くっ殺女騎士は魔王の執愛から逃れられない
二十八話
魔王暗殺を命じられてから早五日。
アイビーは魔石の簪をもらってからというもの、ライを徹底的に避けていた。
ライの家でもある王城で彼と出会わないようにするのは骨が折れたが、少し顔を合わせる程度にはできていたと自負している。
(……夢のような時間だったな)
アイビーは衣装部屋の隅で綺麗に畳まれていたカーネル王国の騎士服を手に取った。
無意識に力が入っていたのかぐしゃりと騎士服が歪む。
衣の擦れた音が耳に届き、アイビーは我に返った。
ついてしまったシワに気がつかないフリをして、騎士服を胸に抱える。
(優しい夢は、もうしまいだ。私は国へ戻らなければ)
衣装部屋に備え付けられている大きな鏡へと目を向ける。
鏡の中のアイビーは、カーネル王国では着たこともないワンピースに身を包んでいた。
眉を下げ迷子の子どものような顔をする女に、可愛らしい服装は似合わない。
だが、今、この奇跡を脱いで、夢から醒める勇気はなかった。
「……馬鹿だな、私も」
独りごちたアイビーの声は、誰にも届くことはない。
誰にも届かないそれに安堵し、アイビーはそっと衣装部屋を出た。
リビングを抜け寝室へと滑り込む。
寝台の傍にしゃがみ、その下に隠しておいたバックを引っ張り出した。
(すぐに見つかるかと思ったが、意外と持ってるな)
まだ見つかっていないことに安堵しながらも、一縷の不安がよぎる。
ライを避けていることも、逃亡の準備をしていることも、荷物が見つからないことも、全てが順調すぎる気がしてならない。
(いや、よそう。弱気になっていては成し遂げられるはずのこともできなくなってしまう)
バックの中身の無事を確認し、騎士服を詰め込んだ。
紐を縛ってからバックをまた寝台の下にしまい、アイビーは立ち上がる。
「今夜にでも出るか」
リビングへと足を向けようとしたアイビーだったが、テディベアへと目を向ける。
すっかりテディベアの定位置になってしまったサイドテーブルに近づき、それを抱き上げた。
「戻ったらテディベアも探さなければいけないな。お前の手触りが心地よかったお陰だ」
すっかり抱き慣れてしまったそれに、アイビーは自嘲的な笑みを浮かべてしまう。
「お前に似たテディベアがあればいいが……」
口にした願望はきっと叶わないと容易に想像できた。
真っ黒な毛並みも、透明なビー玉のような目がライにそっくりなのだから、魔王嫌いの王国ではまず無理だ。
ふとした瞬間に浮かぶ未練がましい気持ちに、アイビーはますます苦い顔になる。
「はぁ、後ろ髪を引かれている場合ではないだろう」
テディベアを元の位置に戻し、アイビーは決意が鈍らないよう寝室を出た。
寝室からリビングへと出ると、少年姿のライがソファーに腰掛けてくつろいでいた。
扉の開けた音でアイビーに気がついたのか、伏せられていた瞼が持ち上げられる。
温度のない目に真っ直ぐに見つめられてしまい、アイビーの肩がぎくりと強ばった。
「アイビー、どうしたの? こっち座ったら?」
「あ、あぁ」
貼り付けられた笑みで勧められてしまい、アイビーは怖々とソファーに腰掛ける。
ライの正面に陣取ったのはささやかな抵抗感からだろう。
最近はもっぱら隣に座ることが多かったからか、ライの眉が煩わしげにぴくりと反応した。
ライの唇が不満げに開かれそうになり、アイビーは慌てて口を開く。
「それで、ライはどうしたんだ? 今日は一日執務だと言っていなかったか?」
「その予定だったんだけどね。少し面倒なことがあってさ」
「面倒な事?」
「そうそう。前アイビーとデートした時、リオン達が間者を追ってたでしょ?」
袋小路に誘い出して捕まえた間者のことはよく覚えている。
ヒナギクに命じられライを亡き者にしようとしたが、ライの魔法によって牢へと送られたはずだ。
ダイヤモンドダストが発生するほどの氷魔法を間近で見た衝撃は忘れようと思っても忘れられない。
「あぁ。あの時の魔法は美しかったな」
「っ、それ本人の目の前で言う?」
「? 何かおかしいこと言ったか?」
「はぁ、アイビーはそうだよね、知ってた」
ライは貼り付けられた笑みから一転してげんなりとした顔でアイビーを見る。
なぜ呆れられているのか分からず、首を傾げるしかない。
「まぁいいや。それでその間者が荷物に紛れて入国されたと思っていたんだけどね」
「違ったと?」
「そう。間者を引き入れた商人の行方が掴めない」
「……もう一人、間者がどこかに潜んでいると」
「うん、そういうこと」
ライの口から出てきた情報に、アイビーは頭の芯から冷え切っていくのを感じていた。
指先から血の気が引いていく。
真っ青な顔をしているであろうアイビーに、ライは申し訳なさげに眉を下げる。
「き、でんは……」
「アイビーを疑ってるわけじゃないよ。ただ、間者の狙いがいつもと違うようだから」
「普段と違う、とは」
「基本的にカーネル王国の間者は情報が目的じゃないんだ」
「……貴殿の命か」
「そう。だから、おかしい。待てど暮らせど僕を殺そうとしてこない」
水晶のような瞳がアイビーを見つめる。
喉がからからに渇いていくが、張り付きそうなそれを無視して口を開いた。
「それは、おかしいな」
「でしょ? だから――」
もったいぶるように一拍おいたライに、アイビーは思わず息を飲んだ。
体中に力が入ってしまう。しかしそれすら気がつかないほど、アイビーの意識はライへと向いていた。
「――アイビーの奪還とかかなって思ってさ」
予想に反した言葉が紡がれ、藍色の瞳が見開かれた。
強ばっていた肩から力が抜ける。
「奪還? 私を?」
「うん。だからいつも以上に守らせてほしいんだよね」
「必要ない。そもそも私は王妃に捨てられているんだぞ? 奪還する意味がない」
「そうかなぁ?」
「あぁ。王妃が私を必要とする意味がないからな」
アイビーは緊張の糸がほどけたようにソファーへと背中を預けた。
今頃になって汗が背中を伝う。
大きく息を吐いたアイビーの元へソファーから降りたライが向かう。
ライは気の抜けたアイビーの手を取り、自分の頬へと添えた。
そのまますり寄られてしまい、身構えていなかったアイビーは大きく体を跳ねさせた。
アイビーの反応がよほど楽しかったのか、ライは軽い音を立てて青年の姿へと戻る。
しゃがんだライの頬に当てられたままの手に、彼の唇が触れた。
伏し目がちに見上げられ、アイビーの喉から変な音が漏れる。
「こうやって僕の姿を戻すことができるアイビーは喉から手が出るほどほしいと思うけどね」
「っ、毎度毎度、貴殿には羞恥心というものはないのか!?」
温かな吐息が手のひらをくすぐり、びゃっと手を引っ込めた。
アイビーは若干涙目になりながらライを睨み付ける。
しかしライは気にする素振りすら見せず愛おしげに微笑んだ。
「僕、好きなものは愛でる主義だからさ。アイビーを手放す気はないんだ」
「愛でっ……! あぁもう、貴殿の言いたいことはわかった」
「えー? 本当かなぁ?」
「貴殿の姿を戻すことのできる私は王国にとって脅威ということだろう?」
「あってるけどあってないね。まぁいいや。僕を避けるほどの何かがあるんでしょ?」
「それは……」
「大丈夫。今は聞かない。でもアイビーが抱えきれなくなったときはちゃんと言うんだよ?」
やっぱりと言わんばかりに苦笑したライがアイビーの鼻をつつく。
すべて見透かしているかのような言葉に、アイビーは唇を噛み締めて頷くしかなかった。
アイビーは魔石の簪をもらってからというもの、ライを徹底的に避けていた。
ライの家でもある王城で彼と出会わないようにするのは骨が折れたが、少し顔を合わせる程度にはできていたと自負している。
(……夢のような時間だったな)
アイビーは衣装部屋の隅で綺麗に畳まれていたカーネル王国の騎士服を手に取った。
無意識に力が入っていたのかぐしゃりと騎士服が歪む。
衣の擦れた音が耳に届き、アイビーは我に返った。
ついてしまったシワに気がつかないフリをして、騎士服を胸に抱える。
(優しい夢は、もうしまいだ。私は国へ戻らなければ)
衣装部屋に備え付けられている大きな鏡へと目を向ける。
鏡の中のアイビーは、カーネル王国では着たこともないワンピースに身を包んでいた。
眉を下げ迷子の子どものような顔をする女に、可愛らしい服装は似合わない。
だが、今、この奇跡を脱いで、夢から醒める勇気はなかった。
「……馬鹿だな、私も」
独りごちたアイビーの声は、誰にも届くことはない。
誰にも届かないそれに安堵し、アイビーはそっと衣装部屋を出た。
リビングを抜け寝室へと滑り込む。
寝台の傍にしゃがみ、その下に隠しておいたバックを引っ張り出した。
(すぐに見つかるかと思ったが、意外と持ってるな)
まだ見つかっていないことに安堵しながらも、一縷の不安がよぎる。
ライを避けていることも、逃亡の準備をしていることも、荷物が見つからないことも、全てが順調すぎる気がしてならない。
(いや、よそう。弱気になっていては成し遂げられるはずのこともできなくなってしまう)
バックの中身の無事を確認し、騎士服を詰め込んだ。
紐を縛ってからバックをまた寝台の下にしまい、アイビーは立ち上がる。
「今夜にでも出るか」
リビングへと足を向けようとしたアイビーだったが、テディベアへと目を向ける。
すっかりテディベアの定位置になってしまったサイドテーブルに近づき、それを抱き上げた。
「戻ったらテディベアも探さなければいけないな。お前の手触りが心地よかったお陰だ」
すっかり抱き慣れてしまったそれに、アイビーは自嘲的な笑みを浮かべてしまう。
「お前に似たテディベアがあればいいが……」
口にした願望はきっと叶わないと容易に想像できた。
真っ黒な毛並みも、透明なビー玉のような目がライにそっくりなのだから、魔王嫌いの王国ではまず無理だ。
ふとした瞬間に浮かぶ未練がましい気持ちに、アイビーはますます苦い顔になる。
「はぁ、後ろ髪を引かれている場合ではないだろう」
テディベアを元の位置に戻し、アイビーは決意が鈍らないよう寝室を出た。
寝室からリビングへと出ると、少年姿のライがソファーに腰掛けてくつろいでいた。
扉の開けた音でアイビーに気がついたのか、伏せられていた瞼が持ち上げられる。
温度のない目に真っ直ぐに見つめられてしまい、アイビーの肩がぎくりと強ばった。
「アイビー、どうしたの? こっち座ったら?」
「あ、あぁ」
貼り付けられた笑みで勧められてしまい、アイビーは怖々とソファーに腰掛ける。
ライの正面に陣取ったのはささやかな抵抗感からだろう。
最近はもっぱら隣に座ることが多かったからか、ライの眉が煩わしげにぴくりと反応した。
ライの唇が不満げに開かれそうになり、アイビーは慌てて口を開く。
「それで、ライはどうしたんだ? 今日は一日執務だと言っていなかったか?」
「その予定だったんだけどね。少し面倒なことがあってさ」
「面倒な事?」
「そうそう。前アイビーとデートした時、リオン達が間者を追ってたでしょ?」
袋小路に誘い出して捕まえた間者のことはよく覚えている。
ヒナギクに命じられライを亡き者にしようとしたが、ライの魔法によって牢へと送られたはずだ。
ダイヤモンドダストが発生するほどの氷魔法を間近で見た衝撃は忘れようと思っても忘れられない。
「あぁ。あの時の魔法は美しかったな」
「っ、それ本人の目の前で言う?」
「? 何かおかしいこと言ったか?」
「はぁ、アイビーはそうだよね、知ってた」
ライは貼り付けられた笑みから一転してげんなりとした顔でアイビーを見る。
なぜ呆れられているのか分からず、首を傾げるしかない。
「まぁいいや。それでその間者が荷物に紛れて入国されたと思っていたんだけどね」
「違ったと?」
「そう。間者を引き入れた商人の行方が掴めない」
「……もう一人、間者がどこかに潜んでいると」
「うん、そういうこと」
ライの口から出てきた情報に、アイビーは頭の芯から冷え切っていくのを感じていた。
指先から血の気が引いていく。
真っ青な顔をしているであろうアイビーに、ライは申し訳なさげに眉を下げる。
「き、でんは……」
「アイビーを疑ってるわけじゃないよ。ただ、間者の狙いがいつもと違うようだから」
「普段と違う、とは」
「基本的にカーネル王国の間者は情報が目的じゃないんだ」
「……貴殿の命か」
「そう。だから、おかしい。待てど暮らせど僕を殺そうとしてこない」
水晶のような瞳がアイビーを見つめる。
喉がからからに渇いていくが、張り付きそうなそれを無視して口を開いた。
「それは、おかしいな」
「でしょ? だから――」
もったいぶるように一拍おいたライに、アイビーは思わず息を飲んだ。
体中に力が入ってしまう。しかしそれすら気がつかないほど、アイビーの意識はライへと向いていた。
「――アイビーの奪還とかかなって思ってさ」
予想に反した言葉が紡がれ、藍色の瞳が見開かれた。
強ばっていた肩から力が抜ける。
「奪還? 私を?」
「うん。だからいつも以上に守らせてほしいんだよね」
「必要ない。そもそも私は王妃に捨てられているんだぞ? 奪還する意味がない」
「そうかなぁ?」
「あぁ。王妃が私を必要とする意味がないからな」
アイビーは緊張の糸がほどけたようにソファーへと背中を預けた。
今頃になって汗が背中を伝う。
大きく息を吐いたアイビーの元へソファーから降りたライが向かう。
ライは気の抜けたアイビーの手を取り、自分の頬へと添えた。
そのまますり寄られてしまい、身構えていなかったアイビーは大きく体を跳ねさせた。
アイビーの反応がよほど楽しかったのか、ライは軽い音を立てて青年の姿へと戻る。
しゃがんだライの頬に当てられたままの手に、彼の唇が触れた。
伏し目がちに見上げられ、アイビーの喉から変な音が漏れる。
「こうやって僕の姿を戻すことができるアイビーは喉から手が出るほどほしいと思うけどね」
「っ、毎度毎度、貴殿には羞恥心というものはないのか!?」
温かな吐息が手のひらをくすぐり、びゃっと手を引っ込めた。
アイビーは若干涙目になりながらライを睨み付ける。
しかしライは気にする素振りすら見せず愛おしげに微笑んだ。
「僕、好きなものは愛でる主義だからさ。アイビーを手放す気はないんだ」
「愛でっ……! あぁもう、貴殿の言いたいことはわかった」
「えー? 本当かなぁ?」
「貴殿の姿を戻すことのできる私は王国にとって脅威ということだろう?」
「あってるけどあってないね。まぁいいや。僕を避けるほどの何かがあるんでしょ?」
「それは……」
「大丈夫。今は聞かない。でもアイビーが抱えきれなくなったときはちゃんと言うんだよ?」
やっぱりと言わんばかりに苦笑したライがアイビーの鼻をつつく。
すべて見透かしているかのような言葉に、アイビーは唇を噛み締めて頷くしかなかった。