くっ殺女騎士は魔王の執愛から逃れられない

二十話

 いきなり目の前に現れたライに、アイビーは眉を下げた。
 少年姿のままでは身長差も相まってエスコートしてもらうのは難しい。
 それはライも分かっているだろう。

「今日は淑女教育だと聞いたが?」
「大丈夫だよ。このぐらいの身長差があっても、アイビーの杖ぐらいにはなれるから」

 パチンとウインクをされ、手を差し伸べられる。
 拒否する理由も見当たらず、アイビーは小さく息を吐いて彼の手を取った。
 嬉しそうな目には気がつかないフリをして。
 重い腰を上げようとしたアイビーだったが、直前で止められる。

「あ、高いヒールは重心に気をつけたほうがいい」
「重心? つま先で立つしかないと思うのだが、違うのか?」
「うん。ちゃんと踵に体重をかけないといけないよ。用意したパンプスはしっかり踵に重心がかかるように作られた代物だからね」
「……踵に重心を、か。わかった」

 ついつま先で踏ん張ろうとしてしまっていたことを思い出し、アイビーは頷いた。
 アドバイス通り、踵に重心を置くように心がけ立ち上がる。
 すると先ほどとは違い、真っ直ぐ立つことができた。

「お、おぉ」

 アイビーの口から思わず感嘆が漏れる。
 立つことすらままならなかったとは考えられないほどしっかりと地に足がついており、アドバイス一つで変わるものなのだと驚くしかない。
 嬉しさと驚きが混じったような反応に、ライが頬を和らげた。
 重なった手を優しく握られる。

「安定するでしょ?」
「あぁ」
「じゃあダンスホールまで歩いてみよっか」
「いきなり歩行練習か……」

 頬を引き攣らせるアイビーの顔は自信なさげだ。
 しかしライはお構いなしに手を引いた。
 ライに促されるがまま、アイビーは恐る恐る足を踏み出す。
 なんとか歩けそうではあるが、普段よりも幾分か踵を下ろす位置を気にしなければならない。
 数歩進んで足を止めると、ライもその場に立ち止まった。

「大丈夫そう?」
「ゆっくり頼む。まだ踵を意識していなければ転けてしまいそうだ」
「りょーかい。ゆっくりね」

 ライが心得たと言わんばかりに笑う。
 アイビーの願い通り、ライはゆったりとした足取りで歩きだした。


 移動した小さなダンスホールはグレーの絨毯が敷かれていた。
 青を基調にしたタペストリーや装飾品が木製の家具の上で静かに存在をアピールしており、上品な空間となっている。

(……情けない)

 クッションの厚い椅子に腰掛けたアイビーは、自分の不甲斐なさに肩を落とす。
 よほど酷い顔をしていたのか、ライは隣でおろおろとしていた。

「アイビー。だ、大丈夫だよ。落ち込まないで?」
「気遣いはいらん。見ろ、この足を。ここに来るので精一杯だ」

 ライに見せるように片足を上げる。
 生まれたての子鹿のように震えている足はすでに使い物にならない。
 それが片足だけでなく両脚だというのも、アイビーを項垂れさせる原因でもあった。
 結いきれなかった横髪と前髪がカーテンのようにアイビーの顔に影を落とす。

「履き慣れない踵の高い靴でここに来られただけですごいことだよ?」
「普通の令嬢は難なくこなしているのだろう? 鍛えていない女性ができて、日々鍛えている私ができないなんてな……」
「高いヒールだと使う筋肉が違うって言うし、ね?」
「そうか、まだ鍛えられていない筋肉があったのか、私は……」

 どこか諦めた顔で笑ったアイビーが酷く自信を喪失しているのは誰の目にも明らかだ。
 ライの慰めも全くと言っていいほど心にしみていない。
 俯いているアイビーの頬を挟むように、ライの両手が添えられる。
 ライは強引にアイビーを上へと向かせると、目線を合わせた。

「大丈夫。今できていないってことは、これから伸びるってことだよ。伸びしろしかないの。わかる?」
「……伸びしろしか、ない……?」
「うん。教育を受けてなかったんだから、できないのは当たり前。アイビーだって初めて剣を握って数時間で今の強さになったわけじゃないでしょ?」

 その言葉がアイビーの心にすとんと落ちた。
 誰もが初めからできていたわけではない。そんな当たり前のことにもアイビーは気がつかなかった。
 靄がかっていた視界が開けていく。

「そう、だったな。誰しも最初は初心者だ」
「初心者を脱却するもの、初心者のままでいるのも、自分次第……だよね?」
「あぁ。ありがとう。目が覚めたよ。ライ」

 アイビーが小さな手に自身のそれを添えて、そっとすり寄った。
 途端、音を立てて大きくなった両手に、現状を把握するのは火を見るよりも明らかだ。
 大きな両手に顔を包まれたままのアイビーは、予想以上に近くにあったライの顔面に大きく肩を跳ねさせる。

「ぅわ!? 今度は何が琴線に触れたんだ」
「……アイビーはずるい」
「何がだ!?」
「僕の気も知らないで……はぁ、まぁ今は元の姿の方が好都合か……」
「?」

 ライは両手を離し、一歩下がる。
 片足を引いて流れるような所作で礼をしたライにアイビーは見惚れてしまう。
 ライから手のひらが差し出され呆気にとられていると、彼はわざとらしく跪き、どろりと甘い笑みを浮かべた。

「僕と踊っていただけますか、レディ?」
「っ、お手柔らかに頼む」
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