くっ殺女騎士は魔王の執愛から逃れられない

二十九話

 足音の絶えた夜更けの王城は、雪の積もった深山のように静かだ。
 アイビーは音を立てずに布団から抜け出すと、寝台の下に用意しておいた騎士服をバックから取り出し、手早く身を包む。
 この騎士服はカーネル王国の騎士団長だという証であり、アイビーの身分証でもある。
 久しぶりに腕を通したそれは予想以上に重く、すぐにでも脱ぎ捨ててしまいたい気分だ。
 しかしカーネル王国は肩に乗った責務という重荷を簡単に下ろさせてはくれない。
 
「はぁ」

 小さくため息をつき、下がっていた顔を意識して上げる。
 サイドテーブルの上に置かれたテディベアと目が合い、アイビーはへにゃりと笑った。
 テディベアへと近づき、そっと頭を撫でる。

「お前ともここでお別れだな」

 テディベアを撫でていた手を下ろし、そっと引き出しを開ける。
 暗部から渡された短剣がまだそこのあることに安堵し、小さく息を吐いた。
 アイビーは可愛らしい寝室に不釣り合いな短剣を手に取り、懐へと隠す。
 静かに引き出しを閉じると、アイビーは一度目を閉じた。
 深呼吸をして覚悟を決める。
 飲み込んだ決意を胸に秘め、アイビーは目を開けた。

「さようなら」

 小さな声で別れをつげ、アイビーはバルコニーから抜け出した。


 ◇◆◇


 王城から城下、そして国境沿いの街道へと降りた。
 誰の目にも触れることなく抜け出せたのは運が良かったと言えるだろう。

(欲を言えば馬がほしいが、馬を借りると足がつくからな)

 手入れのされた道を身体強化魔法を使って走りながら、アイビーはこれからの事を考える。
 カーネル王国へは真っ直ぐ進むだけで着くが、問題はライだ。
 アイビーがいないと気がつけばすぐにでも飛んでくるだろう。
 なんとしてもそれまでに距離を稼ぎたいところだ。
 身体強化のお陰で瞬く間に国境沿いの森へと辿り着いた。
 木々の間を縫うように潜り込み、一度身体強化を解く。
 滴る汗を手の甲で拭うと、ばくばくと嫌な音を立てて軋む心臓を落ち着かせる。

(くそ、鍛錬不足だな)

 体力の落ちた体を叱咤していると、ふと気配が現れる。

(……迎えか。丁寧なことだ)

 整えていた息を意識して潜め、視線だけで辺りを確認する。
 鬱蒼とした森の中で姿も現さない気配の主に、アイビーは眉を顰めた。

(試しているつもりか……?)

 アイビーは気がついていないフリをして木の幹に体を預けた。
 自然な動きを心がけながらしゃがみ込み、疲労困憊を装う。
 アイビーが俯いて目閉じると警戒を薄めたのか、それは音もなく近づいてきた。
 ぬっと伸びてきた腕に、ばっと顔を上げる。
 驚きに飛び退いたそれは予想通りカーネル王国の間者だ。

「魔王はどうなった?」
「貴様の目的は魔王暗殺(それ)じゃないんだろう?」

 アイビーが立ち上がると、素顔を隠して目だけしか見えない間者が笑った。
 にんまりと仄暗い双眸が三日月に歪む。

「察しのいい奴は嫌いじゃないが、魔王に手を出してくれたほうが痛まずにすんだろうに」
「魔王へ牙を剥いた私が処刑されるのを望んでいたのか。悪趣味だな」
「ひひっそれが王妃殿下の望みだ」

 間者は楽しげに笑うと、すっとアイビーの懐を指さした。

「渡してあった短剣、持っているだろう? それで自害するか、俺に殺されるか、選べ」

 間者はアイビーが選ぶまで行動に移す気はないようだ。
 なめきった様子にアイビーは肩を竦めた。
 懐から短剣を取り出し、手の中でもてあそぶ。

「そう急くな。そもそもこんな短剣では自害もできん」
「安心しろ。それなら掠るだけでいい」
「……また物騒なものを」
「暗部特性だからな。よく効くぞ?」
「はぁ。わかった」

 アイビーが頷くと、間者の顔が歓喜に染まる。
 どうやらアイビーが覚悟を決めたと思っているようだ。
 目を細める間者へ見せつけるように掲げる。

「貴殿は私を甘く見すぎだな」

 さきほどとは打って変わって目を丸くした暗殺者に、今度はアイビーが勝ち誇ったように笑う。

短剣(これ)は使わない」

 短剣から手を離すと、それは簡単に落ちていく。
 驚きに身を固くした間者との距離を一足飛びに詰め、その勢いのまま顎へ掌底を叩き込んだ。
 間者が体勢を崩して倒れ込むのと短剣が地面に落ちたのはほぼ同時だった。
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