのには無理があるのでは……。
私がチラチラとレノ様の姿を観察していたら、気付かれてしまった。
「何かな? あぁ、この瞳の色が気になるのかな? 大丈夫だよ」
私の内心を見抜いたように、レノ様が言葉を続ける。
「セレニーノの特徴である黒髪や黒い瞳は、貴族の間では『敵国の象徴』として嫌悪されているが、平民の間ではそれほど珍しくないんだ」
「そうなんですか?」
「敗戦後、生き残ったセレニーノの人々はトリヘリッドの民として暮らしているからね。彼らの方がそういった血筋への偏見が少ないんだよ」
「そうなんですね……」
ふとレノ様の隣に座っている護衛騎士に目を向ける。年齢は二十代後半くらいで、瞳はブルーだが短い髪は黒色だった。たしか、ホルマン侯爵邸で会った騎士も彼だったはず。
「私の護衛騎士のグレイだ。彼は平民出身だが母方の遠縁にあたる」
私の視線の先に気付いたレノ様は、護衛騎士を紹介してくれる。グレイさんが軽く会釈をしたので、私も頭を下げた。
コリンズ先生の研究所は森の中にあった。丸太をそのまま積み上げて作ったような二階建ての小屋で、茶色の屋根の上には石でできた煙突も見える。研究所というよりは、普通の民家という感じだった。
「ティナ嬢、足元に気をつけて」
「あ……、ありがとうございます……」
レノ様にエスコートされて馬車を降り、玄関まで十段ほど続く石階段を上っていく。辺りには草木が茂っていて、ヒラヒラと木漏れ日を浴びたシジミチョウが舞っているのが見えた。
たしかにこんな森の中なら、色々な蝶の観察ができるかもしれない。そう思うと少し胸が躍る。
コンコンとグレイさんが玄関のドアを叩くと、しばらくしてドアが開かれる。
「はーい」
気怠げな声と共にドアの中から顔を出したのは、二十代半ばほどの長身の男性だった。
肩にかかる銀髪に、鋭いツリ目が特徴的だった。
一瞬、彼をどこかで見かけたような気がしたが、どうしても思い出せない。でも出会うような場所にも行かないし、私の勘違いかもしれない。
(……この方が、コリンズ先生?)
「あれー? 今日はレノ様たちの他に、カワイイ女の子がいるじゃん? なになに? レノ様のカノジョ?」
その男性は私の顔をまじまじと見つめている。ちょっとノリが軽くて驚いたけど、挨拶をしなければいけないと思い私はスカートをつまむ。
「あの、私はティナと申します。今日から殿……、レノ様のお手伝いをすることになりました。よろしくお願いいたします」
「あ、そうなんだー。ティナさん、俺はクリフでーす、よろしくー」
(クリフ……さん? ダニー・コリンズ先生ではない?)
私が戸惑っていると、レノ様が説明してくれた。
「彼はコリンズ先生の助手をしているんだよ」
「そーそー、でも助手ってより、家政夫みたいなもんでさー」
クリフさんは手をひらひらと振り、くっくっと笑い声を上げた。
「これでもだいぶマシになったんだけどさ、ティナさん驚かないでねー。じゃ、中へどうぞー」
言葉の意味が分からず首をかしげていると、クリフさんがドアを全開にし、私たちを研究所の中へ招き入れる。
一歩足を踏み入れると、私はその惨状に息を呑んだ。